グリフォンの日記

時事のニュースについて書いていきます

無駄な時間と浪費

2008-01-12 00:46:35 | 国際・政治

今日は連投日。相も変わらず日本は、表面だけは平和だ。だからなのか、無駄な論議と理論がまかり通り「外国人参政権」なんぞという駄法を作ろうとする輩が、出てくるのだろう。そもそもこの法案は、”特定アジア”人の権利、主義主張を我々日本人に押し付けようとする法案に他ならない。
 
”今の時代は、国際化社会”であるから、”この法案ぐらい”と軽い気持ちで考える感性をお持ちなのは、田舎者が都会派暮らしに目覚めて、仲良しは良いことだと思い込む学生ぐらいの年齢であるならば、その主張もわからないでもない。しかし、良い歳をした人間。まして、議員にまで選ばれたものが、言う言葉ではないだろう。そして、その議員を選んだのが、政治に関心がないエゴ丸出しの人間達なのだから、余計に性質(たち)が悪い。小さな落とし穴ばかり見ていると、大きな落とし穴に落ちた事にすら気づかないだろう。
 

<民主 外国人参政権新グループ ソース:NHKニュース>
 
この議員グループは、民主党の川上義博、白眞勲の両参議院議員らが中心となって呼びかけているもので、これまでに党内の国会議員、およそ30人が参加を表明しており、今月中にも初会合が開かれる見通しです。議員グループでは、在日韓国人など、日本に永住している外国人に対し、市町村長や、地方議会の選挙などへの参政権を認めるための法案の取りまとめを進めるとともに、今月召集される通常国会にこの法案を提出することを目指して、党内で同調者を増やすなどの環境作りを行いたいとしています。ただ、民主党では、「地方議会が、国政上の重要課題について、意思表示する機会も多くなっている」として、日本国籍を持たない外国人に地方参政権を認めることに反対または慎重な議員も多く、今回の議員グループの結成は、党内に波紋を呼ぶことも予想されます。
 
http://www3.nhk.or.jp/news/2008/01/11/d20080111000009.html


自衛隊員を志す決意

2008-01-12 00:28:29 | 社会・経済
最近は、ニュースを見ないお陰で要らぬ情報をかき集めることが少なくなった。そのようなわけで、滅多に連投しなくなった、自分が今日は、連投してみたい衝動に駆られる記事を発見した。
 
阪神淡路大震災が発生してまもなく13年が経過しようとしている。当時は少年でも今は大人となり、自分に自信と誇りを持てる職業に就いたという心温まる話である。

<産経ニュースより抜粋>
 
平成7年1月17日午前5時46分。当時、小学3年生だった陸上自衛隊第3特殊武器防護隊所属の安藤良平陸士長(22)=兵庫県伊丹市=は、神戸市兵庫区中道通で被災した。自宅のあった3階建てのマンションは全壊。中道地区は倒壊家屋が多く、犠牲者は70人以上に及んだ。
 
 3階の一室に家族4人で住んでいた安藤さんは、崩れ落ちたがれきの下敷きになった。けがはなかったが、倒れかかったタンスと壁の隙(すき)間に入り込み、救助されたのは発生から半日以上経った午後6時前。避難所となった近くの小学校で、父親の政弘さん(52)に抱きかかえられていたとき、ようやく意識が戻った。
 
 地域住民らが身を寄せ合う真冬の小学校。ビニールシートと木材で校庭に建てられた仮の住まいで約3カ月間、避難生活を送った。その間、相手をしてくれたのは、避難所を毎日訪れる若い自衛隊員だった。隊員はときに遊び相手になり、話し相手になってくれた。来るのは昼過ぎの給水時間。生活再建の悩みなどで重苦しい雰囲気の避難所で、隊員は優しく、頼もしい「お兄ちゃん役」だった。
 
 そんな自衛隊員が「命の恩人」だと知ったのは、約2年後の小学5年生のころ。半日以上も意識が戻らなかった息子を心配してか、震災のことをほとんど語らなかった父が教えてくれた。
 
 苦しい時に手を差し伸べてくれる頼もしい人-。避難所の優しいお兄ちゃんと命の恩人がひとつに重なったとき、安藤さんは自衛隊員になると誓った。
 
地元の高校を卒業後に入隊。訓練は想像以上に厳しかったが、「人を助ける人間になるには必要」と言い聞かせた。配属先は、放射能汚染や洪水災害後の防疫、消毒作業などを行う化学科を希望。危険な仕事だが、困った人を真っ先に助ける職種に思えたからだ。
 
 今春で自衛隊員になって丸4年になる。各地で地震、水害が頻発するが、災害現場への出動経験はまだない。それでも日々の訓練を通し、1人の被災者を救助することでさえ難しいことを知った。
 
 責任の重さも痛感している。知人に自衛隊員になったと言うと、必ず「頑張れ」と励まされる。13年前の自分と同じように、自衛隊員に助けられた被災者は多い。「がれきの下から助け出された自分だからこそ、いまの仕事に生かせることがあるはず」と話す。
 
 震災から間もなく13年。うれしい知らせも届いた。救出してくれた隊員が見つかり、16日午後、自宅跡地で再会するという。そのとき、こう伝えたいと思っている。
 
 「あなたと同じ自衛官になりました」

http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080111/dst0801112205005-n1.htm