玄文講

日記

陰鬱日記3

2005-07-07 13:45:14 | 個人的記録
さて、私はバカなのであるが、どういう種類のバカなのか説明したい。

まずバカには社会的なバカと能力的なバカがある。
この2つは明確に区別できるものではないが、「仕事はできるけど、性格が破綻している」というのが社会的なバカである。
もっとも多くの場合、能力があり、教養もある人は、社会性にも優れていることが多い。
教養は自信となり、スタイルとなり、他人に対して余裕を持てるようになるからであろう。

ところで、二極化と言うべきだろうか。私の知る限りでは、頭が良い人は性格も良く、かつ体力もあり、ケンカも強かったりする。一方では、頭も性格も悪く、かつケンカも弱いというグループがいる。せめて後者はケンカだけでも強くていいはずなのだが、不思議である。

ちなみに、私の社会的なバカさは「共感能力」の欠如である。
だが、今回は私の能力面でのバカに話を絞りたい。

まず私は記憶力がない。
記憶にも様々な種類があるが、私の場合エピソード記憶能力、思い出を維持する能力が低い。
つまり他人の顔、名前、自分とのかかわりが思い出せないことが私にはよくある。
たとえば高校時代、夏休みがあけると私は同級生のほとんどの顔を忘れていた。
ある日、家の中に知らない女の人がいたが、それは私の姉だった。一年くらい会わないと肉親の顔さえ忘れてしまうのだ。笑ってしまう。

知識記憶力もそれほど高くはない。たとえば、この玄文講の昔の記事を私は書いた覚えがない。なにせ私の知らないことが書いてあるのだから。
私は自分で自分の文章を「へー、知らなかった。勉強になるなー」と思いながら読んでいたりする。バカである。

記憶力の欠如は、つまり知識を豊富に必要とされる仕事に私が向かないことを意味する。
膨大な知識の土台があってこそ成立する職業、弁護士や医者には確実になれない。

また私は頭の回転も早いとは言えない。記憶力のように異常に低いわけではないが、私の周囲の秀才たちと比べると圧倒的に低い。
噛んで含めるように説明されないと、何事も理解できない。
講演会やセミナー、講義に出ても話の速さについていけない。私にものを教えてくれるのは、いつも本だけである。
本は私が何時間考えていても、その場で私を待っていてくれる。

頭の回転が遅いということは、迅速な判断が求められる仕事に私が向かないことを意味する。
知識の吸収効率の悪さも問題だ。入力に時間がかかり、その上忘れてしまうので出力もできない。

他にも細かい欠点は多いが、私の無能の大部分は記憶力の欠如と頭の回転が悪いことに由来する。
ただ能力面に限れば、(バカ=仕事ができない)とはどこまでも相対的な概念である。
たとえば同僚の院生は、プログラミングにおいては優秀だが、営業なんかをさせれば間違いなくバカになる。
自分のバカが目立たない仕事をすれば、バカにならないですむ。
私の場合、それは多くの知識が要求されず、納期が十分にありゆっくり腰を据えて取り組める仕事である。

他にも色々書こうとも思ったが、自分のことを延々と説明するのもバカバカしいのでやめにしたいと思う。
たかが自分のことに文字を浪費することもない。
要は私はこの致命的な欠陥をとりつくろいながら生きていけばいいということである。

(追記:明日から急ぎの仕事で実家に戻るので、来週まで更新できないかもしれません。)