グリフォンの日記

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宗教に入るのは簡単、出るのは、困難1

2010-04-17 19:49:32 | 自己防衛

桜散り行く若葉の季節。未だ先の見えない混沌とした世界。言い訳ばかりの民主党。国内のみならず、アメリカにまで盾突いて、無視されるアフォ山総理よ、国体・国家を守れるのか・・・不安は、払拭できない。

さて、今月は、自己防衛について、書いていくと宣言しているので、アフォ山の話は、これぐらいにして、今回は、宗教について書いていこうと思います。

俗に言う、宗教と言うのは、我が日本では、自由信仰となっており、とても寛容であると言えます。しかし、裏を返せば、その自由と言う言葉は、全ての責任を自らが背負うと言うことでもあるわけです。(最近では、X JAPANのTOSHIさんが、自己破産と同時に、宗教(ホームオブハート)と決別を宣言されて、大きく取り上げられましたね)

誰でも、長く生きれば生きる程、苦しみや悲しみ、憎しみ、嫉妬などに苛(さいな)まれることが、しばしば起こります。それは、病(やまい)だったり、貧困だったり、失恋であったり、大切な人との別れだったり、多くの事が起きて行きます。

そんな人生の岐路(きろ)へ立たされるような事態が発生した時だけでなく、新入生や新入社した時にも、ある連中は、目を付けてくるのです。それは、宗教と言う皮を被った金儲け団体であると言えるでしょう。

ちなみに自分は、普段のお願い事は、国家神道で、死んだら仏教と言う考え方です。(特に宗派は、ありません)多分、特定宗教に入っていない人の多くが、この考え方ではないかと思います。(自然云々より、空から骨を撒くのも、個人的にどうかと思いますが・・・。)

宗教の勧誘として、新入生を誘う方法は、古典的な方法が多いと思います。新入生は、学校の右も左もわかりません。そこで、先輩と呼ばれる連中は、宗教勧誘であるとは告げず、「コンパに行こう」とか「サークルの会合に一度来て欲しい」とか誘ってきます。新入生は、先輩であると言うことで、恐縮し、中々断れない場合もあるため、仕方なく、行く事もあるでしょう。

その中で、1人でも信者を獲得する事によって、その人間の仲間も勧誘対象へと拡大させるわけです。(ちなみに左派と呼ばれる赤に染まった連中も同じように、「歴史研究会」とか「○○を考える会」とか、もっともらしいサークル名を使用する場合もあります。彼らは、共産主義国家崇拝者です。未だ中国や韓国へ肩入れさせたがっており、彼らの目的は日本の衰退と国家主権の奪取である事は、今の民主党、旧社会党、共産党を見れば一目瞭然です。)

それにしても、何故、宗教に嵌まるのでしょうか?それは、俗に言う真理と言うものに、人は少なからず共有を求めるからです。真理とは、法律とは異なり、道義的目的、概念、信念といったものです。

例えば、「雑草でも命が宿っています。だから、むやみに踏みつけたりしては、いけません。それは、その雑草の命を奪い、しいては、地球を穢(けが)す事に繋がります。」と教義があるとします。一見すると、その通りであると思いますよね?何故でしょうか?

それは、日本人の道徳概念に基づく計算であると言えるのです。日本人は古来より神社に神として自然や人物を祭ってきました。それは、稲や野菜の豊作を祈ったり、海が荒れないように祈ったりしてきたことが、逆に奴らに利用されていると言うことです。

そして、宗教の本来の目的は、心の平安のはずなのです。しかし、心の平安を持ったはずの人たちは、何故か、他人を勧誘したがります。これは、集団心理を突いてくるからです。「もっと、この宗教を1人でも多くの人に、広めて、皆で幸せになろう」とか「宇宙の真理を皆で共有しよう」とか、ここで出てくる”皆”と言う文字に着目です。

これは、宗教に関わらず、俗に言う「市民団体」とかも、同じです。”みんな"と言う言葉が、大きくクローズアップされて、いつの間にか、自らも共有していると、錯覚を覚えさせるわけです。そして、皆が幸せになれるのであれば、と本人も思い込み、親兄弟、親戚から友人まで勧誘していきます。

しかし、大抵の場合、他人に宗教の教義をぶつけたところで、判ってくれる人間は、ほとんど居ません。だから、孤立してしまい、ますます宗教へとのめり込む要因となっていくのです。

ということで、長くなってしまったので、今日は、ここまでにします。続きは、次回です。


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