蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

羅甸語事始(〇)

2005年03月19日 20時51分03秒 | 羅甸語
自分が普段使っていない言葉を学ぶということは、別の世界を学ぶということなのだ。むかしむかしわたしが学校に通っていた頃、ある講義の先生が、どの言葉でもよいから学生のうちにひとつでも外国語を習得するようにと口を酸っぱくして言っていた事を思い出す。そうなのだ。何処の言葉でもよい、英語でもよければ、ヘブライ語、スワヒリ語、ケチュア語、とにかく何でもよいのだ。肝心なのは母語ではない言葉を学ぶという一点に在る。いままでの数少ない外国語学習の経験から言えることは、外国語が母語に翻訳できないということ、これに尽きる。例えば"This is a Pen"
これをたとえば正確に日本語に置き換えることができるだろうか。"This"は「これ」、ここまではよい。しかし"is"や"a"をどのような日本語に置き換えたらよいのだよいう。そもそも"This"は「これ」でよいのだろうか。"Pen"はもちろん筆ではない。今日では"Pen"の現物を手に取ることができるので直感的把握に支障をきたすことはないだろうが、しかし"This"、"is"、"a"については直感的把握はまず不可能だ。とすればここで構想力を駆使することになるきわめて主観的判断に頼らざるを得ない世界が開けてくる。そしてその時この新しい言語世界はわたしの主観において開けてくるのである。そうなのだ、翻訳とはこのようにかなりきわどいものなのである。そこでは翻訳者はこれら両世界にどれほど通暁しているかが鍵となる。
そこで今日からわたしはまったく別の世界の、それも死に絶えてしまった言語を学ぶことにした。とりあえずラテン語など、どうだろうか。古典ギリシャ語に比較すれば圧倒的に簡単だし、ヨーロッパ諸語の文法がそもそもラテン語文法に基づいて構築されているのであれば、これは入って行くのが楽である。そんなわけでこの後逐次わたしの学習状況を報告していこうと考えている。