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せせらぎせらせら

日々思うこと

それとなく そこはかとなく

2009-07-16 | ぎらぎら
日本人の美学の一つには「奥ゆかしさ」というものが挙げられる。
露骨に言ってしまわないところに美を感じるような感性は欧米にはないのだろうか。
一時の過剰なアメリカナイズドによってダメなもの扱いされた「曖昧さ」は「奥ゆかしさ」とは本質的には一線を画す。
しかし、奥ゆかしさはより上級なコミュニケーションに使われ、奥ゆかしさには歴とした何かがあるのだが、それを読み取れない者には「曖昧さ」と取られることもある。
しかし、奥ゆかしさには確実に意図がありそれは「ぼやけている」のではなく「ぼやかしている」のだ。
そうすることでしか伝達することが出来ない繊細なものがあるということでもある。
追求するタイプの表現者にとって、そこが大きな分かれ道になるのだろうね。
進めば進むほど傍目には、何がなんだかよく分からなくなる。
そういうものを鑑賞するときにはまずチューニングが必要なのだ。

木を隠すなら森の中

2009-07-16 | ぎらぎら
なぜ馬鹿みたいにブログを書きまくっているかというと、それなりの意図がありまして、まだ言えないけれど、一応、意味があるのです。

ヒントは木を隠すなら森の中かな。

隠し方もいろいろだな。
隠すこともないようなことだけど。





苦痛か快楽か

2009-07-16 | ぎらぎら
文章で柱を消すということは難しい。

分かる人には分かるというレベルをどの辺に設定するか。

表現の面白さはだいたいいつもそれとの葛藤だ。

私の居ない私の世界をそっと覗いて私を見つけてください。

そういうものが表現の醍醐味ならば、ドーナツ的な方法論もあながち無益ではない。

なんという自由。

なんという孤独。

明確に意図を持つ完成された小説は、その全文をして名詞と言えるのではないだろうかと思う。

他の何にも替えられない言葉で端的に名前のないものを言い表した結果が100枚の原稿になるのなら。

そういうことをやってのける人を孤高と言わずなんと言おう。

実践は簡単ではない

2009-07-16 | ぎらぎら
「ポピュラリティを求めるな」
「奇を衒うな」
芸術に属する分野の人々がよく口にするこの二つの戒から導き出される答えは非常にシンプルだと思う。
囚われることなく自己を曝け出せということでせう。
クニガマエを取り払って、ただの人になれということでせう。
あなた自身でおありなさいということでせう。
シンプルな答えだが実践は簡単ではない。
だから好い。

資本主義における夢の値段

2009-07-16 | ぎらぎら
先日、かつての戦友であったバンドの解散ライブを見に行く。
老舗のライブハウスは満員。
煙草を吸いたいが灰皿に近づくにも一苦労だ。
名曲が並ぶセットリスト。
終わりに向けて、演奏者も感極まり、次第に客席もヒートアップ。
ステージのきらびやかな照明を受けて、時折見える客の表情がそのバンドの6年間の活動を如実に物語っている。
そのさらに後ろ、ハコの壁際にはずっとバンドの世話をしてきたライブハウス関係者が腕組みして、さも感慨深そうな眼差しを送っていた。

そのちょうど一週間前にそのバンドのドラムさんと呑んだ。
ライブをやれば1ステージで1000人を熱狂させるバンド(ムスタングのことではないよ)でも内情は食って行くのがやっとなのだそうだ。
世知辛いねぇ、とこぼしながら痛風持ちの彼はウーロンハイを呑み続ける。

夢を売る仕事。

夢の値段とは・・・
セチガライネェ・・・

そう感じる分だけ、安酒が美味くなるのだから、酒ってのは不思議だ。


美味しい時間
レシピ:
世間に吹き荒れる不人情 たっぷり
安い酒 安ければ安いほどよい
つまみ なくてもよい
煙草  あるとよい

精神論だけではなく、実際にカクテルを作る場合に単品で美味いものを混ぜれば美味いというわけでもない。
歴史に残る名盤は全曲名曲というわけでもない。
そういうのが面白い。
そういうところに巧を感じる。
話が逸れた。


内なるバランス

2009-07-16 | ぎらぎら
案ずるなかれ
苦楽のバランスはあなたの中に

つまるところは
転職したって
新しい恋人ができたって
引越ししたって
一生は重荷を負て遠き道を行ったって
盗んだバイクで走り出したって
楽園に行ったって
3億当たったって
借金背負ったって
離婚したって
民主党が政権取ったって
学校辞めたって

天国でも愚痴を言う人は愚痴を言う。
地獄でも楽しむ人は楽しむ。

逃げたって求めたって
苦楽のバランスは今とそんなにかわらないよ
だってそういう設定はそれぞれ自分の中にあるんだもの。
苦6楽4とか苦1楽9とか(ざっくり言い過ぎか?)。

じたばたするより、内観せよ。
求めるならば内に求め
逃げられるもんなら自分から逃げてみろ(そして悟れ)
中国がどんなに経済的に大国と肩を並べたところで、国を一人の人と見立てたときに彼が幸せかどうかはそれとは別問題。
襤褸を着てても心は錦。
ブランドで身を固めるキョムウィルス保有者。(密かにいつかクレイジーアワーズを買ってやろうかと目論んでいるが金はない。)
しかし高いな。自由の値段は(笑)
美術館でペチャクチャおしゃべりするより、生活を芸術に。
ショット4000yenの酒を呑むより、プライスレスな味わいの人生を。

そういうことをみんなが高校生ぐらいまでに知っておくと、社会が変わりそう。
資本主義がここまで迷走することもなかったろうに。
義務教育に仏教を取り入れようって言うんじゃなくて、内省の時間が大事ってこと。

自己完結型

2009-07-15 | ぎらぎら
不安と言えば不安なのだろう。
これだけ書くということは、自分の中に不確かなものが多い証だ。
発散ということではなく、確認という作業。
やっさんの読みは正しい。やはり僕は自己完結型だ。
人に何か相談を持ちかけるときには、もう既に答えは出ているのだ。
その意味では僕の相談相手と呼べるのは煙草くらいか。
ならばその無形をロールシャッハする作業は、自己の無意識下を探る有効な手段だ。


2009-07-15 | ぎらぎら
ふと、ここ数日の自分を振り返る。
安定(熱死とも)に向かう動きに抗うかのような、文字(思考とも)の羅列。
上手くバランスが取れれば、適度な動的均衡を得られるに違いない。
バランス感覚が狂わないように注意せねば!

自分の吐瀉物を冷静に分析して今の自分を確認するように。
ぎらぎらとささやくように。

変拍子

2009-07-15 | ぎらぎら
やたら変拍子もめったら転調もあるべきところにはまってさえいれば、それはグルーヴィーだ。
そこに必然性があるということが、心地好さに繋がるのだ。
町田在住の出不精な僕が朝の8時に五反田駅に降り立つならば、そんな日はまた、3a.m.(ラテン語ante meridiem (before noon)の略)に自殺願望とも取れるほど刹那的な生き方を自称する見知らぬ女と言葉を交わすことも、まぁ有りと言えば有りだ。
女の口から曾祖母の命日に夢遊病のように海辺を彷徨ったという話を聞かされようとも、別に違和感もない。
つまり何事にも好機というものがあるという話だ。

5秒と誤謬は音的に似てる

2009-07-15 | ぎらぎら
今年、蝉の第一声を聞いたのは7月1日だった。
もちろん、ニィーという声だった。
多くの人にとってきっとそうであるように、僕にとってもそれが夏の確かな訪れを告げる合図だった。

それから二週間が経った今日。
今日はまた暑いなと思いながら、家の近くの森を抜けていたら、遠くでアブラゼミが鳴くのが聞こえた。

アブラゼミが鳴いたから、次はミンミンゼミか・・・。
その頃には山のほうに行けばヒグラシが、盆に松山に帰ればクマゼミも鳴いているだろうとか考えるや否や、頭上からカナカナカナという鳴き声が!

アブラゼミからヒグラシまで、約5秒。

なんだか味気ない。


まだかな、まだかな・・・。

・・・キター!っていう喜びを味わいたかった。汗

もの凄く自分勝手な言い分だが、出来ることならヒグラシにはヒトが我が物顔ではびこっているような土地では鳴いて欲しくない。あの青白く澄んだ音は人間がそのまんまの小ささで存在するところで聞きたい音なのだ。

(小説風の書き出しで変な流れになってしまったのでこのまま変な終わりに持っていこう。)


★死ぬまでに一度は!リスト★

竹の花を見てみたい。

テイオウゼミの鳴き声を聞いてみたい。

「踏まれたらおしまいですね」と踏んでしまった蛇に言われてみたい。

現代における嗜好品の意味とは?

2009-07-15 | ぎらぎら
李白に代表される古い漢詩には酒を詠んだものが多かったり、漱石を筆頭にかつての文豪(今は知らない)には愛煙家が多かったりするよね。

それって、それらが嗜好品の中でも特に何か大きな意味を持つ物だということじゃない?

残念なのは、それらが広く普及したばかりに楽しみ方を知らない人たちに無下にされ、賎しめられてしまった事実。

経済の発展とともに忘れられてしまったその意味を何とかして現代に蘇らせたいのよ。

茶道だってある人の曰く、変装した道教(儒教や禅思想の礎)なのよ。

ほおっておくと世の中はどんどん形骸化してしまう(閉じた系でエントロピーが増大するように、それはオートマティックに)だから、中身(意味)を復活させる動きが必要だと思うのよ。

蘇らせると言っても、あくまで“現代に”だから、そこには新しい要素が加わってて然るべきだと思うのよ。

そのあたりを模索していきたい。

現代における嗜好品の意味とは?

精神衛生のために

2009-07-15 | ぎらぎら
やたらと疲弊した一日。
なにやら頬のあたりに違和感がある。
笑顔がない自分に気付いたら可笑しくなって、思わず頬が緩む。
それで違和感も融解して脳も安らぐ。
ようやく自分を取り戻す。
日本人は基本が笑顔なのだと言ったのは小泉八雲だったか。

顔というのは最も顕著な内面の表出である。
今朝、珍しく都心に向かう通勤電車に揉まれながら見渡した顔々はまさに今の日本の内情が表出したものに思えた。
どげんかせんといかんモノはなにも宮崎に限った事ではなく、この国、つまりそれを構成する国民一人一人の中にある暗さなのである。

東京に生まれ育った友人が、九州方面への旅から帰ってきて「東京は人の住むところじゃねーなぁ」と言った。
こういう話は地方出身者でなければ実感が湧かないかもしれないが、暢気が売りの愛媛育ちの僕にしても、通勤電車が運搬しているものがどうしても人とは思い難いのである。
あの空間にあるのは人であって人ではない何か。
人間機能を一時停止した労働力か、あるいは剥き出された狂気か。
毎日あんなものに長時間揺られていれば閉じるなという方が無理な話だ。
器用な人なら、電車を降りればすっと殻から出てこれるのだろうけれど。
蝸牛(かたつむり)を捕まえて、あのいかにも柔らかそうな触角を突っつく。蝸牛は殻に逃げ込んで、また恐る恐る出てくる。すかさず突っつく。また殻に逃げる。これを何度も繰り返せば、過剰なストレスを受けた蝸牛は鬱や引きこもりに似た症状を発症するだろうか。
鬱や引きこもりが、人間の持つ環境適応力の結果だとすれば、改善すべきはその人ではなく、環境だと言うことになる。
要するに、こんな社会(広い意味であらゆるものが過度に刺激的な社会)が長く続けば、防御反応の正常な人は殻にこもり、殻を持たない人の精神は病み、そのどちらでもない場合は自覚のないまま不感症になっていくのが当然と言えば当然なのだ。
それら個々の危険信号はすなわち、社会の危険信号だということにより多くの人が気付いて、さらに改善に努めていかなければならないと思う。
そういう意識の改革は、全くもって政治家の仕事ではない。
政治家が行う上からの改革もあるだろう。ならば僕らが行うのは下からの改革。
それは選挙に行こう、ということではない。
政権を取るのが自民党だろうが民主党だろうが、そういうこととは関係のないレベルで、一人一人が意識を改革していかなければこの狂気じみた社会が好転するはずもないという自覚を持とうということ。
夏目さんの言葉を借りて「精神的に向上心の無い者は馬鹿だ」とするなら、馬鹿を寄せ集めた社会は馬鹿の社会でしかない。
モラルレスな人が集まったところはあくまで掃き溜めのような土地でしかない。
そう感じたとき、逆に、モラルハザードを引き起こしているのは自分にモラルがないからだと考えることが精神的な向上に繋がるのだと考えることができれば、こんな愚痴をブチ撒けたような文章を書くこともない。
グチグチ文句ばかりを言う僕のような人を集めた国だからはこの国はこんななのだ。
そうか。僕は馬鹿だ。
明快な答えが出たので、これでだいぶスッキリした。

ファストグルーヴの夜明け → 叱咤    環と停止

2009-07-14 | ぎらぎら
夜明けとともに街に目覚め始める猥雑と焦燥

物質存在とその運動が互いに加速し合うと、もう混沌は制御できない

あらゆる嘘がそこから生まれ

新しい真実を生み出す

新しい真実はまたありきたりな真実になって

やがて嘘へと回帰する

それら一連の流れが混沌の中で繰り返され

僕は溜め息まじりにこう呟くのだ

嗚呼、またか・・・と

ところが物質が運動を切り離して、ごくごく短い時間の中に逃げ込んでしまったら、僕の瞳はまた輝きを取り戻して、緩んだ口の隙間から感嘆がこぼれ落ちる。

冷たく閉ざされた時間の中で、やがて感嘆の音もまた運動を止め固定される。

今度はそいつが形骸化して、知らぬ間に感嘆が月並みの音に変わる頃、開かれた時間に新しい溜め息(それはもちろん嘘でもあるのだが)が生まれるというわけだ。

別々の時間に隔てられた僕と感嘆はもう二度と出会うことはない。

その狭間にもやはり関係性だけが残されるのである。

それを悲しみの形容で片付けてしまうのはあまりに味気ない。

彼らに言わせれば、本当の夜明けはスローグルーヴであるはずなのだから。



「そんなことをしているからなのだよ

いけませんねぇ」



あらゆる嘘がそこから生まれ

新しい真実を生み出す

新しい真実はまたありきたりな真実になって

またやがて嘘へと回帰する


「いけません」

PAY IT NOW!

2009-07-08 | ぎらぎら
一掬いずつ砂を取っていたら、ついに砂山の上に刺さっていた棒が倒れた。

棒にはいつからか「モラトリアム」と書かれていたのである。明らかに僕の字で。

そして今、確かVAN HALENのアルバムのジャケットに「BUY NOW, PAY LATER」という言葉があったことを思い返す。

今がそのLATERなのか・・・。

むむ、む。

はてさて

2009-07-08 | ぎらぎら
実は状況的にはあんまり暢気やってる場合ではない。
なにやら、ゆとりに包み隠して守り続けてきた柔らかいものを固くしていかなければならないような雰囲気だ。

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ