せせらぎせらせら

日々思うこと

積み木遊び

2009-02-25 | ぎらぎら
「大の大人が思想や概念を組み合わせて遊んでいるのって、子供の積み木遊びと変わらないわ。そういうのって決して無意味だとは思わないけれど、それだけではやっぱり不毛だわ。そういう男はもっと肉体的な喜びや苦痛を思い知るべきなのよ。そうやって初めて積み木遊びが実を結ぶのよ」


言葉に関する理想

2009-02-25 | ぎらぎら
知りたがる僕は単一の答えに走ってしまいがちになる。

そうじゃなくて、複合的に見なければ。


そう考えると、言葉はもっと固有のものになっていくはずだ。

固有名詞、固有動詞、固有形容詞、固有副詞・・・


それが実現すれば、おそらく言葉は必要なくなるに違いない。

すべてがより直接的な認識になるのだから。

それが理想。

途方もないがそれが原初であり極涯だ。

もし人類がその循環を為し得たら、そこに描き出された円が一体どういう意味を持つだろう。



夢と現実の区別がつかない

2009-02-25 | せらせら
「こないだUさんに薦められた○○の□□を読んだよ」
「え、なにそれ?誰の何だって?」
「え?・・・あ、あれ夢だったのか」
「・・・。」


というようなことが最近あった。
かく言う僕も最近、夢と現実の区別がつきにくい。
整合性の有無でかろうじて判別している有様だ。
現実が夢に近づいているのか、夢が現実に近づいているのかと考えると、おそらく前者だ。
その隔たりがなくなる日が近いのではないかという気がしてしまう。
その想像に対して恐怖を感じられているうちはまだ大丈夫だろう。

orange 

2009-02-25 | せらせら
なぜこれほど強烈にMr. John Scofieldに魅かれるのかが分かった気がした。

きっと紫煙の融けゆく様を音にしたらこんな風なのだろうと思う。

彼の弾くバラードは言葉なき“Rest in peace”だ。

そもそも、そういうものは言葉ではないのだ。



どんなに言葉を並べたてても言い表せない感情が、最近の僕の中には多すぎて困る。





もし、君が僕の名前を呼ぶのなら、僕はもうここにはいられないかもしれない。

夜が体の芯に喰い込むころには、半死の僕はそれを望んでいる。

昼と夜がひっくり返ると、僕と僕がひっくり返ってしまう。

だから、生きている何人にも見えない僕が煙草に火をつけると、静寂が語り始めてしまう。

もし、君が僕の名前を呼ぶのなら・・・

しかし、もう、君は僕の名前を忘れてしまったと僕に言った。


ゆとる

2009-02-25 | せらせら
それは粛々と営まれる反復の中にあるのか。

その場合にも、やはり必須になるのはゆとり。

ゆとりなき反復は焦燥を生む。

ゆとれる反復こそ。





今、俺、ゆとりを動詞化したつもりだったけど、すでにある動詞なのね。
かなり使える!

ex「まぁ、ゆとりましょうか。」「さぁて、ゆとっていこう!」「とりあえず、ゆとらね?」

つくづく、ゆとりっていい言葉だなぁ。

ゆとる人生は文字通り長き散策なのだろうということをスコフィールドさんは奏でている。

誂えたつくねん

好個なるぽつねん



吾 ゆとる 

actual sizing

2009-02-22 | ぎらぎら
そういや、以前に同居人がこんな言葉をダンボール紙に書いて部屋の扉に貼ってたなぁ、と。

『I will wrestle you for food』

元ネタはVAN HALENのPVのワンシーン。
ストリートで男がダンボールに書かれたこの言葉をカメラに押し付けてくる。

人間が巻き起こす様々の争いの根底に“喰う”という逃げられない行為があることを思うたび、僕はそのシーンを思い出す。



メタボリック症候群が社会問題になるほどの飽食の時代に、狙い澄ましたようなタイミングで食料問題とか世界的不況が勃発するのは、要するにactual sizingなワケでしょう?

もともと動物は生きるか死ぬかの瀬戸際に存在しているのだよ。

死は遠ざけ過ぎてはいけないものなのだと知らねば。



欲望が停滞を拒絶する以上は、経済だけに留まらず、あらゆる場面でバブルが発生する。

そして弾ける。

それが禍福が糾える縄の如き所以。

ヒトの意識の総体、もしくは神が強制ダウンサイジングを起こし始める前に個々の意識がアクチュアルサイズに向かっていれば、ホントはそれほど危機的状況ではないはず。もちろんリバウンドはあるにせよ。



上昇するときは重力を全身に感じながら!

万有引力の法則は形而上にも作用するということだ。

相対的価値観

2009-02-22 | せらせら
美しいものを知るたびに、相対的にそれ以外のものを醜く感じてしまう。

これじゃイカンとは思うのだが、そう感じた心にもう嘘はつけない。

僕の目指すのはそういうところではないのに。

そして今夜も自責の念に駆られる。

こんな夜を重ねても、いとけない相対感性のジレンマを逸脱できるとは到底思えない。

まったく別の方向性を模索しよう。

そこへは数学的な線形運動だけでは到達できないに違いないのだから。

Chickenfoot

2009-02-21 | ぎらぎら
最近めっきり、こってりロック系から気持ちが逸れてるけど、こういうネタはちゃんとチェックしてます。

Sammy Hagar(Vo・G),Michael Anthony(B),Joe Satriani(G),Chad Smith(Ds)

http://www.chickenfoot.us/

だって、やっぱり好きなんだもの。

嘗ての恋人との逢瀬を楽しむような気分に浸れそう。

体に染み付いた快楽と背徳(←なぜ?)のドライマティーニ。意味不明。

しかしこの顔ぶれ。チャドさんが上手く機能すれば、僕のツボがピンポイントで刺激されること間違いなしです。

カッコイイ

2009-02-21 | せらせら
ジョンスコ奏法を研究してる方々のネット談義を見てたら・・・
コンディミ(=コンビネーション・オブ・ディミニッシュ・スケール)の話から突然『人より早く弾かない』『もたったリズム』『変なトーン』『6弦をベンドしてネックからアウト』『たまにミスピッキング』やら『たまに適当』やら。
(もちろんペンタ、リディアン、ミクソリディアンを織り交ぜてとか多少の専門的な話もありましたが)

ちなみに『人より早く弾かない』『たまに適当』は本人の発言らしい。

いや~、夕方から続いてた軽い頭痛が治るほど笑っちゃったヨ。

しかし皆さん、ジョンスコのカッコよさの真髄をよく分析されてらっしゃる。

一歩解釈を間違えると馬鹿にしてるようにも取れる発言に愛を感じた。



カッコイイオヤジを目指す俺も『人より早く生きない』『たまに適当』を座右の銘に掲げようか知ら。


整理法ついての発想の転換

2009-02-20 | せらせら
直接「それが何なのか」を考えても埒があかないことがよくある。

すごく些細なことなのだけれど、そんな時、自問を「それが自分にとって何なのか」にすると、ふっと答えを見つけ易くなったりする。

物事の世の中に於ける意味と自分に於ける意味など、もとより違って当然なのだ。

そうやって整理していけば物事は随分スッキリする。

自分の世界を片付けられなくて、身動きが取りにくい人にはオススメです。

純文学

2009-02-20 | ぎらぎら
ところで結局のところ、純文学ってのは何なんだ?

もし純音楽って言葉があるとしたら、ついでにそれも何なんだ?

明日、純喫茶でも行って一人でそんなことを考えようか。

時間があるってのはそれだけで十分過ぎるほど幸せな特権だ。