自分の生きる場所って、自分で作っていくもんだと思うんだよね。
他人が用意した居場所にピッタリはまれる才能を持ってる人はそれでいいんだけど、僕や僕が共感するような人たちは、そこから何らかの形ではみ出すタイプが多いみたい。
はみ出し方はいろいろだけど、自分の居場所がどこにもないような錯覚にとらわれて自殺なんてのは、もってのほか。
そうなる前に、僕らみたいなアウトサイドでこっそり楽しんでる人間と出会って人生の楽しみ方を見出せればいいんだけど、ピッタリはまれる人たちに囲まれて暮らしていると、どうしても自分がダメなヤツに思えてきちゃうんだろうね。
友人のゲンキくんの名言にこんなのがある。
「イビツな形にはパワーがある」
その通りだと思う。そして、本来、正円の形で生きられる人なんてそうそういるもんじゃないと思う。
個々に完成した形が整然と並ぶ幾何学的な社会もいいけど、不完全な形がピースとなって全体を構成するような社会のほうが、より人間的で美しいよね?(感性の問題だけど)
微力ながら、そんなコミュニティを作っていきたいと思い、瀬戸内の離島で暮らしてます。
アウトサイダーにはスーツはキツすぎる。百姓はスーツとか着ないからいいね。
ところで、百姓の「姓」って漢字は仕事のことなんだって。
農産物を作るには、それに付随する様々なことを自分でやる必要がある。つまり百の仕事をやるから百姓。
メディアなんかでは差別的なニュアンスを含むという認識の単語だけど、実際の農家と話していると百姓と自称することが多いことに気付く。
その根底には、なんでも自分でやってやるっていう気概が感じられる。
自分の居場所は自分で作ってやる!っていう気概。
でも、現状、日本の農業は個人では難しいので、僕の理想はあくまでDIO。
Do It Ourselves.
(故ロニー・ジェイムスさんのファンではないよ。笑)
みんなで楽しみながらいきましょ~。