グリフォンの日記

時事のニュースについて書いていきます

朝鮮人の嘘つき実態

2010-03-22 21:27:07 | 国際・政治

春の乱心。吹き荒れる強風は、春の訪れ。自然の巻き起こす猛威に吹き飛ばされれば、人間のエゴなんぞ、まるで紙くずのようなものだ。

未だにテレビと言うのは、朝鮮人優位な報道が目立つ。ネットを見る人であれば、政治に興味を持ち、この国の在り方と言うものに考えを馳せるであろう。とはいえ、テレビを見る人間が減少しても、広告塔としては、優位なのは、間違いない。

だから、このブログを見ている人は、覚えて欲しい。それは、

1.竹島は日本の領土である。(戦後のどさくさで韓国が一方的に侵略した)

2.俗に言われる強制連行。実際、戦争時に徴用令で連れて来られたのは、245人。残りは、不法入国滞在者。(要は犯罪者。一応、朝鮮戦争時の難民っぽい扱い?で誤魔化している)

以下の記事が物語っている。

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■産経MSNより2/23の記事

「竹島は日本の領土であるとの公文書発見」

 日本と韓国が互いに領有権を主張する竹島問題で、韓国側が論拠としている「竹島はわが国と関係ない」とする明治政府の文書「太政官指令」の内容は、現在の竹島(韓国名・独島)を示すのではなく、朝鮮半島沖にある「鬱陵島(うつりようとう)」と判断できる島根県の行政文書が見つかったことが22日、竹島問題研究会への取材で分かった。研究者は「韓国側の主張が崩れる貴重な資料」と注目している。

 太政官指令は明治10年に作成され、「竹島ともう一つの島はわが国と関係がない」と記述しているため、韓国側は「日本が領有権を放棄した」と主張。しかし、明治政府発行の当時の地図では現在の竹島の位置に何もなく、朝鮮半島沖にある鬱陵島が「竹島」「松島」の2つの名前で書かれていることから、太政官指令での竹島はこれまでも鬱陵島を指すとみられていた。

 今回見つかった行政文書は島根県が所蔵し、太政官指令の5年後に作成された明治15年1月31日付の「県治要領」。杉原隆・県竹島研究顧問(71)が当時の外務省関連文書などを調べる過程で見つけた。

 この県治要領では、地元の士族が島根県に出した鬱陵島とみられる「松島」の開拓願いについて、内務省が「松島は朝鮮領」として不許可にした経緯を記述。そのなかに「前に指示した通りわが国に関係ない」という趣旨の記述があった。

 太政官指令と重なり合う内容であることから、太政官指令で表記された竹島は、県治要領で示す松島、つまり現在の鬱陵島とみられる可能性が一層強まったという。

 この問題では現在の竹島が日本領であることを示す19世紀のドイツ製の地図も複数見つかっている。

 同研究会座長を務める下條正男・拓殖大教授は「韓国側が太政官指令を頼りにしてきた論拠が崩れた」と評価している。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/100223/edc1002230654001-n1.htm

■チューリップテレビより3/8の記事 

「強制労働訴訟、朝鮮人側敗訴!」

第二次世界大戦の強制労働に対する補償を求めた、いわゆる「不二越訴訟」の控訴審判決で、名古屋高等裁判所金沢支部は8日、富山地裁の一審判決同様、日韓請求権協定により「個人の請求権は失われている」として、原告側の訴えを棄却しました。

 この裁判は韓国に住む金玉南(チョン・オンナン)さんら23人が、第二次世界大戦中に朝鮮半島から日本に強制連行され、富山市の不二越の軍需工場で働かされたとして、不二越と国に対して1億円あまりの慰謝料などを求めたものです。

 1審の富山地裁は、日韓請求権協定により、国と不二越には原告たち個人の請求に応じる法的義務はないとして、原告の請求を棄却し、原告側は控訴していました。この日の控訴審判決で、高裁金沢支部の渡辺修明裁判長は、強制連行や強制労働の事実については、さらに踏み込んだ形で認めたものの、一審判決同様、日韓請求権協定により個人の請求権は失われているとして、原告の訴えを棄却しました。

 これに対し原告側は不当判決だとして、閉廷後、支援者らとともに裁判所の敷地内で抗議し、警察が強制退去に乗り出すなど周辺は一時騒然としました。その後の会見で原告側を代表し、安喜洙(アン・ヒス)さんが声明を読み上げました。原告側は即日、上告しています。

http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/index.html?TID_DT03=20100308181642&MOVE_ON=1

■izaより3/11の記事
「徴用令によって連れて来られた朝鮮人は、わずか245人」

戦時中の徴用令によって日本に渡航し、昭和34年の時点で日本に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうち、わずか245人だったことが10日、分かった。自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相の資料請求に対し、外務省が明らかにした。

資料は34年7月11日付で、245人について「みな自分の自由意思によって日本に留った者または日本生まれだ。日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいない」と結論付けている。

 永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案の推進派は、在日韓国・朝鮮人が自分の意思に反し日本に住んでいることを理由の1つとして挙げてきた。

https://app.blog.ocn.ne.jp/t/app/weblog/post?blog_id=176404

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上記、潔さのない在日に比べ、本国、韓国人の方が、よっぽど歴史を勉強しているし、真実を包み隠さず、書いていらっしゃる。↓

朝鮮歴史館「日本人の皆さん、こんなことをした朝鮮人を許せますか?」

面倒を見てあげた朝鮮人孤児に惨殺された日本人一家

http://ameblo.jp/campanera/entry-10106764786.html

その他の歴史観、朝鮮人の目から見た朝鮮人など、現在の韓国の情勢を見ても、よく、ここまで書けるなぁと関心しました。


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