
彼は血液の流れが届かないところを住処とし、およそ感情と呼べるあらゆる感覚に対して冷たく微笑っていたのだった。
彼は陽の当ることのない側に潜んでいるので暗がりの中で輪郭を捉えようとしては暗さに暗さを重ねる徒労に終わるのだが、時の深まりと共に僕自身がそちら側に近づいて行くと、もともと彼の微笑っているところが僕の中心であったという気がしてくるのだった。宇宙がそこかしこを中心として拡大していくように軸々の交わるところが常に彼の立ち居地と成りうることにそもそも抗う術などなかったのかもしれない。
そういった錯覚なのか咲き誇る花なのかさえも判別できないような揺らめきや漂いが僕の周りを僅かに砂の混じった海水で満たしていくのだった。
早々に諦めてその中心からあたりを見渡すと、それが所謂“土方の角度”であるようにも思えた。髪を縛るゴムの縮まっていく喜びが自分のことのように嬉しく思えたりもした。そうかと思えば鰯たちが口をパクパクとさせる音が雑然とした不協和を引き起こし、海水の上下する周期とのギャップに苛立ちを覚えることもあった。
僕の感覚がその角度に合った途端に、時間に沿ってゆっくり膨張する空間が拡大する速度は爆発的に増大し、広がりについて行けない中心だけがぽつりっと世界から引きちぎられたような静かな点が生まれた。
その点のことを僕は孤独と呼び、そこに立ち尽くす状態を悲しみと呼ぶのだった。
彼方の地平線のあたりでは、これからやってくるような既に去ってしまったような明かりの気配が漂ってはいるが、手が届くほどの体の周辺で蠢く薄っすらとかろうじて認識できる程度の無気はズルズルルと音を立てるばかりで何一つ確かなことは判らないという重みがあった。孤独にはいつもそういった特有の黒っぽい重みがある。
四六時中そこで微笑っている彼は、生温い血液の流れを羨むでもなく嘲笑うでもなく、古木から仏として彫り出されて無理矢理形を与えられた塊のような、まるで人間的ではない包容力を冷笑の内側に隠し持っていて、そのことが僕に極度の不安と安堵の両方を同時に与えてくれた。
彼の微笑みが意味していたことは、「結局は全ての相対する力の大きさが等しくなる点ではそれぞれの力の総和が0に帰するが、無数に存在する角度やそれぞれの方向に働く解放の力の大きさを知れば知るほど、中心にある黒っぽい重みは肥大していく」というだけのことなのだった。それは金属的な冷たさだった。
経験から言うと、気付き始めから増していく重みはある時を境に突如として黒みを失い、重さは透明な大きさになる。それがしばらくするとまた黒みを帯びてきて重みを取り戻す。そういう事を何度となく繰り返したのちに僕は葉が枝を離れる音を聞いた。透明な大きさは自分の認識する世界の大きさとぴったり同じになった。
それは僕が彼になった瞬間でもあった。
そして僕は古木の温度と同じになった。
僕は血液の流れが届かないところを住処とし、およそ感情と呼べるあらゆる感覚に対して微笑っていたのだった。
今ではそこの静けさがひどく気に入っている。