玄文講

日記

39年間しのぐために(1)

2005-08-15 14:35:01 | 個人的記録
私は来年から家業の印刷屋に再就職する。
兄が社長で、私が営業である。

そして私は既に印刷屋を続けていくつもりがないのである。
その理由はなぜか。

仕事の内容が私にあっていないからだろうか?

確かに5年間世間様からひきこもり続けた、車の免許も持っていない理系の院生をつかまえて営業に使おうというのだから笑ってしまう。
私は他人の顔なんて覚えられない。人間なんて皆、同じ顔に見えるのである。そんな私が営業である。

他にも、イラスト作成、ホームページ管理、写真加工、編集、荷物整理、文章代筆、校正、設備管理もしないといけない。
将来は経理や銀行関係もやることになるかもしれない。
それら全てをできないこともないが、それぞれ専門家を雇った方がいいに決まっている。

しかし、それはいいのである。人を雇う金はないし、零細企業である当社には専門家では役不足な仕事ばかりしかなく、素人の私で十分なのであるから。
何事もやれば何とかできてしまうものである。仕事の内容が自分にあっているかどうかなんて気にしてはいない。
だから、それは理由ではない。

印刷屋がつまらないからだろうか?
確かに当社の業務は仕事として特別に面白いわけではない。

しかし業界全体を見れば、電子ペーパーの開発、フォントの開発、印刷加工技術の向上、電子出版の制度作り、と面白い課題はいくらでもある。
ただ当社の資本ではそれらに取り組むことはできないし、先行他社に勝てるような技術力もないから、旧態然とした仕事をするしかないだけである。
だから印刷屋自体がつまらないわけではない。

それに生きるための仕事に面白いもつまらないもない。
面白いことは趣味でやればいいのである。

だから、それは理由ではない。


その理由は、印刷屋でこの先、何十年も食べていけるのか不安だからである。
兄はマンション経営と、大学の先生をしている奥さんとの収入で、子供が成人し、年金をもらえるまでの27年間をふんばればいい。
しかし私は何もない状態で39年間もしのいでいかないといけない。

そして39年後の印刷業界に私は不安を覚える。
何が不安かというと、技術の発達が印刷屋を不要にする、もしくは印刷屋の仕事を大幅に減らす時代をもたらす可能性である。

今はまだ紙に印刷された文字の方が、液晶画面の文字よりはるかに優れている。
だがその優位が将来逆転するかもしれない。未来を予測するのは困難だから、どちらに転ぶかはわからない。
39年後も何事もなく私は印刷屋をやっていられるかもしれない。
しかし、もし携帯性、鮮明さ、コストにおいて優れた電子ペーパーなどが開発されたのならば、少なくとも当社は今の仕事を続けてはいられなくなる。

もちろん業務内容を時代に合わせて徐々に変えていけばいいのかもしれないが、少ない資本で他社のマネをしていくのでは、あっという間に息切れしそうで怖いのである。

だから、そんな時代が来て先細りして身動きがとれなくなる前に、業種を変えておきたいのだ。

それで、もしやるとすれば何をすべきか現在、考えているというわけである。
(続く)