せせらぎせらせら

日々思うこと

忙しいときほど、ちょっと一服。

2012-12-23 | ぎらぎら

国を1つの生命体としてみると、国民感情と政治との乖離が激しい今の日本は、いわば大規模な自律神経失調症のような状態。

その程度は早急に投薬を要するレベルでしょうねぇ。

ところが国には、通うべき医療機関もなければ投与すべき薬もない。

なので、僕らはこの巨大にして過度な複雑系が持つホメオスタシスに期待するしかない。

でもそれってのは、個人レベルでどうこうできる問題じゃあないわけです。

じゃあ、救世主は地方自治体? 国家政府?

 


おそらくすべてハズレで、すべて正解。

生体の恒常性が何重もの調整メカニズム(フィードバック)によって保たれているなら、個人、家族、地方自治、国家、それらあらゆる大きさの活動が、それを維持・構成しているフラクタルを意識し、階層を越えて同時多発でその健全化に努めなければ解決にはならないと思う。

国民が思想や生活スタイルを変えないまま政権をひっくり返しても快方に向かうことはないってのは、もう十分に分かったでしょ。

なんとなく分かっちゃった人たちが、厭世して山奥で隠遁生活をしても同じ。

 

冷静に考えれば、実はそう難しいことでもないと思うんだよね。

こんなに恵まれた国に生まれて、みんな基本的な学力や思考力は持ってるんだから。日々に忙殺されて思考停止に陥り、言い聞かされた価値観にのみ従って生きる日常を少し離れて、ちょっと木陰で一服しながら「本当に大事なことってなんだろ?」て考えてみるくらいでよいと思います。

年末年始は無理にせよ、少し落ち着いたらでいいと思います。

「どこに入れても変わんねーよ」とか思いながら、とりあえずの一票を投じるより、まずは僕ら自身の生き方を変えてみるほうが良さそうじゃない?

一時期、「技術者にも営業力が求められる時代」とか言ってたけど、それはつまり分業や細分化に寄りすぎる弊害が顕在化してきたってことだったわけでしょ?

木を見て森を見ずともいいます。

教員は教鞭をのみ、音楽家は楽器をのみ、農家は鍬をのみ執っていればいいなんて考えはどう考えても古い。

さらに古くは、高度経済成長期に席巻した「勤勉こそが美徳」だとか、ついでに正体不明の「楽しむことへの背徳感」とかも、もういいでしょーよ。

そんな旧世代のパラダイムは全部取っ払って、みんなでちょっとずつ、みんなが楽しいことしましょーぜ。

 

 

今年もこの国は、どんよりと重苦しい欺瞞に満ちたまま年の瀬を迎えていますが、そんな時代は早く乗り越えたいですねぇ。

 
「来年こそ新しいこと始めます!」とか思ってる人も多いと思いますが、去年から田舎でこんなこと始めてるヤツらもいるので、よかったら参考までに見てやってくださいまし。
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