神保町を歩きまわった。崇文荘書店に浩瀚なドイツ語の宗教辞典がたったの八千円でさらされていた。金額的には買える代物だったか、何しろわたしの家はこれを置くスペースがない。それで買うのをあきらめた。田村書店の店先にはその宗教辞典の端本、それも恐ろしくコンディションの悪いものが数冊段ボール箱に、ほかのジャーナル類と一緒に投げ込まれていた。それは売り物ではなく廃棄処分するもので、客が勝手に持っていってもよい、つまりタダものだった。
古書を購入する決断とは「まさにそのとき」なので、この次の機会を待とうなどと思ったら、もうこの次の機会などはない。おそらくはわたしがあの本たちにめぐり会うことができるのは数年先か、あるいは一生無いのではないか
古書を購入する決断とは「まさにそのとき」なので、この次の機会を待とうなどと思ったら、もうこの次の機会などはない。おそらくはわたしがあの本たちにめぐり会うことができるのは数年先か、あるいは一生無いのではないか