玄文講

日記

Ω

2005-08-04 00:25:41 | 怪しい話
そもそも私には、時間や空間とは実在なのか、もしくは、たんなる運動の様子を測るためのパラメーターに過ぎないのかが分からないのである。

「パラメーターに過ぎない」という言葉の意味は、「物の運動と静止を離れて時間を感ずる事はできない」ということである。
時間や空間は運動を表現するための従属的な概念に過ぎないという可能性のことである。


また相対論では時間と空間を結びつけて時空としている。ローレンツ変換により、空間座標3次元と時間座標1次元は相互に依存している。それをもって時間と空間は等価なものであるとみなす人もいる。

しかし、現実に観測される時間と空間の性質(単位)は明確に異なっており、その理由はよく分からない。

時間について分からないことはいくらでもある。

なぜ時間は1次元なのだろうか?
2次元空間や3次元空間というものがあるように、2次元時間や3次元時間は存在しないのだろうか?

仮定1;
1次元ということは時間の本質的な性質である。2次元になれば、それはもはや時間ではない。

仮定2:
2次元以上の時間も可能である。

理論的には2次元や3次元の時間を持った理論を作ることもできる。
私の知人は時間も高次元でありえるという立場で研究している。仮定2の立場だ。
しかし現実に観測されている時間は、どうして1次元だけなのかは不明だ。

もし時間が2次元あれば

「おい、お前。なんで昨日、待ち合わせの時間に駅前に来なかったんだよ」

「ああ、悪い、悪い。間違えて1st時間方向の10時じゃなくて2nd時間方向の10時に行っちまってさ。オレも駅前でずっとお前を待ってたんだよ」

なんて会話も可能になる。

「そういえば、最近、田中の奴見ないな?」

「ああ、あいつなら去年から2nd時間方向に行ってるよ。それで毎日ここに来ているらしいぜ」

なんて事態も起こりうる。
もともと相対論以前から私たちは時間を空間と同じような感覚で扱っている。
しかし、時間は空間ではない。その理由が私には分からない。

また、なぜ時間は一方向にしか流れないのだろうか?
空間ならば、上下、左右、前後に進むことができるのに、時間ではなぜ空間と同じように戻ることができないのだろうか?
それは世界があまりにも複雑だから、見かけ上は全てのものが一方向に進んでいるように見えるだけなのである。エントロピーのせいである。
熱統計の影響を無視すれば、時間も未来と過去の区別がない同じものとして扱われる。

たとえば真空中で摩擦もなく、止まることなくゆれ続ける振り子を録画しておいたとする。
私たちは、その映像を早送りにしても、巻き戻しても、その2つを区別することができないであろう。
運動は時間の反転に対して不変である。

過去から未来へ行くのと、未来から過去へ行くのは同じことである。
時間の一様性と呼ばれるこの性質は、エネルギー保存則という物理の基本法則と(ネーターの定理によって)関係している。よって未来と過去の対称性は基本法則に裏打ちされた揺るぎない考え方である。

だが中性K中間子の崩壊では、この時間対称性が破れることが知られている。
CPT不変性(Cは電荷のプラスとマイナスの対称性、Pはパリティ遇奇の対称性、Tは時間の未来と過去の対称性である)を要求すると、CP不変性が破れる現象が観測されており、CPTが不変であるためにはTを破ることでCPの破れを相殺する必要があるのだ。


次の疑問は時間が実在するとしたら、それがどの程度の普遍性を持っているのかということだ。
過去というものは保存されいるのだろうか?未来というものは既に実在しているのだろうか?
そしてこの2つの問いかけは同じことを意味するのだろうか?


スティーブンキングの「ランゴリアーズ」では牙の生えたパックマンみたいな野郎が、過去を食べる生き物として登場していたのを私は思い出す。
過去は永遠に存在し続けるのか、消えてしまうのか?
もし過去が保存しないのならば、タイムマシーンなんてものは不可能になる。そこに過去はないのだから。

チベット密教では時間は未来から流れるものだと言う。
ファインマン図においては、反粒子は未来からやってくるように見える。
ミクロなレベルで、熱統計の影響を無視して、現在だけを見たとき、過去から来たものと未来からきたものを私たちは区別できない。

未来から時間が来るという言い方は、未来が既に存在していないと不可能だ。
ではそれが本当だとして、どこまで先の未来がこの世には存在していることになるのだろうか?

それと時間の対称性が破れるのならば、過去は存在するが、未来は存在しないと言うことが可能になるのだろうか?

しかし未来と過去を等価とするのならば、過去がないということは未来がないというのと同じことだ。
もしも過去が壊れるものならば、未来はその場しのぎに作られては、過去として壊されるものでなくてはいけない。
時間は生成消滅を繰り返していることになるのだ。

何かが必要なだけの未来を作っては過去として壊しているのか?
それとも永遠の過去と未来が既に世界には実在しているのか?
そもそもこういう考え自体が根本的に何かを勘違いした戯言に過ぎないのか?
時間なんて実在しないのか?



空間はどうだろうか?
空間は無限に存在しているのだろうか?
宇宙に果てはあるのだろうか?

宇宙に果てがあるのならば、時間にも果てがあるのだろうか?
ホーキングの理論がこの問題を考えていたような気がするが、私は知らないのでコメントできない。
宇宙が閉じていて、虚時間がどーのこーのというやつだ。


疑問はいくらでもある。

そもそも重力とは空間の歪みであると言うが、空間とは何なのだろうか?

時間や空間は連続な量(アナログ)なのだろうか?デジタルに量子化されるべきものではないのだろうか。

本当に時間と空間は並べて考えるべき対象なのだろうか?

空間と対峙させるべき概念は他にあり、実は時間はその何かの従属物に過ぎないということはないのだろうか?
物理法則から時間を追放することはできないのだろうか?
空間の代わりになりそうなものなんて思いもつかないが、時間の代わりになりそうなものならば見つけられそうな気がする。
しかし、これは妄想だ。
(続く)