せせらぎせらせら

日々思うこと

カウントダウン

2010-06-14 | せらせら
死ぬまでにあと何回、アイツと語り合う機会があるだろうか?
大事な時間を共にした仲間たちと疎遠になることはかくも寂しいこと。
この感覚は藤村先生の言うところの“真に老いる”ことの一部だろうか。
たまりませんな。味わい深さと寂しさとの間には、実はたいした違いがない。
深くなればなるほど、満たされ、同時に枯れていく。
ヴィンテージだよ、人生は。か。

重荷を負うて遠き道を行くが如き人生。
ときには木陰で一服したくもなる。

そんなときに心底語らえる仲間がいないと、一人で酒に浸りながらきっと泣いちゃうなぁ。俺。


取り返しのつかないこと

2010-06-06 | せらせら
たとえば今、僕がコキッて首を鳴らしたのは取り返しのつかないこと。
それほど気に入ってなかったコップが割れてしまったこともそう。
さっきテレビをつけたこともそう。
猟銃を誤発砲してしまったことも、首相が辞任したことも、昨夜、山手線が遅延していたこともそう。
ミキコさんから電話がかかってきて、「ごめんね」と言われても困る。
礼奈は疲れて、小夜子とすやすや。

(ホントのことはどれも取り返しなんてつかない。
裏を返せば、取り返しのつかないことがホントのこと?
そういう論法は当てはまるとは限らない。)

ただ時間は過ぎていくのみって話がしたかっただけ。
それとも我々が過ぎゆくのか?

つまりだ。
いや、つまりさ。のほうが堅苦しくないか。
その瞬間を堪能するという意味で刹那的であることを肯定的に捉えたい。
今をもっと面白く。
今をもっと愛おしく。
それにはある程度の真剣さが必要よ。

人生はめんどくさいとの戦いなんだとさ。