このところ、ブログを書く回数が減っている。
僕にとってブログとは、文字による自己存在の彫刻。
荒木さんが、馬のレースを描きながら人間存在の本質を削りだそうとするように、僕はとりとめもない文章を綴って自分の本質を模索する。
「忙しい」というのはただの言い訳で、本来は何にも優先して自らと向き合う必要が僕にはあるはずなのだ。
形而上学的なものに重きをおく僕にとって、自分の小ささ、醜さ、愚かさ、ふがいなさ、そういうものを思い知ることがすごく重要なのだから。
昨日、ふとした瞬間に春を感じた。
太陽暦とか日照時間とか気温とかは関係なく、感覚的に「ああ、今は春なのだ」と思った。
海に向かう道を歩きながら、静かなみかん畑のなかから「パチン」と、切れ味の悪いハサミでヘタの付け根が切り取られた音が響いた。その瞬間に。
なんなんだろうね、そういう感覚の根底にあるものは。
『誰かが植物の茎を切ったこと』と『僕のなかで季節が変わったこと』。
まったく関係のない2つの事象が同時に起こったってことが、すごく自然で、また不思議でもあった。
ほんと、なんなんだろう?
今、その瞬間を思い返すと、あまりにも愛おしく思えたので、ドライジンをストレートで飲んでみたものの、これといった答えにはたどり着けなかった。
それでいいんだろうね。きっと。
口のなかに残る、かすかな柑橘の香り。
計らずして、そんなドライマティーニに舌鼓。
こんなに美味いカクテルを飲んだのは、いつぶりだろう。