玄文講

日記

ネット右翼論

2005-09-02 23:13:21 | メモ
Schwaetzerさんが私の記事に対してコメントをくださいました。

それで今日はSchwaetzerさんの以下の記事を読んで、私が思ったことを書き連ねてみたいと思います。

ネット右翼は「何か特定の信条・信仰をもっているわけでもなく、また特定の団体・組織にも属していないという認識」を持っているがゆえに、容易に左にも右にもずれ、かつそのことにまったくといっていいほど自覚がない。その点は、ぜひとも指摘しておきたいですね。

[ネット右翼]ネット右翼論の決定版

同感です。
現在、ネット右翼と呼ばれている人たちは、決して思想的に右寄りでも左寄りでもないと私も思っています。

確かに彼らは周囲の環境に応じて、右にも左にも行きやすい人たちに思えます。
たとえば、あの「戦争論」で有名な小林よしのり氏も、少し前は「左の人」でした。そして「右の人」になった今でも、その本質的なところは「左の人」だったときと同じに見えるのです。

その本質的なところと言うのは、すぐに興奮する正義漢なところや突飛な理想主義者であるという点なのですが、それは現在のネット右翼の人たちにも共通している点だと思っています。

「おいらブログ」さんが言うように、彼らは右と言うよりもむしろ

平等主義・人権主義・非差別主義・人道主義・国際協調主義・反戦主義・非核論者

という左派とよく似た思想を持っている人が多いように思えます。
生まれるのが20年早ければ、学生運動に参加したかもしれません。

差別主義者と思われがちな彼らは、むしろ差別を憎んでいたりします。
もともと、彼らの怒りは「日本人への差別」が原因だったりするのですから。



そんな右にも左にも行きやすいという彼らの性質は、どこから来ているのでしょうか?
それは、彼らが身近で起きていることに対して「同情的」になりやすい、ということが原因なのだと私は考えています。

ところで「寛容」と「同情」の違いについて、こんな面白い言葉があります。
ローマ皇帝ネロの元・家庭教師で、後に反逆の罪で自死させられた哲人セネカの言葉です。

同情とは、現に眼の前にある結果に対しての精神的対応であって、その結果を産んだ要因にまでは心が向かない。

これに反して寛容は、それを産んだ要因にまで心を向けての精神的対応であるところから、知性とも完璧に共存できるのである。


(塩野七生さん「悪名高き皇帝たち第四章」から引用)


今の雰囲気(「空気」とも言いますが)は、韓国や支那の反日的な行動についてのニュースが多い環境になっています。
ネットではそういうニュースだけを熱心に探して人気を集めているブログもたくさんあります。

これが今、眼の前にあることであり、右でも左でもない普通の人たちがそういうニュース、情報に対して反応するわけです。

先月に実家に戻った際にも、政治に無関心で、友人、知人に韓国人、支那人が何人もいる私の父が、かの国への怒りをもらしたので、私は驚きました。
そういう話題を口にしたのを、26年間の付き合いで始めて見たのですから。

それで何日かして、私は納得したのです。
「こうも毎日ニュースで相手側の憎悪を見せつけられては、こちらも反感を抱かざるをえないのであろう。
ニュースも新聞もまったく見ない私とでは負の感情の蓄積量がまるで違うのだ」と。

彼らの行動の原因に眼を向ければ、単なる文化の違いであったり、善悪の問題に帰すことのできない経済上の対立だったりします。

たとえば彼の国の政府の傲慢な態度に怒る人がいます。
ですが外交は無理矢理にでも自分の正当性を訴えるものであり、武力を使わない戦争なのですから、相手が強硬に出るのは当然のことです。日本も遠慮せずにやり返せばいいだけだ、と私は思うわけです。

たとえばスポーツでのサポーターの態度を見て、日本人は嫌われているのだと不愉快になる人がいます。
ですがスポーツにおいて敵チームに紳士的なサポーターなんて圧倒的少数です。嘆くことはないのです。
むしろ勝利することで敵チームの嫌なサポーターを悔しがらせてやるのも、スポーツの醍醐味ではないでしょうか。

最後の2つは個人的すぎる意見なので反対する人も多いと思いますが、彼らの行動の理由を探れば怒りもそれほど感じず、どう対応するべきかを考えられるようになると思うのです。

ですが毎日、反日という結果だけを見せ続けられれば、寛容も失い、結果への精神的対応に傾いてしまうのもありえる話です。

昔は左寄りの情報が多く、今は右寄りの情報が多い。どちらに転ぶかは、そんな環境の違いに影響を受けているだけだったりするのではないか。と私は考えているのです。

(9/1追記)

上で嫌韓、嫌中の人が小林よしのり氏に似ていると書きましたが、彼らの中には小林よしのり氏を支持しない人も多いと思います。

暑苦しい正義感は、皮肉屋の多いネットでは敬遠されるからです。
「自分は冷徹なマキャベリズムを以って、純粋に国益という観点から、韓国や支那を批判しているのだ」
という人もいる気がします。

問題は、そんな彼らも結局はすぐに激高して、憎悪をつのらせることです。
つまり「同情」しやすいわけです。