せせらぎせらせら

日々思うこと

ふらり

2012-06-07 | ぎらぎら

自分のなかに、自分なりの幸福論を構築することは、人生を謳歌するための必須条件だ。

漠然とした幸福を追い求めるから、人生はままならぬのであって、理想がしっかりとあれば、現実をその状態に近づけていくことは案外難しいことではない。

千里の道も一歩から。その一歩を力強く踏み出すために、日々の自己分析と絶え間ないイマジネーションを欠かさぬこと。

とはいえ、あてもなくふらふら散歩するのも、嫌いじゃない。


アイドルで村上春樹な乖離と共有による確信的肖像画シュプレマティズム風(会話の記録としてのウェブログ)

2012-06-04 | ぎらぎら

U「大友さんと同居するようになってから、知らぬ間にiTunesにアイドルソングとか入れられてるんだけど、これは聴いとけ!ってことなの?」

W「主にアレンジを聞くべし」

U「ごめん、ふつーに飛ばしてる(笑)」

W「いいさいいさ。俺なんか自分で入れて全く聞く気になれないからね。」

U「どっちかっていうと、理詰めの音楽よりインプロ系のほうが好みだから。ファイアよりメラって感じ?」

W「例えがわかりづらい(笑)。理論を構築した上でのアドリブ満載→JAZZ。言いたいことはわかる。」

U「いや、たぶん想像してるよりフリーな。原初的な感覚をそのまんま音にした感じの。舞踏みたいに、表現対象に輪郭を与えず、伝達しようと努める感じの。更に分かりづらいか。動物的な、なら分かる? フォービズムを押し進めたような音楽。音楽に限ったことじゃないが、そういう表現が好きなのよ。」

W「そうなるとリズムにフィードバックしちゃわない?」

U「リズムはアタックがあるじゃない?どっちかっていうとアンビエント系っしょ。」

W「なるほど。それはファイアよりメラだわ。音像を捉えさせるような捉えさせないような。」

U「でしょ? どうも輪郭というやつが苦手で……。というか、心底求めてるものは音楽じゃないのよ。荒木さん風に言うと(代弁したのは「東方大弥」だけど)『共有』なんだと思う。より直接的な。」

W「ほうほう。たゆたうがゆえの掴み処のない感じなのかな。鼓動よりも悠久。でも人間は鼓動を打つ生き物だから、それとの乖離感か。」

U「さすがです。鋭い洞察。さて、この欲求を突き詰める俺の人生の行く末は……?」

W「まあ答えは出ないだろうね。出す必要性すらあんま意味がないような気もするし。100%の共有は、今までの見てきた風景がホンノ少しでもずれていれば出来ないし、する必要すらないよね。例えそこに摩擦が生まれようとも刺激になればヨシ!っていうね。」

U「必要性というなら、『そうしたいから』じゃ不足? 自己分析をさらに掘り下げると、他者との共有を深めることで、自己存在をクリアに捉えたい欲求ではないかと。『明確に』ではなく『クリアに』。輪郭をではなく、そのものを。」

W「うん、俺は欲求に必要性はいらないって思うんだよね。他者との関わりをもって自己分析はするよ。そして正にクリアにしたいとも。ただそれはあくまで自分がしたいことであって、必要か?っていわれたら、う~ん…ってなるの。」

U「……客観的にこのやりとりを見ると、オトナ思春期真っ盛りだな、俺。一児の親としてこんなでいいはずはないのだが。こんなやり取りを礼奈が見たら、『もう、あんたには付き合いきれないわ』ってメモとともに離婚届が送られてきたりするのかも。そりゃ困るので、今夜の話はなかったことにしよう。アイドルソングもなかったことにして削除!」

W「あら?それを踏まえた上での結婚じゃないの?知ってるって。Uさんの隠しきれるもんじゃないもん(笑)。アイドルソングはとりあえず一回聞いてみるのも時間の無駄だよ!」

U「モンキーなんだよジョジョォォォーーー! ハッ!! 無駄って言葉を聞くとつい……」

W「最後に。村上春樹の言葉を借りると、説明しなくてはわからない事は説明してもわからない、共有ってこういう事はだと思うんだよね。概念的過ぎるけど。言葉ではなく感覚で理解したっ!っていうのかな。寝ようとしたタイミングで始まった深夜の討論。有意義な寝不足を抱えて月曜を始めよう。」

U「ウィ、ごもっとも。間違いなく概念的な人間だと自覚してます。だから最近の目標は『より現実的に』。遅くまで付き合ってくれてありがとう。感覚的なものを共有できる人間を友と呼ぶなら、わたるんは間違いなく友の1人と確信した。」

W「もはや病気(笑)。結局最後のシメはジョジョになるっていうね。こちらこそいい頭の体操になったよ。Uさんは言っても、会ったコトあるのそんな多くないよね。でも未だに繋がってるってことは、こういう事なんだなって思ったよ。いや、確信した!」