蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

対酒誠可楽

2005年03月27日 18時57分26秒 | 彷徉
なんだかんだといっても卒業式のシーズンになった。駿河台辺りを歩いていたらどっかの大学の卒業生(明大か知らん)がぞろぞろぞろぞろと大集団で歩いていた。わたしにもあんな頃があったのだか、とっくに忘れてしまっていた。しかしそれにしても皆若い、いや表現が不正確だ。皆幼いとすべきなのだ。タクシーから仲間に抱えられながら降ろされたあの兄さんはいったいどうしてしまったのだろうか。周りの連中の様子から病気ではないように覗われた。とすれば残る可能性は一つ、そう急性アルコール中毒。わたしが大人の嗜みを教えてやろう。「飲んだら酔うな。酔うなら飲むな」判ったか若人よ。むかしむかしわたしが子供の頃、高校生はお兄さん、大学生はおじさんに見えた。いまどきの子供たちから見ても今日日の大学生は高校生より幼く見えるのではないだろうか。まあ、ぼやいてもしようがないが、これも戦後民主主義教育とやらの成果なのだろう。
そんな彼らも社会に出て十年もすれば、一応社会人らしくはなるんだろうなあ。ところでわたしは電車に乗ったときなど、車内を一渡り見回してダメ人間がいるかどうか探す変なクセがある。将来ひとかどの人物になるかどうかは判らないけれども、確実にポシャるであろう人間は一目で判る。いい年こいて子供漫画雑誌を見ている奴、これはもう先が見えている。かりに現在仕事で活躍していそうにみえたとしてもである。あと、スポーツ新聞を見てる奴とか、大人向け漫画雑誌を広げている奴ら、彼らは境界線上をさ迷っているといったところかな。

一期一会

2005年03月27日 07時01分59秒 | 古書
Die Religion in Geschichte und Gegenwart そう、あの七巻物の宗教辞典をついに購入してしまった。後先考えずになんてまねをするんだ、とわたしは自分の常識に嗜められている。だが常識が常に正しい判断を下す保証はない。むしろ長期的に見れば常識が非常識になる例は枚挙にいとまがない。おおそうかい、それじゃあ今回のお前の判断は正しかったというわけだ。いや、待ってくれよ、そんなことは今このときに判るわけがないだろう。でもね、わたしは今回の決断といっては大仰だが、件の書籍つまりDie Religion in Geschichte und Gegenwartを購入したことは間違ってはいなかったと確信している。根拠はないが。
毎度言っているように、人が本を選ぶのはもちろんだけれども、本のほうでも人を選ぶのだ。例えば今回話題となっているDie Religion in Geschichte und Gegenwartだが、これは小川町の崇文荘書店の店頭に二週間以上晒されていた物なのだが、じつは同じ品物が店内にも少なくとも2セットあった。店員さんに教えられて知ったのだか、当然こちらの品はコンディションがよい。お値段はたしか4万5000円だったかな、したがって五分の一以下値段で買ったわけだ。安い分だけあって背の部分の皮装が痛んでいるが、これはワセリンを磨り込んでかなり回復できる。天、地、小口、版面は非常に良好で、まるで新品のまま古くなったみたい。店員さん曰く「この本はいい本なんですが、売れないんです」。残念ながら世の中そんなものなのだね。
で、自宅に持ち帰って(かなりしんどかった)中身をチェックすると、扉つまり本の題名が印刷されたページに鉛筆で薄く何か書かれている。全巻の扉右上部に「藤田先生」とか「藤田富雄先生」とか書かれているのだ。藤田先生ってあの宗教学者の藤田富雄先生のことか。今を去る~十年前、わたしは藤田富雄先生の宗教学の講義を聴いている。結構面白い講義だった。その藤田先生にこの宗教辞典は何らかの関係があったということなのだ。事実としてはわたしの意思で購入したのだが、もしかしたらわたしのほうがDie Religion in Geschichte und Gegenwartに選ばれたのかも知れない。