せせらぎせらせら

日々思うこと

fusion or confusion

2009-09-30 | せらせら
最近、夢と現実の区別がつけにくい。

以前はこんなことはなかった。

真実味のある夢を見るからか、嘘のような日々を過ごしているからか、その両方か。

何日か前に友人同士が話していた光景を見たような気がするが、よく考えてみれば彼らは互いに面識がないはずだ。

とか、あとから理屈で考えて、ようやくあれは夢だったかと思いなおす。

人間の脳も一種のコンピューターと考えれば、システムに紛れてバグの一つや二つはあっても仕方ないのだろうが、やはり事実と虚偽とが混在してしまうのはあまりいい気分ではない。

整合性がないから夢だったという判断は、脳が正常に機能しているときにしか下せないのだ。

果たして、僕の脳が正常に機能しているという判断は誰が下すのか。

レンタルビデオショップとスーパーマーケット

2009-09-30 | せらせら
19時に職場を出て、家で映画でも見ようかとレンタルビデオショップに立ち寄る。
もとより目的の映画があるわけでもなく、手にとっては棚へ返すという作業をひたすら河原に石を積む子供のように繰り返し、結局、何度か見たことのある映画をまた借りる。それから帰りがけに夕飯の材料を買うためスーパーへ向かい、さて今夜の胃袋は何をご所望かなどと考えながらウロウロと店内を物色する。
ようやく買い物を終えて時計を見ると、もう21時を回っているのだ。

そういうことが僕にはよくある。

迷うということが時間をこんなにも早く、しかも空虚に流れさせるならば、迷い多き人生ではあっという間に時計の針が夜の9時を回ってしまうのではないかと恐ろしくなってしまう。

瞬間の中に長い時の結露を見出す努力

2009-09-30 | ぎらぎら
決意に満ちた時間の集大成としての行為があるのなら、その結果の起点となった決意の瞬間は一体どこにあったのか。
この問題を難解たらしめる要因はそれが疑問を抱いた時にはすでに過ぎ去っているという点で、その瞬間を捉えるには時間を遡って感じ取らなければならなかったというところにある。



ちびへび

2009-09-25 | せらせら
今日のような天気の好い日に工藤直子さんの「ちびへび」を読むと、えも言われない寂しさに見舞われる。
そして、その寂寥をうすら心地良く感じることが僕にとって良いことなのか悪いことなのか、もう分かるはずもない。



『ちびへび』
暖ったかいのだもの
散歩は したいよ
ちびへびは
おうちに鍵をかけて
ぷらぷらでかけた

こんちわというと
小鳥は ピャッと飛びあがり
いたちはナンデェとすごんだ
あら おびに短したすきに長しねと
仲間は忍び笑いをした

ちびへびは急いで家にもどり
おうちの中から鍵をかけ
燃え残りの蚊取り線香のように
まるくなって ねむった
でも・・・・・・
暖ったかいのだもの
散歩は したいよ

ちびへびは
もういちど でかけた
誰もいないところまで
―こんちわ いわずに
 ぷらぷら しないで


180°を超えて

2009-09-25 | せらせら
叔父から「平坦な曲面」の話を聞く。

生粋の理系脳の感覚にはどうも不可解なものを感じる。

これまで球体、円柱、円錐の性質の違いなど気にも留めたことがなかった。

が、興味深い。

滑らかでないことを“異様”と形容する感覚も興味深い。

2009-09-25 | せらせら
ナニハナクトモモノガナシイアキ

その分 風が心地好い

そしたら蜥蜴の日向ぼっこ

そしたら蝶の翅休め

そしたら風が花を揺り

蝶はどこかへ飛んで行った

ナニハナクトモアキハモノガナシイ

その分 日々は愛おしい


「味わう」という楽しみ方

2009-09-17 | せらせら
試しに当面のテーマを「味わう」と設定してみる。
それだけでも気持ちが随分と豊かになる。
漱石が草枕の中で推奨した「画とみる」手法にどこか似ている。
どちらの場合も肝要なのは精神的な俯瞰だ。
そこに在りながら、離れたところから思考する。
僕はそういうのが好きなのだ。

方法論としての転換

2009-09-17 | せらせら
自殺の理由を探ろうとすると、それは複合的で答えは単純ではない。
が、ならば逆に、生きる理由に論点を変えると…。

彼女は生きる理由を探していた。
僕は彼女にこう言った。
「今持ってるものをもっと大事にできるようになれば、人生は大きくかわる」と。
彼女はいつも生きる理由を探していた。
生きる理由なんてものは本当は沢山あるはずなんだ。
ジャック・マイヨールだって海から上がれば理由は沢山あったはずなんだ。

まるで不可能知恵の輪のようだけど、生きる意味を探すことが生きる意味だという人もいる。
答えとしてはズルイような気もするが、それもありだ。


また別の会話

2009-09-17 | せらせら
珈琲「なぁ、一番嫌な音って何の音?」
煙草「銃声」
珈琲「じゃあ、一番好きな音は?」
煙草「ツクツクボーシ」
珈琲「ふぅん」
煙草「…なんだよ」
珈琲「いや、産声って答えるかと思ってさ」
煙草「まだ生まれてねーもん」
珈琲「この刹那主義者め」
煙草「お褒め頂いてありがとう」
珈琲「どういたしまして」

ある会話

2009-09-17 | せらせら
珈琲「なぁ一年のうちでどの季節が一番好き?」
煙草「秋」
珈琲「なぜ?」
煙草「今が秋だから」
珈琲「今が秋だから?じゃあ冬になったら冬が一番好きになるってこと?」
煙草「そう。だって俺、刹那主義者だもの。いつだって今だけを愛してる」
珈琲「なるほど…。しかも筋金入りのオプティミストだ」
煙草「お褒め頂いてありがとう」
珈琲「別に褒めちゃいないよ」
煙草「ふぅん。ま、いいや」
珈琲「んん。ま、いいや」