せせらぎせらせら

日々思うこと

2011-07-31 | せらせら
小夜子が珍しく3日連続の夜泣きをしたのは2週間ほど前のこと。
レイナと僕は、何か夢でも見たのだろうと話していた。

その後、小夜子が喋る単語の数が飛躍的に増えた。

夢は経験から得た情報を整理する作用があると聞く。あるいは、夢そのものが整理作業の副産物とも言えるだろう。


只今、人生の転機のド真ん中にいる僕は、昨夜、とても奇妙な夢を見た。

そこには小学生の頃から現在に至るまでの知人友人が代わる代わる出演。役柄も年齢も様々で、ただ挨拶を交わす程度のちょい役から僕を殺そうとする者、、一緒に逃げようとする者もいた。
なぜだか、登場するほぼ全てが特に親しくもない連中だった。
(皆さん、ノーギャラで熱演してくれて、ありがとう!主演女優賞は、小学生の頃に淡い恋心を寄せていた富山さん。30歳を過ぎて大人の色気を纏った彼女の演技力はバツグンでした。来月の同窓会で実物と対面できたらいいなぁ(笑))

で、自分としても非常に興味深かったのはこの夢のオチ。

なんと夢なのに夢オチ!
それも電車にひかれた猿が死の瞬間に見ていた夢という設定。分かりやすく言うと「シックスセンス」型の展開で、必死で逃げ延びた挙げ句、最後の最後に主人公(即ち僕=猿)は自分の死を知るわけ。

笑っちゃうよね。四苦八苦した全てが猿の走馬灯だったなんて。
なんだか風刺も利いている。

あらゆる事象は揺らぎのまどろみか。


全体的にはコメディタッチで、破綻スレスレのハチャメチャなストーリーだっただけに、ラストのシーンで妙に悲しさをかき立てられる、構成の妙を感じる作品でした。

ラストシーン直前にレイナから電話があり「今日はとんでもない1日だったよ」と伝えるあたりのリアリティもナイス。

これは文句なしのオートマティズムでしょう。作品としては大満足。

言わば、引き出しの隅にあったものを適当にカクテルした感じだったけど、これがまぁ美味かった。

デザートは、目覚めてから現実の感覚を取り戻すなかで、否応なく薄れていくあの愛おしさ。真剣に楽しかったものが、どう考えてもつまらなくなっていくどうしようもなさ。
たまりません。

下手なB級映画より、いい意味でのB級感があり、B級ファンの僕は朝から非常に気分がよかった。


そんなこんなで、脳内大整理中のようです。


さて、どうしたもんか。

2011-07-28 | ぎらぎら
バンドマンから雑誌編集者ってのも自分的にはかなり面白い転身だったけど、その次に離島暮らしってのはさらに面白い。

ベランダから東京タワーとレインボーブリッジが見えた品川から、ビルも橋もない瀬戸内の離島へ。
毎日のように終電帰りだった都会生活から、ゆる~い時間が流れるド田舎へ。
ドブ川とも思える京浜運河からウブな魚が戯れる蒼い海へ。

それそのものに絶対的価値を見出せないニヒリストゆえ、こうしたギャップ(相対) を楽しむしかない、というのはあまりに愚かしい動機か(笑)。

ま、一度しかない人生だ。振れ幅は大きく。

ダダイストゆえに生きようとすれば、人に迷惑は掛けてしまう。
ならば、それ以上に価値のあるものを生み出して、恩返しをしよう。

心地好い場を作って、愛すべき社会不適合者たちが、キラキラと輝いていられるように。

そんなわけで、これからもよろしくです!


距離感

2011-07-15 | ぎらぎら
楽しみ方は人それぞれとしても、一度きりしかない人生はやはり楽しまなきゃソンなのである。

真実の在りようは一つだとしても、楽しめる角度から眺めるのがやはり得策である。

自分以外の人にとって、何が正しいとか間違っているとか、とやかく言うつもりはない。というか、そんなことはどうだっていい。

その顔が笑みを湛えていさえすれば、それでいいのだ。

残念なのは、どうやら僕というの人間はもっとも身近な人間から笑顔を奪ってしまうヤツだということだ。もちろん、そんなつもりは毛頭ないのだけれど、どうやら結果的にそうらしいことが最近分かってきた。

分かったところでどうしようもないのだけれど・・・。


物事にはちょうどいい距離感ってものが確かにある。


どうしようもないことを話しても仕方ないので、

話を変える。

これまでの30年で空気の楽しみ方、海の楽しみ方を知った。そして人生の最終段階では「土を楽しむ生き方」を目指していたのだけれど、その準備がいよいよ始まった。

そこに気の置けない仲間や酒、煙草があればこれ以上ない贅沢。

すべてをそろえたいというのは、ちと高望みかもしれないが、一度きりの人生だ、挑戦してみる価値は十分にある。もちろん可能性もね。

少しゆっくりと時間をかけたい場面ではあるけど、そうもいかないのが現実。ない頭をひねって作戦を練ろう。



楽しんでる人 

2011-07-06 | せらせら
作 ヨーヘイ・ヤマガタ


この数カ月、携帯の待ち受けはコレにしている。
大切なことを忘れていく自分への戒めの意味を込めて。

年に一度連絡を取るか取らないかというくらいの友人がいる。
いつかは連絡先さえ分からなくなってしまうのだろうけれど、またいつか、ふと彼のことを思い出したとき、僕は若かりし友の顔を思い浮かべて笑うだろう。