アメリカの国立公園、イエローストーンの名所の一つに見事な間欠泉がある。
そこでは2時間に一度の周期で30メートル以上まで空高く熱湯が噴き出すのだ。
http://blog.so-net.ne.jp/TAKA/2005-08-10-1
http://www.nps.gov/yell/pphtml/subnaturalfeatures23.html
http://okamot.com/mt/archives/000965.html
しかし、この見事な自然現象を一部の観光客は決して信じようとしない。
そして彼らは
「あれはね、職員がボタンを押すと空気圧で水が噴き出す仕組みになっているんだよ。
あんな子供だましにひっかかるなんて、君たちは単純だね」
などと言って、だまされやすい観光客を笑うのである。
このデマの始まりは、学生たちのイタズラという説がある。
公園のガイドが間欠泉の素晴らしさを力説する後ろで、彼らは観光客にだけ見える位置に立ち、熱湯が吹き出る直前に地面に置いたハンドルを回してみせたのである。
観光客には、その学生がハンドルを回したから水が噴き出たように見えた。
*************
さて、たとえば貴方は今から詐欺師を始めたいと思っていたとしよう。
まず貴方は「儲けるためなら悪賢くないといけない」と考えているようなカモを探し出す。
通販でイカサマグッズを買っていたり、酒場でつまらない八百長を自慢しているような奴がターゲットだ。
そしてそのカモの目の前で、本物のお札を「精巧な偽札」と言って羽振りよく使ってみせるのだ。
銀行で偽札を両替してみせて、その精巧さを自慢してもいいだろう。なにせ本当は本物のお札なのだから、必ず両替してくれる。
やがてカモが偽札のできばえに感心し、興味を示したら、次の段階に進む。
カモに次のような商談を持ちかけるのだ。
「この偽札を大量に購入する予定だが、お前も参加しないか?偽札100万円につき1万円で、5億円分の偽札をお前にゆずろう。
今見たとおり超精巧な偽札だ。絶対にばれない」
あとはカモが持ってきたお金を預かり、「交換してくる」と言ったまま逃げればいい。
この詐欺は被害者にも後ろめたいことがあるので表面化しづらく、表ざたになるのは1%から10%程度だという。
計画の大筋は以上の通りだ。あとは通販を利用したり、段階を増やしたりと、細かい所を工夫すればいいだけだ。
ここで紹介した超有名な古典的詐欺は、相手の倫理観の欠如やエゴを利用した詐欺で、ペテン師たちは「俺たちの被害者は悪人だけだ」と嘘吹くのである。
もちろん善人だってペテン師の被害者になる。
しかし正直者よりも小賢しい人間の方がだましやすいのも確かなことである。
*************
私は「詐欺とペテンの大百科」という本でこれらの話を知ったのだが、この本には上のような話が大量にのっている。
この本を読んで実感することは「大衆のほとんどは危険を危険として理解できない」ということである。
1875年、新聞編集長のパウェルは、詐欺広告の氾濫を不快に思い、それらの広告を皮肉る意図で自分の新聞に次のような投資者募集の広告を出した。
金持ちになる素晴らしいチャンスです。
レイコンにネコ10万匹の牧場を開設します。1日に5000匹のネコの皮がとれ、10万ドルをかせげます。
ネコの餌は何でしょうか?
隣にネズミ100万匹の牧場も開設します。1日にネコ1匹につきネズミ4匹を与えられます。
ネズミの餌は何でしょうか?
ネズミには皮をはがれたネコの死体を与えます。
分かりますよね!
ネコにはネズミ、ネズミにはネコを食べさせれば、ただで皮が手に入るのです。
準備、維持、需要、バカバカしさ考えれば、明白に実現不可能な投資計画である。
パウェルは人々がこの皮肉を読んで冷静になってくれることを望んだが、翌日にやって来たのは熱狂的な投資志願者たちの群れであった。
*************
今やすっかり有名になったオレオレ詐欺だが、この詐欺は昔からあったものである。
約10年前に私は、上岡龍太郎氏が司会を務める過去の事件の再現番組で、この電話応答の盲点をついた「オレオレ詐欺」を面白おかしく紹介しているのを見たことがある。
現代のオレオレ詐欺師たちは過去の事件を参考にして始めたと予想される。
詐欺の手口を紹介すれば、人々は警戒してだまされなくなる。
詐欺の被害を紹介する番組は、そういう啓蒙効果を狙っていたのだろう。
確かにそれで啓蒙されてだまされなくなる人はいる。
しかし一方で、だまされる人は、どうしてもだまされてしまうものであり、結局この啓蒙活動は犯罪者予備軍に詐欺のやり方を指導したという面もある。
オレオレ詐欺が激増したのも、報道を見てマネをする犯罪者が続出したせいであるのは確実だ。
啓蒙のむなしさを実感してしまう。
*************
しかし、これを書いている私だって、だまされやすい人間の一人である。
過去にだまされた件をあげればきりがない。
縁日の屋台のたわいもないペテンから、生命財産の危機まで、実に多くだまされている。
人間はだまされるようにできている生き物である。例外はない。
大衆ではない個人などいないのである。
そして、だまされるとは、他人を無条件に信用した結果に起きることである。
しかし社会の多くのシステムは、相手を無条件に信用することで成立している場合がある。
貨幣の真贋、相手の発言の裏、口約束の確実性、商取引の過程、書類の真偽。
これらの全てに慎重な考察と検証が必要な社会は、その効率性を著しく落とし、停滞することであろう。
相手を信用することで社会は成立する。
「だまされること」と「人間の英知」は表裏一体の関係にある。
度を越して怪しい話にだまされないように気をつける必要性はあるが、「だまされる」=「愚かさ」だと思い、自分は愚かさとは無縁だと考えているのならば、思わぬところで足をすくわれることになるであろう。
そこでは2時間に一度の周期で30メートル以上まで空高く熱湯が噴き出すのだ。
http://blog.so-net.ne.jp/TAKA/2005-08-10-1
http://www.nps.gov/yell/pphtml/subnaturalfeatures23.html
http://okamot.com/mt/archives/000965.html
しかし、この見事な自然現象を一部の観光客は決して信じようとしない。
そして彼らは
「あれはね、職員がボタンを押すと空気圧で水が噴き出す仕組みになっているんだよ。
あんな子供だましにひっかかるなんて、君たちは単純だね」
などと言って、だまされやすい観光客を笑うのである。
このデマの始まりは、学生たちのイタズラという説がある。
公園のガイドが間欠泉の素晴らしさを力説する後ろで、彼らは観光客にだけ見える位置に立ち、熱湯が吹き出る直前に地面に置いたハンドルを回してみせたのである。
観光客には、その学生がハンドルを回したから水が噴き出たように見えた。
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さて、たとえば貴方は今から詐欺師を始めたいと思っていたとしよう。
まず貴方は「儲けるためなら悪賢くないといけない」と考えているようなカモを探し出す。
通販でイカサマグッズを買っていたり、酒場でつまらない八百長を自慢しているような奴がターゲットだ。
そしてそのカモの目の前で、本物のお札を「精巧な偽札」と言って羽振りよく使ってみせるのだ。
銀行で偽札を両替してみせて、その精巧さを自慢してもいいだろう。なにせ本当は本物のお札なのだから、必ず両替してくれる。
やがてカモが偽札のできばえに感心し、興味を示したら、次の段階に進む。
カモに次のような商談を持ちかけるのだ。
「この偽札を大量に購入する予定だが、お前も参加しないか?偽札100万円につき1万円で、5億円分の偽札をお前にゆずろう。
今見たとおり超精巧な偽札だ。絶対にばれない」
あとはカモが持ってきたお金を預かり、「交換してくる」と言ったまま逃げればいい。
この詐欺は被害者にも後ろめたいことがあるので表面化しづらく、表ざたになるのは1%から10%程度だという。
計画の大筋は以上の通りだ。あとは通販を利用したり、段階を増やしたりと、細かい所を工夫すればいいだけだ。
ここで紹介した超有名な古典的詐欺は、相手の倫理観の欠如やエゴを利用した詐欺で、ペテン師たちは「俺たちの被害者は悪人だけだ」と嘘吹くのである。
もちろん善人だってペテン師の被害者になる。
しかし正直者よりも小賢しい人間の方がだましやすいのも確かなことである。
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私は「詐欺とペテンの大百科」という本でこれらの話を知ったのだが、この本には上のような話が大量にのっている。
この本を読んで実感することは「大衆のほとんどは危険を危険として理解できない」ということである。
1875年、新聞編集長のパウェルは、詐欺広告の氾濫を不快に思い、それらの広告を皮肉る意図で自分の新聞に次のような投資者募集の広告を出した。
金持ちになる素晴らしいチャンスです。
レイコンにネコ10万匹の牧場を開設します。1日に5000匹のネコの皮がとれ、10万ドルをかせげます。
ネコの餌は何でしょうか?
隣にネズミ100万匹の牧場も開設します。1日にネコ1匹につきネズミ4匹を与えられます。
ネズミの餌は何でしょうか?
ネズミには皮をはがれたネコの死体を与えます。
分かりますよね!
ネコにはネズミ、ネズミにはネコを食べさせれば、ただで皮が手に入るのです。
準備、維持、需要、バカバカしさ考えれば、明白に実現不可能な投資計画である。
パウェルは人々がこの皮肉を読んで冷静になってくれることを望んだが、翌日にやって来たのは熱狂的な投資志願者たちの群れであった。
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今やすっかり有名になったオレオレ詐欺だが、この詐欺は昔からあったものである。
約10年前に私は、上岡龍太郎氏が司会を務める過去の事件の再現番組で、この電話応答の盲点をついた「オレオレ詐欺」を面白おかしく紹介しているのを見たことがある。
現代のオレオレ詐欺師たちは過去の事件を参考にして始めたと予想される。
詐欺の手口を紹介すれば、人々は警戒してだまされなくなる。
詐欺の被害を紹介する番組は、そういう啓蒙効果を狙っていたのだろう。
確かにそれで啓蒙されてだまされなくなる人はいる。
しかし一方で、だまされる人は、どうしてもだまされてしまうものであり、結局この啓蒙活動は犯罪者予備軍に詐欺のやり方を指導したという面もある。
オレオレ詐欺が激増したのも、報道を見てマネをする犯罪者が続出したせいであるのは確実だ。
啓蒙のむなしさを実感してしまう。
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しかし、これを書いている私だって、だまされやすい人間の一人である。
過去にだまされた件をあげればきりがない。
縁日の屋台のたわいもないペテンから、生命財産の危機まで、実に多くだまされている。
人間はだまされるようにできている生き物である。例外はない。
大衆ではない個人などいないのである。
そして、だまされるとは、他人を無条件に信用した結果に起きることである。
しかし社会の多くのシステムは、相手を無条件に信用することで成立している場合がある。
貨幣の真贋、相手の発言の裏、口約束の確実性、商取引の過程、書類の真偽。
これらの全てに慎重な考察と検証が必要な社会は、その効率性を著しく落とし、停滞することであろう。
相手を信用することで社会は成立する。
「だまされること」と「人間の英知」は表裏一体の関係にある。
度を越して怪しい話にだまされないように気をつける必要性はあるが、「だまされる」=「愚かさ」だと思い、自分は愚かさとは無縁だと考えているのならば、思わぬところで足をすくわれることになるであろう。