蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

及時當勉励

2005年03月30日 00時21分26秒 | 太古の記憶
四月下旬の三浦半島某所、京急田浦駅から逸見駅までの間のどこかとも思えるが定かではない。わたしは小学校に登校するために歩いている。新入学ではなく転校生としてやってきたのだ。親の付き添いも無くいきなり見ず知らずの学校に行かせるのだから、乱暴といえばかなり乱暴である。なにしろ転向手続きまで小学生のわたしが行わなくてはならないのだから。事前に聞いたところによると、その学校はミッション・スクールらしいのだ。家は浄土宗の檀家なのになぜわたしがキリスト教の学校に通わねばならないのか。しかしもう決まってしまったことなのでどうしようもない。
京浜急行の駅を降りて学園までの道を進む。学校への道順さえ教えてもらっていないし、したがって学校の所在地さえわからない。アスファルト舗装された静かな道は車両の通行が規制されているのか歩行者しか見当たらない。道の両側には青々と葉を茂らせた桜の木が規則的に植えられていてその奥は林となっていている。新芽の香りが辺りに充溢し、呼吸をするたびに私自身が植物と同化してしまいそうだ。
わたしの十メートルほど先を三四名の男子小学生がふざけ合いながら歩いて行くのに気が付いた。彼らがわたしのこれから通学すべき学校の児童であることは間違いないと直感したわたしは、彼らのあとに付いて行くことにした。学校が何処にあるのかわからない以上、小学生のわたしにとってそれが最善の決断だった。彼らはわたしより高学年だろうか、それとも低学年だろうか。どうも低学年のように見えるが、しかしわたしの立場は転校生である。上だろうが下だろうが、通学するようになったらしばらくの間、例えば一ヶ月くらいは様子を見ることにしよう。一ヶ月大人しくしていれば彼らの中での位階関係がわかるというものだ。
やがて森の中に蔦の纏わる赤煉瓦造りの古風な建物が見えてきた。本館校舎は二階建てで中央部分が塔になっている典型的な学校建築。しかし校舎に至る前にわたしはグラウンドの横を歩いていた。グラウンド面はわたしのいる側道から三メートルほど高くなっていて、下つまりグラウンド地下が今は使用されていない講堂となっていた。高くなったグラウンドの壁面にはアール・デコ風の扉が等間隔に幾つも設けられていて、わたしはそのガラス張り部分から中を覗いてみた。中には運動用具やグラウンドの整備用具が収納されているようで、もう何年も講堂として使われていないことが見て取れた。床に塗る油とそして埃、微かに黴の香りも漂ってきそうな薄暗い旧講堂。中に入ってみようとしたがすべての扉は施錠されていて入ることができない。わたしはしかたなく再び学校に向かうことにした。なぜならこの瀟洒な学校はわたしの通学するはずの小学校ではなかったからだ。
とんだ道草を食ってしまったわたしは、先ほどの小学生たちとも逸れてしまい、もはや何処に行ったらよいのか完全にわからなくなってしまっていた。