玄文講

日記

多忙なときほど、どうでもいいことを考える

2006-01-27 20:42:44 | 個人的記録
私は博打に負けて約30万円を損した。残念ではあるが予定外の出来事ではない。

それで損失を取り戻すためバイトをすることになった。
しかし、バイトとは言っても祖父からの依頼を受けるだけである。
だが、祖父とは言っても私と血の繋がりはない。
そういうわけで今年、私は中華人民共和国へ行くことになった。中国語を覚えなくてはいけない。
ウォウシィリィベンレェン

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自動車学校を卒業した。
もちろんオートマ限定だ。それでも規定時間を10時間くらいはオーバーした。
私の運転技術はまだまだ未熟である。
だから私は今後も経験を積み状況判断能力を養い、油断せずに安全運転を心がけ、死亡事故に伴う責任と遺族の悲しみの重さを忘れずに、人を殺さないように気をつけなくてはいけない。

ところで話は変わるが、車は暗殺には最適の武器であると私は思う。
それは殺傷能力という意味においてだけではなく、不自然さがないという意味においても最適なのである。

つまりそれはこういうことだ。
まず暗殺者は依頼を受けて、対象をひき殺す。殺意を疑われないように、相手が死亡したのを確認してから救急車を呼んでもいい。
これは見かけ上は年間8000件ほど発生している普通の死亡事故である。
誰も「普通の事故」を暗殺だとは思いはしないであろう。

依頼人との接点を洗われない限り、この暗殺は「業務上過失致死」で終わる。
「業務上過失致死」の刑期は比較的短い。
酒酔いや無免許や2人以上の人を殺しでもしない限り、懲役5年くらいが相場であろう。
暗殺でつかまるリスクを考えれば、さっさと事故として捕まり短い刑期を過ごしたほうが得である。
警察は未解決の事件にはすさまじい執念を燃やすが、一度解決した事件にはとても無関心になる。
だから暗殺として捜査されるよりは、単なる事故としてさっさと解決してもらった方が安心だ。

遺族への保障はあらかじめ多めに保険に入っておいてまかなうことにする。足りなくても表向きの収入を納めればいい。
そして褒賞は裏で依頼人から貰うのである。もちろん懲役5年がチャラになるくらいの多額の褒賞を貰えるように依頼の段階で交渉しておかなくてはいけない。
あとは失踪して他人の戸籍を買って外国で暮らせばいい。
依頼主としても失踪してくれた方が安心であろう。

もっとも不自然さが出ないようにひき殺すには、それなりの運転技術が必要だろうから私にはできない話である。
私の運転技術はまだまだ未熟である。
だから私は今後も経験を積み状況判断能力を養い、油断せずに安全運転を心がけ、死亡事故に伴う責任と遺族の悲しみの重さを忘れずに、人を殺さないように気をつけなくてはいけない。

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しかし、よく考えると、どうしても上の暗殺は成功しがたいものであることに気がついた。

何故なら、そこには需要と供給の溝があるからだ。
まず依頼主と暗殺者を結びつけるには、どうしても多くの仲介を必要とする。
何故なら依頼主は誰が自分の依頼を受けてくれるか分からず、暗殺者は誰が誰を殺してほしいのか知らないからである。
この需要と供給の不均衡を解消するには、どうしても彼らを結びつける仲介役の人間が必要になる。
しかしそれは仲介者への謝礼というコストを増大させ、接点も大幅に増やしてしまう。つまりばれる可能性が大きくなる。
そもそも普通の人は仲介役を探すのだけで一苦労である。(もっとも普通の人は暗殺者を雇ったりはしないと思うが。)

だから、この暗殺が成功するためには次の条件を満たす必要がある。

「依頼主は暗殺者と面識はない。それ以前に依頼主は暗殺者に暗殺を依頼さえしていない。だからもちろん何の見返りも暗殺者は受け取ることができない」

つまりこれはボランティアとしての暗殺である。
しかし依頼なき依頼主などというものは、はたして存在しうるであろうか?
依頼もないのに、誰が誰を殺したいのか分かるものだろうか?

それが分かる場合があるのである。
それは犯罪被害者である。

たとえば強姦目的の18歳の青年に妻と赤ん坊を殺された男性がいる。
この青年は未成年であるがゆえに死刑をまぬがれた。
そして生き残った男性は、はっきりと「殺してやりたい」と明言していた。
愛する者を下らない欲望のために殺された男性としては、この青年の死を願うのは当然であろう。

これで依頼は成立である。

復讐とは死んだ者のためにするのではなく、生きている者の心を慰めるために行うのである。
しかし復讐は、実行者の精神も肉体も社会生活もボロボロにしてしまう。
だが復讐をしなくては心が安らぐことはないのである。特に残された家族のない人間にとっては復讐を忘れさせてくれるものはない。
復讐とは、するも地獄、しないも地獄なのである。

そこでボランティアの出番である。
復讐はなされる。しかし被害者の負担はない。
それが「依頼なき暗殺代行」である。
第三者が勝手に被害者の心情を汲み取り、勝手に事故に見せかけて殺すのである。
被害者は後日、加害者が単なる不幸な事故で死んだことを知るだけである。誰かが自分のために暗殺を代行したことを知ることは永遠にない。

だがボランティアとは常に相手の気持ちを考えて行うべきであり、独りよがりの自己満足な行為で終わってはいけない。
だから暗殺者は、まず本当に被害者が加害者の死を望んでいるか確認しないといけない。これは慎重に確かめるべき事柄である。
また被害者が、どのような復讐を望んでいるかも知らなくてはいけない。
たとえば被害者が加害者を生け捕りにして、あらゆる拷問を行い、じわじわなぶり殺すつもりならば、こちらが勝手に殺してしまうのは余計なお世話であろう。
暗殺は、被害者が単に「加害者が生きているのが我慢できない。なんでもいいから、とにかく死んでほしい」と思っている場合に行われるべきである。

もっとも私にはボランティア精神はないので、このような暗殺を実行することは絶対にないのである。

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現在の私は博士号を取るために公聴会の準備をしている。

だから、忙しい。

だけど忙しいときほど上記のような、どうでもいいことばかりを考えてしまうのである。

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