世界は何からできているのだろうか?
こう訪ねられたら、何と答えるべきだろうか?とりあえずは
「世界は素粒子からできている」
と答えるのが無難であろう。
素粒子は別に粒子でなくても、振動をしている紐でもよい。
とにかく「物質を構成する最小要素」という定義さえ満たしていれば何でもいい。
ギリシャの哲学者が「原子」という概念を生んで以来、呼び名は変われど、私たちは今でもそれを求め、考え、探し続けているのである。
しかし世界は物質だけからできているわけではない。
この世には重力や電磁力といった「場」と呼ばれるものも存在している。
これらの力は物質ではないが、確実に世界に存在している。
しかし実は、力なる存在も素粒子で説明することができる。
たとえば電磁力。これは2つの電子が光子を交換する過程で生じた力だとみなせるのだ。
つまり場とは素粒子のやりとりで生まれるものなのである。
「有名な湯川博士」の中間子理論は核力の原因となる「中間子」を予言した理論である。
これも「場」を生む素粒子の一つである。
このように「物質」も「場」も素粒子で説明することができる。
素粒子物理学では「物質」である素粒子、電子や陽子のことをフェルミオンと呼ぶ。
そして「場」である素粒子、光子や中間子のことをボソンと呼ぶ。
正確にはフェルミオンやボソンは素粒子の持つ可換性や統計の性質による分類なので、電子2つがボソンのように振る舞うこともある。そういう現象が超伝導で観測されている。
ちなみに量子力学は、波だと考えていた「場である光」が実体を持った粒子として振る舞い、実体を持った粒子だと考えていた「物質である電子」が波として振る舞うという現象を説明する過程で生まれた学問である。
とにかくこれで世界を構成する要素は全て素粒子から成ると言えたことになる、、、のであろうか?
世界というのは「物質」と「場」だけのことを言うのだろうか?
時間や空間はどうであろうか?
これは世界の構成要素の一部ではないのか?それともそれは、質量がエネルギーで説明できるように、別の何か(素粒子)で説明されるべき枝葉の概念にすぎないのだろうか?
この答えを知るためには重力理論の完成を待たなくてはいけない。
なぜなら重力理論とは時空の理論でもあるからだ。
しかし、ここでは無理やり考えてみる。
重力を説明する相対論は古典理論に過ぎない。量子力学の成果を取り入れた重力の理論はまだ完成していない。
それは、つまり、素粒子物理学では重力をまだ説明できていないことを意味する。
先ほど「場」は素粒子で説明できるとした。
だから、もちろん「重力場」も素粒子で説明できるはずである。
そこで私たちは未だ観測されていない未知の粒子、スピンが2で質量を持たないグラビトンという素粒子を仮定している。
流行の弦理論は、このスピンが2で質量を持たない「紐」を出発点にして重力理論を説明しようとしている理論だ。
しかし、実験の助けを得られず、真偽を証明できない理論に対しては、素粒子物理学者からも多くの疑問が寄せられている。
私は、弦理論は真実を含んでいると思ってはいるが、真実を知るため唯一の道ではないとも思っている。
それでは、別の道とは何だろうか?
弦理論には相対論で言うところの「等価原理」に相当するものがない。
粒子や紐的なアプローチでは時間や空間とは何かについて今ひとつ考察できていない。
量子力学の原理にも何らかの修正をしなくてはいけないのかもしれない。
これらについての考察が、きっと別の道を作ってくれることだろう。
現在ある重力の理論では、ペンローズのスピノール理論が興味深いという評判は聞いたことがあるが、私はそれを知らないので何とも言えない。
(続く)
こう訪ねられたら、何と答えるべきだろうか?とりあえずは
「世界は素粒子からできている」
と答えるのが無難であろう。
素粒子は別に粒子でなくても、振動をしている紐でもよい。
とにかく「物質を構成する最小要素」という定義さえ満たしていれば何でもいい。
ギリシャの哲学者が「原子」という概念を生んで以来、呼び名は変われど、私たちは今でもそれを求め、考え、探し続けているのである。
しかし世界は物質だけからできているわけではない。
この世には重力や電磁力といった「場」と呼ばれるものも存在している。
これらの力は物質ではないが、確実に世界に存在している。
しかし実は、力なる存在も素粒子で説明することができる。
たとえば電磁力。これは2つの電子が光子を交換する過程で生じた力だとみなせるのだ。
つまり場とは素粒子のやりとりで生まれるものなのである。
「有名な湯川博士」の中間子理論は核力の原因となる「中間子」を予言した理論である。
これも「場」を生む素粒子の一つである。
このように「物質」も「場」も素粒子で説明することができる。
素粒子物理学では「物質」である素粒子、電子や陽子のことをフェルミオンと呼ぶ。
そして「場」である素粒子、光子や中間子のことをボソンと呼ぶ。
正確にはフェルミオンやボソンは素粒子の持つ可換性や統計の性質による分類なので、電子2つがボソンのように振る舞うこともある。そういう現象が超伝導で観測されている。
ちなみに量子力学は、波だと考えていた「場である光」が実体を持った粒子として振る舞い、実体を持った粒子だと考えていた「物質である電子」が波として振る舞うという現象を説明する過程で生まれた学問である。
とにかくこれで世界を構成する要素は全て素粒子から成ると言えたことになる、、、のであろうか?
世界というのは「物質」と「場」だけのことを言うのだろうか?
時間や空間はどうであろうか?
これは世界の構成要素の一部ではないのか?それともそれは、質量がエネルギーで説明できるように、別の何か(素粒子)で説明されるべき枝葉の概念にすぎないのだろうか?
この答えを知るためには重力理論の完成を待たなくてはいけない。
なぜなら重力理論とは時空の理論でもあるからだ。
しかし、ここでは無理やり考えてみる。
重力を説明する相対論は古典理論に過ぎない。量子力学の成果を取り入れた重力の理論はまだ完成していない。
それは、つまり、素粒子物理学では重力をまだ説明できていないことを意味する。
先ほど「場」は素粒子で説明できるとした。
だから、もちろん「重力場」も素粒子で説明できるはずである。
そこで私たちは未だ観測されていない未知の粒子、スピンが2で質量を持たないグラビトンという素粒子を仮定している。
流行の弦理論は、このスピンが2で質量を持たない「紐」を出発点にして重力理論を説明しようとしている理論だ。
しかし、実験の助けを得られず、真偽を証明できない理論に対しては、素粒子物理学者からも多くの疑問が寄せられている。
私は、弦理論は真実を含んでいると思ってはいるが、真実を知るため唯一の道ではないとも思っている。
それでは、別の道とは何だろうか?
弦理論には相対論で言うところの「等価原理」に相当するものがない。
粒子や紐的なアプローチでは時間や空間とは何かについて今ひとつ考察できていない。
量子力学の原理にも何らかの修正をしなくてはいけないのかもしれない。
これらについての考察が、きっと別の道を作ってくれることだろう。
現在ある重力の理論では、ペンローズのスピノール理論が興味深いという評判は聞いたことがあるが、私はそれを知らないので何とも言えない。
(続く)