友人 2009-10-25 | せらせら ある友人は 仕事を辞めてから「最近、人生が間延びしている」 と悠々言い放ち、 また、ある友人は 「雨かぁ、想定外やわぁ」と言いながら、携帯していた合羽を着る。 なるほど、やはり友人というのはこれでこそだと思う。
DIY 2009-10-24 | ぎらぎら 不思議なのは自分自身の運転で車に酔う人は圧倒的に少ないということ。 人生もそれを苦とするか楽とするかは、やはり受動をどれだけ能動化できるかに大きく左右されるのだと思う。 Once I was born, now I live, and I will. 何もかもが肥大化してしまったこの社会では、人は気付かぬ間により大きなものによって飼いならされてしまう。 社会が利便性ばかりを追求した結果、考えることをしなくてもそれなりには生きらてしまうから、人はいつしか考えることを忘れてしまったのだろう。
原点回帰 2009-10-17 | せらせら 仮想マインドマップで確認。 私は何について考えているのか。 健康で文化的な最低限度の生活。 健康とは。 文化とは。 生活とは。 幸福とは。 国とは。 人間社会はレイヤーが多いなぁ。
村 コミュニティズム 2009-10-17 | ぎらぎら コミュニティとは何か。 生活とは何か。 ゲマインシャフトとゲゼルシャフト。 そこに生きるとは何か。 住居とは何か。 資本とは何か。 経世済民とは何か。 産業とは何か。 ヴァーチャルとリアル。 リベラリズムからリバタリアニズム(さらにアナルコ・キャピタリズム)へ。(嘘です。) 暗がりにある赤を捉える私の特異網膜。意味不明気味。 アナキストにはならない程度のコミュニティズム。 打倒よりも地域コミュニティ再建による共存へ。 ザックリまとめよう。 バランス感覚。 それは光を良しとせず、影を悪しとせず、和を調える精神力。 深く入って浅く出る美学。
せっせかせっせか 2009-10-17 | せらせら 考えることが多くてニヤニヤしてしまう。 無責任で済まされる奔放な思索をどうにかこうにか責任の発生するレベルに具現化してみたい。 力が足りん。 勉強と実践。 しかし、まずは今そこにある課題に取り組もう。 新しい生活の確保だ。
こころ 2009-10-11 | せらせら 10月11日 日曜日 今日のような日は僕の中に何かが満ちていく感覚が強い。 晴れた休日の午前特有の恍惚。 なのに同時に僕の中は空っぽになる。 そして泣く。 たぶんそれはアルカイックな涙。(もちろん自分では見えないのだから確証は持てない。) これらのことはつまり、僕を満たしているものが虚もしくは空に属するものだという証明。 そして、主観としてそれは物凄く心地好いということ。 そんな空に吸われし三十路の心。 こんな日はなるたけ物音を立てず過ごすのが僕のこだわり。 ジョン・スコフィールドのバラードのように。
散文形式の自己証明方程式 2009-10-11 | せらせら なんという天気ッ! こんな日も僕は生きている。 進んで死ぬ気はないが、死ぬにはいい日だと思う。 生の昂ぶり、両極端の一致、描き出される円。 空のアヲ海のアヲにも染まず漂フ。 楽しからずや 哀しからずや 見上げる空の蒼と白。 奇跡のレイアウトにうっとりとして、そこにそっと紫煙を添えてみる。 それが僕の存在証明である。 ∵我在り ∴我在り 疑う余地もなし。 友は手首に刃の冷たさを求める ∴彼在り 女は魂の自由を求め身を投げる ∴女在り 哀しからずや 楽しからずや そうしてぷぅぷぅと紫煙漂う光景は もはや疑う余地もなし。 それが世界のリアル。 何者にも染まず漂フ者ども。 気高き魂。 ∵世界在り ∴万物在り
名前は呪縛か。 2009-10-08 | ぎらぎら なぜか、ふと男の子が生まれたら「佐助」っていう名前にしようと思った。 和風だし、可愛いし、ちょこまかとすばしっこそうだし。 が、予期せず周囲から(特にレイナから)猛反発を喰らう始末。 しかも、今のところ、エコーの映像からは男性器は確認できず。 名前と言えば、先日、僕の名付け親が実は叔母だったことが発覚。 てっきり両親が漢字の意味だとか画数だとかにさんざん頭を悩ませた末についた名前だと思い込んでいたら(いつだったかそういう風に聞いたような気がしていたのだが。)、会食の席で隣にいた叔母がさらりと「あんたの『佑』っていう字、あたしが考えたんよ」と言う。さもことなげに。 しかも、何某(なにがし)とかいう歌手から取った字なんだとか。 僕はその歌手の名前を聞いたことさえなかった。(あまり有名ではないようだ) 唖然としてしまった。 こうして予期せず呪いは解かれたというお話。 ちゃんちゃん♪
妄想癖 2009-10-08 | ぎらぎら 引越しに向けてCDをPCに取り込んでまとめて売っ払おうと思い立つ。 HDDも安くなったもんだ。 物の大半がそうであるように、この物質社会は基本的に相対価値の概念で成立している。特にPC関連のアイテムは製品の高機能化が早く、今日のように2TのHDDが一般に流通すれば300GのHDDなどもはや低スペック扱いで、安価で扱われることになる。 僕のように時代の二歩後ろを歩む者には有り難いかぎりだ。笑 CDを一枚一枚MP3に変換してHDDに移していると、いつか人間もこうやってデータ化され、圧縮され、小さな容器に格納されていくのだろうかという思いに取り憑かれる。 人から無駄(必要ではないものという意味で)を排除し、その脳内に構築された知識と方法論をデータ化し、そこに不確定なゆらぎを加え、集積した知能(それはもはや生命ではないのかもしれない)に例えば「HUMAN」と名付け、独立させる。人間と言っても全部ではなくて、国ごとに20種類ぐらい(以前から人間のタイプは少なく見積もって20種類ぐらいと考えている(根拠0))の代表的なタイプを選出しても195×20=3900。さらにそれから類似性をまとめた1000ぐらいの数の人格を、相反する性質ともども一つに体系化、それぞれの性質を併せ持つ(時と場合により、または比重を加えた確率で発現する)知能。 で、知識はウィキ的な感じで一つのデータベースにまとめ、特に歴史的な出来事は低圧縮でアーカイブへ。 そうすると、生身の人間は特殊な労働力としてか、または検証実験材料としての少数以外に必要がなくなり相当数は強制削除。 あとは膨大な知識を巧みに操り、柔軟に進化し続ける超高性能情報編集機構「HUMAN」が人類を名乗り、地球には争いのない世界が半永久的に存続する。 その流れで考えると、いつかUFOが飛来して知的生命体が降りてくるかと思いきや、知的生命体の産物(進化の最終形態)である機械的な何かがやってくるかもしれないな。 とか。 そんなシロマサ的妄想が膨らむ。 だって、CDを読み込むのに思ったより時間がかかるんだもの。。。 一体何枚あるんだ。 嗚呼、この作業のアナログ感がたまらないゼ。
臨死! 2009-10-02 | ぎらぎら 実は僕は江古田ちゃんファンです。 瀧波ユカリさんの洞察眼やメタファー観、それらを踏まえた妄想力には毎度毎度、まことに恐れ入ります。 もちろん江古田ちゃんの激しく捩れた直線のような性格にも密かに共感するところも多い。 最初は、友人に半ば無理矢理貸されたのですが、今では家に1~3巻があります。 知らぬ間に第4巻も発売されているらしいので、明日にでも書店に走ろうかと。 機会があればサイン会にでも行って素顔を見てみたいもんです。 それくらい(どれくらい?)ファンです。 4コマ漫画というものは、漫画界の川柳のようなものだと思います。 表現が簡潔であるだけにセンスが問われるところ。 時勢をよく捉え、何の気なしに生活しているとつい見過ごしがちな問題点を鋭く風刺したり、現代の若者(特に女性なんだろうか?)の特徴を揶揄したり、時折、キラリと光る美学を見せたり。 基本的にfunnyで、はたとhumorousでまたinterestingで。 セイゴオさん風に言うと、古代ギリシャの創作3原則と言われる「ミメーシス:模倣」「アナロギア:類推」「パロディア:諧謔」がバランスよく鏤められた漫画だからじゃないかと勝手に解釈してます。 なんか眠すぎてワケの分からん褒め方になってきたのでそろそろ終わります。 一応、念を押しときますが、実際はそんな高尚なものではなくて、随分下品な漫画です。(そこが面白いわけですが。)
Too much DAME! 2009-10-01 | せらせら 僕という人間は自分に対して理論武装している。 誰でも多かれ少なかれそういう部分はあるにちがいないにせよ、どうもその割合が多いように思う。 理論武装と言うと少々堅いが、要するに理屈で直感的な感性を抑え込みがちだと自己分析する。 なぜなら、僕は感覚的に生きるにはダメすぎる人間だからだ。 もとより感覚的には生きづらい世の中だ。