
U「大友さんと同居するようになってから、知らぬ間にiTunesにアイドルソングとか入れられてるんだけど、これは聴いとけ!ってことなの?」
W「主にアレンジを聞くべし」
U「ごめん、ふつーに飛ばしてる(笑)」
W「いいさいいさ。俺なんか自分で入れて全く聞く気になれないからね。」
U「どっちかっていうと、理詰めの音楽よりインプロ系のほうが好みだから。ファイアよりメラって感じ?」
W「例えがわかりづらい(笑)。理論を構築した上でのアドリブ満載→JAZZ。言いたいことはわかる。」
U「いや、たぶん想像してるよりフリーな。原初的な感覚をそのまんま音にした感じの。舞踏みたいに、表現対象に輪郭を与えず、伝達しようと努める感じの。更に分かりづらいか。動物的な、なら分かる? フォービズムを押し進めたような音楽。音楽に限ったことじゃないが、そういう表現が好きなのよ。」
W「そうなるとリズムにフィードバックしちゃわない?」
U「リズムはアタックがあるじゃない?どっちかっていうとアンビエント系っしょ。」
W「なるほど。それはファイアよりメラだわ。音像を捉えさせるような捉えさせないような。」
U「でしょ? どうも輪郭というやつが苦手で……。というか、心底求めてるものは音楽じゃないのよ。荒木さん風に言うと(代弁したのは「東方大弥」だけど)『共有』なんだと思う。より直接的な。」
W「ほうほう。たゆたうがゆえの掴み処のない感じなのかな。鼓動よりも悠久。でも人間は鼓動を打つ生き物だから、それとの乖離感か。」
U「さすがです。鋭い洞察。さて、この欲求を突き詰める俺の人生の行く末は……?」
W「まあ答えは出ないだろうね。出す必要性すらあんま意味がないような気もするし。100%の共有は、今までの見てきた風景がホンノ少しでもずれていれば出来ないし、する必要すらないよね。例えそこに摩擦が生まれようとも刺激になればヨシ!っていうね。」
U「必要性というなら、『そうしたいから』じゃ不足? 自己分析をさらに掘り下げると、他者との共有を深めることで、自己存在をクリアに捉えたい欲求ではないかと。『明確に』ではなく『クリアに』。輪郭をではなく、そのものを。」
W「うん、俺は欲求に必要性はいらないって思うんだよね。他者との関わりをもって自己分析はするよ。そして正にクリアにしたいとも。ただそれはあくまで自分がしたいことであって、必要か?っていわれたら、う~ん…ってなるの。」
U「……客観的にこのやりとりを見ると、オトナ思春期真っ盛りだな、俺。一児の親としてこんなでいいはずはないのだが。こんなやり取りを礼奈が見たら、『もう、あんたには付き合いきれないわ』ってメモとともに離婚届が送られてきたりするのかも。そりゃ困るので、今夜の話はなかったことにしよう。アイドルソングもなかったことにして削除!」
W「あら?それを踏まえた上での結婚じゃないの?知ってるって。Uさんの隠しきれるもんじゃないもん(笑)。アイドルソングはとりあえず一回聞いてみるのも時間の無駄だよ!」
U「モンキーなんだよジョジョォォォーーー! ハッ!! 無駄って言葉を聞くとつい……」
W「最後に。村上春樹の言葉を借りると、説明しなくてはわからない事は説明してもわからない、共有ってこういう事はだと思うんだよね。概念的過ぎるけど。言葉ではなく感覚で理解したっ!っていうのかな。寝ようとしたタイミングで始まった深夜の討論。有意義な寝不足を抱えて月曜を始めよう。」
U「ウィ、ごもっとも。間違いなく概念的な人間だと自覚してます。だから最近の目標は『より現実的に』。遅くまで付き合ってくれてありがとう。感覚的なものを共有できる人間を友と呼ぶなら、わたるんは間違いなく友の1人と確信した。」
W「もはや病気(笑)。結局最後のシメはジョジョになるっていうね。こちらこそいい頭の体操になったよ。Uさんは言っても、会ったコトあるのそんな多くないよね。でも未だに繋がってるってことは、こういう事なんだなって思ったよ。いや、確信した!」