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せせらぎせらせら

日々思うこと

瞬間の中に長い時の結露を見出す努力

2009-09-30 | ぎらぎら
決意に満ちた時間の集大成としての行為があるのなら、その結果の起点となった決意の瞬間は一体どこにあったのか。
この問題を難解たらしめる要因はそれが疑問を抱いた時にはすでに過ぎ去っているという点で、その瞬間を捉えるには時間を遡って感じ取らなければならなかったというところにある。



持論口論  

2009-09-09 | ぎらぎら
曲がりなりにも十数年ベースを弾いているので、それなりにベースという楽器に関して哲学めいた所懐の一つや二つはある。

先日、ロックをやる知人に「どうも音に自信がないんですが、ピッキングのやり方はこんな感じでいいんですか?」と尋ねられた。

見るとちゃんと弾いていたのだが、僕は「それじゃ駄目だ」と答えた。

そもそもベースの弾き方に正解なんてない。(おそらく、それはベースに限った事ではない。)
そういうピッキングをすれば、そういう音が出るだけなのである。
(良い楽器ほどその辺は素直だ。これは持論だが、未熟なプレイヤーは出来るだけ良い楽器を持たないほうがよい。下手が目立つ。その楽器では自分を表現しきれなくなったときに初めてワンランク上の楽器を手にすればいい。)
では、正解がないなら間違いもないんじゃないかと思う人もいるかもしれないが、これがまたそういうわけでもない。

音楽、特にロックという音楽は自己主張だ。
自信のない自己主張など何の意味もない上に、何よりカッコ悪い。
ことロックに関しては、「カッコよさ」だけが唯一それを計るパラメーターになる。(上手い!より、カッコイイ!のほうがロック的には素晴らしいってこと。ちなみに「上手い」には上手いけどカッコよくないというニュアンスを含む場合もあるから注意が必要)
だから、いくら正解がないとは言え、やはり迷いながらオドオド弾くことは間違いなのである。

自信がないなら、自身が身に付くまで、「コレでいいのだ!」と思えるまで練習すればいい。
真剣に音楽をやってる人は皆それをやってるし、そのためにリハーサルスタジオがある。
その意味でも、スタジオはステージに立つための予行演習の場なのだ。

(念のために言っておくけど、自信を持って弾けば正解ってことではないので、根拠のよく分からない自信だけで「ロックだぜ~」って音楽をやってる人は勘違いしないように。)

自己探求に終わりがないのと等しく、正しい音などない(そして、真摯にそれを追い求めることには何か意味があるのではないか)ってこと。

壊れる

2009-08-31 | ぎらぎら
島崎籐村先生の随筆集の中に「古いものを壊そうとする必要はない。それが新しいものに置き換えられたとき、古いものはすでに壊れている」というような主旨の話があった。

かつての「ぶっ壊す!」発言を思い出す。
これで古いものが本当に壊れたということだろうか。
実質的には一滴の血も流さずじっくりとクーデターが成功する様を目の当たりにしたかのような気分になっています。

ところで、今宵、日本の政治は果たして本当に新しいものに置き換わったのだろうか?

スキンを変えてもメディアプレイヤー自体の機能は大して変わらないし、まして再生される音楽や映像は全く変わらない。(見た目の雰囲気が変わるだけでも変化は変化だけれど)

政権交代で日本列島が大いに騒いでいるけど、その一方で今、テレビでは有識者たちが“民主が勝ち過ぎた”と話している。
メディアがさんざん煽っておいて、結果が出ると、「やべ、やり過ぎた!」みたいな印象を受ける。
どっちやねん。
さて、これからどうなるんでしょう。この国。
大御所が新人に負けるってのは、政治家もアンチエイジングなんでしょうか。
国もアンチエイジングなんでしょうか。
やはり、アンチテーゼなくして新しい境地はないんでしょうか。
めくるめく相対の世界。
ま、これも必要なプロセスか。

そんなことより、まず自分自身を変えていくことが今の僕にはもっとも重要なのだ。

で・・・出た!!

2009-08-24 | ぎらぎら
■その1

林の中を通りながら蝉時雨のカクテールに浸る。
と…

ミー…ツクツク…ンミーン…ジリジリジリ…ジャー…ボーシ…ジリジリジリ…ツクツク…ンミーンミー…ツクツク…ンミーン…ジリジリジリ…ジャー…ボーシ…ジリジリジリ…ツクツク…ンミーンミー…ツクツク…ンミーン

え!?

ミーンミー…ツクツクツク…ンミーン…ジリジリジリジリジリ…ジャージャー…ボーシツクツク…

!!

で・・・出たー!!

東京に出てきて10年以上経ちますが、一昨日ついに聞きました。
クマゼミの鳴き声!
北上してきているとは聞いていたが、ついに町田にも出やがったな!
セミ界でもやはりエントロピーは増大中の様子です。
そのうちエゾゼミやジュウシチネンゼミ、テイオウゼミなんかも東京で聞けちゃったりするのかな。生物学者は危惧しそうな事態だけど、セミファンとしては夢のようだ。



■その2

仕事先に僕宛の紙袋が置かれてあった。
そういえばさっき「プレゼント置いといたよ」と電話を受けていたのだが、あんまりにも眠くてすっかり忘れていた。
これがそうか、と開けてみると…

で・・・出たー!!

こないだテレビでやってた、くるくる回してぬるい缶ビールが90秒で冷やせるという便利アイテム!あると便利だが、まぁ買うほどでもあるまいと思っていたアイテムだ。
「公園で呑むとき便利だと思って」ということらしい。ヲノちゃんよ、公園で氷は入手できないぜー!
しかしながらヲノちゃんありがとー!
彼との仲はビール抜きには語れない。



■その3

一週間ほど前、スタジオの掃除をしていると、他の部屋で個人練習をしていたゴンちゃんが蒼ざめた顔して出てきた。

「どしたの?」
「アンプから…女の声が聞こえる…!!」

で・・・出た!!

なんでか分からないけど、スタジオやライブハウスにはよく出る。(らしい。見たことはない。)
後日、他の客からも奇妙な声の話を聞く。
しかも、そいつら本気で御祓いに行ったらしい。
笑い飛ばしてほしくてBOSSに一応の報告。すると…
「まぁこういう所には出るからな」と言う。
アンタも肯定派か!!
ぬぅ、怖いじゃねーか。
仕事の先輩にあたる暴君やんちさんなら!とバンド練習時に報告。
「この部屋、こないだ出たらしいっすよ」
「おぅ、俺もここで働いてたころは出るとすぐ上のコンビニに避難してたよ」
まじっすか…。
深夜一人で掃除するの怖いんですけど。


セミ、ビール、心霊話…

と、まぁ、今年もいろんな形で夏を堪能してます。

あとは海だ!!

楽力主義

2009-08-24 | ぎらぎら
生きる諸々を楽しむ力、楽力。

来たる秋以降、新政権の名の下に何かしらの教育改革が行われるならば是非とも楽力主義を取り入れて欲しい。

某政党のマニフェストに出てきた「信じられる教育」って何なんだろう?

酔狂

2009-08-21 | ぎらぎら
というような一連の思索を生活の中で実践することの難しさ。
その面白さ。
生きながら死ぬことは果たして不可能なことか?

あらゆるSchrödingerの猫的な。

正気の沙汰じゃない。
かといって狂気の沙汰でもない。

そもそも沙汰(物事の善悪・是非などを論じ定めること)なんかじゃない。
不確定という一つの確定。

そんな命。

そんな生き方。

悪態

2009-08-21 | ぎらぎら
しかし、政治ってのはどうも芝居じみている。
誰も彼もがオスカー級の演技をするもんだから、余計に大切な部分が見えにくくなっているように感じる。
それでも演技の凄みだけで言えば、デ・ニーロの凍りつくような微笑を超えるものにはなかなかお目にかかれないのが残念だ。

支持を得るためには綺麗事を並べなければならない。
が、綺麗事は後には嘘と言われ、そのぶんだけ支持を失う。
奇妙なジレンマだ。
結果的には国民が政治家に綺麗事を無理強いしているようにも見える。
まばゆいばかりの光を見たら、反射的に濃い影の存在を感じ取るぐらいの勘はやはり国民一人一人に必要だと思う。
結局、タダより高いものはない。

あの党はいつも飴の話しかしないから胡散臭いという見解が大きく世論を占めれば、的確に鞭を振るう政党がもっと正当な支持を得そうなもんだが・・・。

(と、ちょっとは政治に興味を持ち始めたフリなんぞしてみる。まずはフリから入る。今、僕、政治に関してV系です。ま、入口は何だっていいっしょ。要はどこまで入るかの問題だ。)

マニフェストってのはもっとこう、どこに痛みを加え、どこに応急処置を施すか、それをどういう順番でやるか、そういうことをハッキリしてくれるとより国民は投票し易くなると思います。
たしか医者だって予想される薬の副作用は患者に伝えることが義務付けられてるんですよね?その要領でお願いしたい。

フリー

2009-08-20 | ぎらぎら
生まれた時から今までぼくのふり
死ぬまで一秒欠かさずぼくのふり
けっこうたのしいぼくのふり

弱音を吐いてはみたけど たかがフリー
忘れっぽいんだよ さすがフリー
どうでもいいよね これがフリー

つるつるだぜ なめらかに
ぐるぐるぐるっとまわります
そろそろ出番だ


ところが明日は晴れみたい
お酒を飲んだら夢みたい
おどりました


(MIKIKO A-LA-MATA「ぼくはフリー」より抜粋)


こういう歌詞が好き。
カタチにならないものをカタチにするには、カタチにしないことが肝心だ。
行ききらない(行ききれない)ギリギリのところに留まる感じのつるつる感。
そこに漂うなめらかさ。
そして酒。
白黒つけることが良いなんて誰が決めた?







おまけ くるまはぐるまくるわばくるえ

2009-08-14 | ぎらぎら
くるくるくるくる・・・

エキサイト翻訳サイトによると
「くるまはぐるまくるわばくるえ」

「車はgurumakuruwabakurueです。」
と再翻訳されました。

では、問題!

「あいうえお」はなんと再翻訳されたでしょうか?

1.あいうえお
2.12345
3.ABCDE
4.aiueo
5.愛、飢えた尻尾



みなさんも翻訳サイトに好きな言葉や好きな曲の歌詞などを容赦なくブッ込んで何度となく再翻訳を繰り返してみてください。
きっと思わずプッと吹き出して、そのナンセンスな笑いでちょっとだけ心が軽くなりますよ。













正解 4
この正解はイマイチだな・・・

結果の考察

2009-08-14 | ぎらぎら
というわけで、今日は
・「翻訳サイトの面白活用法」
・「LOST IN TRANSLATION」
・「取捨選択の表裏一体性の証明」
・「ダダについて(破壊と再構築という一連の創造行為の必然的プロセス)」
というテーマをまとめて検証してみました。
いかがでしたでしょうか。

考察:
イマジネーションは素晴らしい。
真実の扉を開ける鍵はいつもあなたの心の中に・・・。

さらに、収束するまで繰り返される実験

2009-08-14 | ぎらぎら
時々それを言いたいと思います。
それは表現のベースです。
それは目的です。
それを費やすのが必要です、そして、時に不可欠を費やすのが、必要です。
しかしながら、sonodearuを言ってください。
そして、時間が費やされる限り、それが判断される限り、Itは成功です。
それが最も適当でなかったなら、仕事だけのサイズはそれになりませんでした。 別の1つとあなたがそうする1日でライブな状態でそれをしますか?
村山。
MultiPleaseは酔っぱらいます。
したがって、ある不変性、不変性、および一定の川はそれが1日とremind.
The海の中に描かれて、ドローの間、作られている間、それとその木を描くことができます。
自己存在の意味。



まさにエフェクターを並べすぎると音が劣化するのと同じくして、文章は芯を失いどんどん表現がぼやけ、抽象化され、紫煙の如く分散されていく。

しかし!
ポイントはあなたの心にこの文章が届く直前、最後の最後に、最も重要なエフェクターがかかることになるという点。
そう、それはあなたのイマジネーション。
イマジネーションを持たないプログラムが破壊してしまったものをイマジネーションが蘇らせ、そこに新しい意味が生まれる。
(いや、もしかするとそれは初めからそこに潜んでいたのかもしれない。どんな想像力の網にもかかることのない形で。)
そして、それこそが、ダダの存在価値であり、その価値の大きさはイマジネーションのクリエイティビティの大きさによって決定される。
なぜなら、ダダとは意味の破壊そのものであり、それ自体には意味などないのだから。
初めから全てはオブジェなのだ。

これはもはやダダというよりパルプンテに近い変化か。

2009-08-14 | ぎらぎら
確実に、「いつまた、私も再びそれで二度かつて若く、それであるかを示しているので、両親に当惑させるべきメモリは言われてい」て「どんな好きな出生もないだけではないこと」によって、それが現在生きている好みはそうします。
私は、それが本当の意味の「生きてください」を選択した1年の大学の終わりで関係があったと思います。
私は、「自殺の選択は選ばれていない」という結果がひどく、成長の過程として重要であると思います。
その時、人生は、受動態から活発に変化します。
それがそれであるにかかわらず。私がそれになるか否かに関係なく…


これを更にもう一度再翻訳にかけると・・・。


確実に。
いつですか?
再び。
二度。
若い。
そして目立ってください。
両親。
当惑させてください。
持っています。
メモリ。
言ってください。
何、ちょっと。
好き。
出生。
現在。
生きる。
好きです。
そのように。
do.Iはそれが、本当の意味の「生きてください」が結末のため1年間関係づけられるのを選択した大学を考えます。
なってください。
私が、ひどいと思う、「自殺の選択は選ばれていない」、そして、成長の過程として、重要です。
その時、人生は、受動態から活発に変化します。
それはそれに関連しません。
それ。
私は…にかかわらずそれになるのであるかどうか。


というふうに、あまりに唐突に鬼気迫る愛の物語が生まれてしまった!
中盤の奇抜な告白が思わずドキドキしてしまう展開だ・・・。


翻訳サイトの再翻訳機能は文章のエフェクターであり、その非常にダダ的で少しだけ文学的なエフェクトこそロスト・イン・トランスレーションの裏返しに得られる偶発であり、それはある種の真実が嘘や誤解によって構築され、新しく生み出される証明である。

SOMETHING NEW APPEARS BY LOST IN TRANSLATION .

2009-08-14 | ぎらぎら
それは2人ができるのを許容していなかった町に入る観測を開発するようになりました。色。 「1年は均等に91に分割されるでしょう。」と、彼は指を折っている間、言いました。 私に確かに人生、それ、およびIでどんな形に解決さえ起こるかので、本当に、死を考えてください、それをであるかどうか さらに、この町は、彼が彼になったと宣言しました。 それは確実により素晴らしかったです。 もっとも、それが正しくて、賢明ではありませんでしたが、私が感嘆した、今日のヘアスタイルの彼のもの、感嘆して、11を言いました(もちろん、それは彼と共に秘密でした)。 doudaiにそうしないでください。「私、「雌ジカによって提案された、」 「「海と川の境界の中のKouttewakedanaは線が好きであり」笑い。」 .."本当にそれ: そのように、すなわち、「「.」」 このdutai海に散歩のその川をにやりと笑わせながら笑ったので、笑って、彼が言ったので、のっているディフレクティングを…引いてください。 道路に。 , それによる女性で深く首を縦に振り続けていた間、あなたをあざけるので、あなたが確実に言ったので、そのIがそうであった、) 具体化しながらそれとしてそれをチェックしてあったので、私はひところ際立っていた女性について思い出させられました。 判断、どんな勝利、および敗北から。 ..分からないでください。 ....キャラクター。 ... 結局、女性と私は説明できる親類だけによる関係ですが、彼と私は本当の意味で仲間です。 私たちは、境界における晩に最終的に計画通り海に到着することによって、平坦な線を描きました。 沖に向かったのは、優雅に膨らんだカーブでした。 変化カーブは少しずつ、乾杯されるために必要に勝利を収めた近いコンビニエンスストア表情における彼の提案でビールを買った私たちであるときに時見られなければなりません。