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日々思うこと

死とドーナッツ

2008-09-27 | せらせら
ある知人の曰く。「初期哲学はおそらく『死』への不安を少しでも遠ざけるのが目的だった。」
(ちなみに、後に僕が投げかけた「宗教と哲学の線引きは?」という問いに対して彼はこうも言った。「哲学してて、妙にお金がかかるようになったら宗教。」と。そういうシニックが彼のユーモアであり、僕はそういうユーモアが好きだ。)


暗闇の中にある『死』という不動の現象をあらゆる角度から照らし、掌握しようとする試み。

僕個人は掌握しようなどと畏れ多いことは望まないが、やはり熟知すればこそ許容もできよう。





入口は無数に在り、出口はおそらく一つしかない。

それが哲学。

死が万人に平等に、時に理不尽に、大きく冷たく開かれた入口ならば、ドーナツの穴は望んだ者のみに与えられる小さく甘く開かれた入口だ。

ドーナツの穴に落ちればひと時のメルヘンを散策し、突如ぽっかりと口を開けた死の大穴から形而上の迷宮を彷徨えば、いつか真の『生』に辿り着くことになる。






人が一生のうちで幾度となく経験する近しい者の死。

そこを入口として形而上学的な世界に足を踏み入れるたびに少しずつ死を許容し、自身もいつか静かにその時を迎えるのだろう。










人として

2008-09-26 | せらせら
雨の中の涙のように、その出来事さえもいつか時間が連れ去ってしまうことに抗う術がないならば、僕が敢えて涙で洗い流すことを選択しないのも当然の結果だ。

それは僕の誇りの問題であって、見栄や世間体、ましてモラルなどという段ではない。



そして物質的に涙を流さない以上は、形而上学的に事を消化するしかない。

そうしなければ壊れてしまう。



あらゆる角度に於いて。あらゆる枠組みに於いて。

必定の矛盾をジンテーゼに導き、手の届く苦しみのすべてに引導を渡してやろう。

全身全霊をもって臨む。


夢の響きは

2008-09-25 | せらせら
『All those moments will be lost in time, like tears in the rain,Time… to die.』


『It's too bad she won't live.But then again, who does?』
(紙で折られたユニコーンが倒れる・・・)



こういう映画を見終えた直後に彼女の訃報を受けたことは、はたして偶然か。

ただ、彼女はそういう“偶然”に必然を見る女性だった。

確かに、こういう儚さの美学も“らしい”っちゃあらしい。



最期までアートを貫いたことを祈って・・・

あらゆる猫的な。

汚染

2008-09-19 | ぎらぎら
政府は「工業用のりにするために販売した」と言う。

のり業者は「のりに米は使わない」と言う。


これじゃエントロピーMAXじゃないすか。

『汚染米』というのは、“カネに汚染された人たちが取り扱う米”の略語だ。


過去には、系を閉ざさず保ってエントロピーの増大を避けろと警鐘を鳴らした人もいたのに・・・。

資本主義に没頭しすぎるのも考えものだ。

ドーナツ欠乏症

2008-09-19 | せらせら
ドーナツ欠乏症とは・・・

コーヒー片手にドーナツを見つめながら、
「ドーナツの穴はドーナツの一部なのか?はたまた、ドーナツの内側に円形にドーナツが無いだけの空間なのか?」
などと、そこはかとなく自らに問い質してしまうくらいの時間的、精神的なゆとりがなくなっている状態を指す架空の病気。
ストレスフルな現代を強く生き抜こうと意気込んでいる都市部で生活する人に多く見られる。

注)甘く見てほおって置くとあらゆる実在の病気を併発したり、人間的に痩せ細ったりしてしまう可能性もある。



特効薬:ドーナツ(穴があるやつ)

罹患の危険を感じたら近くのパン屋もしくはミスド(モスド?)へ走れ!

TIME&TIDE

2008-09-19 | ぎらぎら
巷に「あれ?なんか変じゃない?」っていうメッセージが増えてきた。

これは肥大した社会がそのホメオスタシスの一端を見せ始めている証だ。

細胞と人フラクタる人と社会。(マンデルブロさん、勝手に動詞化してゴメンナサイ。) 

ここまで処置が遅れ、暴走を許したのだから実寸大に戻るにはかなりの時間と痛みを要するだろう。



満ち潮が引き潮に変わるとき、浜にはいろんなものが打ち上げられて無残に残る。

時代遅れのパラダイムに追従するコンプライアンスによって今を跋扈する物々が浜に打ち上げられていく風刺画を想像しては一人、祇園精舎の鐘を聞く。

それが世の常と甘受しても、せめても今に求めるは儚さが持つ特有の美しさ。

大きな慈愛 小さな自愛

2008-09-19 | ぎらぎら
広い視野で物事を捉えられれば、世間一般で言う“利己的”な生き方は少なくなる。

自己を俯瞰し、自己が他との関係によって成立していることを知れば、自分を快適にするために周囲を豊かにすることが最善策であると解るはずだ。

つまり、中途半端なエゴを持つことが自分にとっても他者にとっても宜しくない結果を招くことに繋がるということだ。

より大きなエゴを!

より包括的なエゴを!

ニヒリズムの活用法

2008-09-19 | ぎらぎら
あらゆるものを形而上で無に帰す【ニヒリズム】はどっぷりハマると酷く危険な思想ではあるが、僕は誰もが成長の過程で一度は通ると好い道だと考えている。

全てのものが一度意味を失ったのち、真に大切なものを見出せたなら、それは誰かに言い聞かされたような価値観の域を超える宝だ。

持ち物をすべて捨て、部屋を空っぽにしたら最初に買うのは、やはり自分にとって本当に必要なものだけだ。

本当に必要なものなど、そう多くはない。

自分の中にニヒリズムを入れるということは、そういう大胆な掃除を精神的に行うということだ。


じ あんさー いず

2008-09-17 | せらせら
生命はなぜ存続しようとするのか?

自称、森羅万象のほとんどすべてを知る男、曰く「意味って言うか、タンパク質自体に結合・存続する性質があるんだよ。」



夢も希望もない発言だが、そう言われてしまうと・・・

「何も言えねぇ!!」


そうか、生への執着の根源にはタンパク質の性質があったのか。

タンパク質たちの総意に突き動かされているのか。

個体としての生物もまた、部分であり全体なのか。


プリンシプル

2008-09-17 | せらせら
「自分の葬式で参列者になんと言われたいか?」

というような質問を受けたことがある。

つまるところ、それが人生の指針であるらしい。


(無から無への流れの鞘取りという意味で)
「奴はインテグラルな男だった・・。」
だとか
「無意味を微分したような男だった・・・。」

とか気の利いたことを言ってくれる友人がいればけっこう満足だなぁ。

とは言え、誰かさんに倣って「葬式無用 戒名不用」というのが僕のプリンシプル(笑)。


そのときに3秒ぐらい冷静になれる時間があって「何はなくとも素晴らしい人生だった。」と最愛の人に伝えられれば、それでいい。

妄想癖

2008-09-17 | ぎらぎら
昨今の社会の情報化は、エントロピーの増大をもって捨象的な均一化を加速させ、資本主義という怪物をデペイズマン(異界に送る)しようとしている動きとも見ることができる。

経済の崩壊と新しい価値観の誕生。

その意味では今まさに、世界市場通念の転換期。

これは【静かなる革命】だ。

要は、情報を金と直結しようとする考え方はすでに古いってこと。

それじゃあ、ニヒリズムをもってニヒリズムを超克しようとするようなもんだ。


ごくごくシンプルな思考に立ち戻ってみれば、物と物の間を埋めるのが金だけってのはあまりにも下賎な慣習だと思わない?

対極主義

2008-09-17 | ぎらぎら
最近、なにかとミニマリズムの重要性を説いている僕ですが、そんなときこそ実は家ではハリウッド映画を見るようにしています。

「自分の中に対極を在らしめる!」
それは即ち自重や内省にも繋がるわけですが、要するに何事もバランスが大事。


クローバーフィールドなにげに面白かったよ。
Bigger Is Betterなアメリカの感性。
もはや滑稽にさえ思える。
今夜はエメリッヒだ。