日本人の美学の一つには「奥ゆかしさ」というものが挙げられる。
露骨に言ってしまわないところに美を感じるような感性は欧米にはないのだろうか。
一時の過剰なアメリカナイズドによってダメなもの扱いされた「曖昧さ」は「奥ゆかしさ」とは本質的には一線を画す。
しかし、奥ゆかしさはより上級なコミュニケーションに使われ、奥ゆかしさには歴とした何かがあるのだが、それを読み取れない者には「曖昧さ」と取られることもある。
しかし、奥ゆかしさには確実に意図がありそれは「ぼやけている」のではなく「ぼやかしている」のだ。
そうすることでしか伝達することが出来ない繊細なものがあるということでもある。
追求するタイプの表現者にとって、そこが大きな分かれ道になるのだろうね。
進めば進むほど傍目には、何がなんだかよく分からなくなる。
そういうものを鑑賞するときにはまずチューニングが必要なのだ。
露骨に言ってしまわないところに美を感じるような感性は欧米にはないのだろうか。
一時の過剰なアメリカナイズドによってダメなもの扱いされた「曖昧さ」は「奥ゆかしさ」とは本質的には一線を画す。
しかし、奥ゆかしさはより上級なコミュニケーションに使われ、奥ゆかしさには歴とした何かがあるのだが、それを読み取れない者には「曖昧さ」と取られることもある。
しかし、奥ゆかしさには確実に意図がありそれは「ぼやけている」のではなく「ぼやかしている」のだ。
そうすることでしか伝達することが出来ない繊細なものがあるということでもある。
追求するタイプの表現者にとって、そこが大きな分かれ道になるのだろうね。
進めば進むほど傍目には、何がなんだかよく分からなくなる。
そういうものを鑑賞するときにはまずチューニングが必要なのだ。