僕はいま島の柑橘加工工場で働いている。
柑橘加工工場と書くとカタカナのエが2つ並んでるようで、じっと見ているとナントカ崩壊を起こしてしまいそうだけど、要するにみかんでジュースとかジャムとかを作っているのだ。
この島には若い人が少ないので、パートのおばちゃんはもちろん、パートのおばあちゃんも貴重な戦力。昨日は70歳過ぎのDさんと一緒に働いた。
事は出勤したDさんが、「よう雨が降るな、ササホーサ」と言ったことから始まる。
その瞬間、僕はどこか外国にでも来たかのような錯覚に陥った。目の前のおばあちゃんが何を言ったのか、まったく理解できなかった。
「え、今、なんて言ったんですか?」
「よく雨が降るねぇ、ってことよ」
「違いますよ! そのあと!!」
「ササホーサ?」
このDさんは、早口な割にボソボソとしゃべるので、普段から聞き取れないことが多い。しかし、今回は違う。確かに何か理解不能な言葉を口にしているようだった。
ササホーサとは一体何だ?
まるでメキシコの地名か、ドラクエの呪文のような響きだ。
ワラの丸まったようなやつが風で転がる荒野、ササホーサ。
風でバリアのように全身を包み、魔法攻撃のダメージを軽減する呪文、ササホーサ。消費MPは2といったところか。
数秒のうちに、そんな妄想が頭を駆け巡った。どちらもシックリ来るけど、たぶん違う。
文脈的に考えてメキシコの地名なわけがない。Dさんがドラクエをやるとも思えないし、そもそもそんな呪文はない。
「なんなんです? そのササホーサってのは」
「ササホーサよ、大変!」
興味津々で尋ねる僕とは対照的に、見るからに面倒臭そうに受け答えするDさんは最後に「もう田中さんの前では、うっかりものも言えんな」と加えた。
僕は、普段なら割と空気が読めるほうではあるのだけど、あまりに奇妙な言葉に直面して好奇心を抑えきれず、さらに食らいつく。
「それ、何語? 島の方言ですか?」
Dさんはちょっとキレ気味に「もう知らん!」と言って、そそくさとエプロンをまとう。
さすがにそれ以上は掘り下げられそうもないので、今度は同僚の若者Dくんに「さっきDさんが、ササホーサって言ってたんだけど、何のことか分かる」と尋ねてみた。
「オオガッソウ」「ソバエ」など、彼とは以前から何度となく島の方言ネタで盛り上がっている。今回も期待通り目を輝かせて話に乗ってきてくれた。
「ササホーサ!? なんすかそれ。聞いたことない。それ、うちのばあちゃんでも使わない言葉ですよ」
中島は周囲20キロほどの小さな島ではあるが、地域によって微妙に言葉が違っていたりするので、おそらくササホーサはDさんの住む小浜地区特有の方言だろうということで決着がついた。
で、今日のこと、試しに「ササホーサ」を検索してみたら、……なんと、出ちゃった。
「無駄に消費する、粗末にする(多摩地方の方言)」って。
なんで多摩地方やねん!!(笑)
しかも「よく雨が降るね、無駄に消費する」って意味が通らんやろ!
なんかめちゃくちゃ惜しいけど、たぶん違う。これじゃない。
でも間違いなく近づいてる気がする。
もしかして平仮名?
そしたら、また出た。
ささほうさ [形動]だいなしにするさま。めちゃめちゃ。
よく雨が降るね、(服が)めちゃめちゃ。……キタ、これだ!
しかも、平仮名の「ささほうさ」は方言ですらないらしい。
なんてこった……。僕がものを知らなかっただけじゃないか。反省。
今度Dさんに会ったら、ちゃんと謝っておこう。
こないだは気分をささほうさしてしまってごめんなさいって。