ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」序・破

2018-09-25 06:52:30 | アニメ


今頃になって「エヴァンゲリオン」「ヱヴァンゲリヲン」の解釈を書いても時間が経ちすぎててあまり意味がないかもしれないけど、進行同時期に見て来てはいない者が少し書いてみたい。


巷でこの作品が意味わからなくて難しい、と言われていたのでその部分に興味はあった。どうしても見ることができなかったのはTVシリーズの時の絵柄と演出に抵抗があったためだ。放送後かなり経ってから少し見たが全部見切れずにいる。(ラストは見た)
それが時代を経て「新劇場版」になるとすんなり受け入れることができた。どうもあの時代のアニメの特徴に拒否感があるのだ。
なのでようやく気になっていた謎解きができるようになったのだが、結局今やっと見ている。

今見たのは「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」「序」と「破」まで。
実を言うと以前少し見たTV版のイメージも含めて「ヱヴァンゲリヲン」ものすごく解りすぎる気がしたのだ。
これは碇シンジの心象風景のアニメだということに気づいてみればそこに含まれた「謎」というより「現象」はすべて理解できていく。その一つ一つを並べていくのは限りなくなるが、とりあえずは大きな問題から。

これはシンジの心の問題のアニメ。アニメーションは彼の心を描き映しているのだ。
シンジは自分を含むこの世の中に「怒り」を持っている。常に不安といらだちを持っている。それで彼の名前は「怒り=碇」となる。碇は自分を水底に沈める重りだ。それこそが彼の怒りでもある。父・碇ゲンドウの言動に苛立ち、ゲンドウはシンジの原動でもある。
使徒は人。未熟な少年・シンジが最も恐れるのはこの世の中の「人」である。その恐怖を防ぐためには強力なA.T.フィールドが必要になる。

作品を見ているとその世界観の狭さにおかしくなる。都会ではあるが小さな区域だけが彼の知る世界観だ。彼の心に登場してくる人々も限られている。それはシンジが知っている人々だけが彼の心に住むだけだからだ。未知の人は恐怖の「使徒」となる。

例えて言えば他のアニメ作品「ガンダム」「ヤマト」いや「ドラゴンボール」だろうが「あしたのジョー」だろうがなんでもいいのだけどそういった今までの別のアニメ作品というのは現実としての世界ーとんでもないSF作品だとしても「ひとつの現実社会」をフィクションとして構築したものなのだけど、「エヴァンゲリオン」はシンジという少年の心の中だけの社会なのだ。だからその世界は偏狭で閉ざされている。

少年マンガと違って少女マンガは心の描写ばかりで社会を描いていない、というような揶揄を受ける。「エヴァンゲリオン」は少年マンガではなく少女マンガの世界観に重なる。
作家・庵野秀明は自己を少女マンガ的分析で描いたのだが、それを見た少年・男性たちは自分たちが思いもしない表現だったためにそれを解析できず驚いたのではないか。
女性はかなりこの作品を理解しやすかったのではないかと思うのだが。

母としての存在である綾波はシンジの甘えであり自分を無償で助けてくれる。他方、異性としての存在アスカは常にシンジを威圧する「あんたバカァ?」
以前の世界を破壊したという「セカンドインパクト」はその名が示す通り「第二次性徴」これによって少年シンジは穏やかなそれまでの世界を徹底的に破壊される。美しいだけの時期は終わった。
彼は常に恐ろしい「ヒト」と戦わねばならない。逃げちゃダメなのだ。
父は息子の成長を冷ややかに見ている。
息子は父からの言葉を待ち、求め、そして反発する。

シンジの未成熟さは幼い顔やか細い体に表現される。彼がエヴァに乗って戦うことは常に孤独で恐怖に満ちている。
何故まだ未成年であるシンジが恐ろしい敵と戦わねばならないのか。父親がなぜ彼を戦わせるのか。それはそのことがシンジを成長させ大人へと導くからだ。

しかし大人になった時(サードインパクト)世界は終わる。とこの世界の作りては言う。

少年の時は終わる、と。



さてさて。これが遅れてき(過ぎ)た者の言い分であります。
たぶん言い古されたことばかりでしょうけども、とりあえず書いてみました。
次回は「Q」について書く予定です。
カヲルくんが楽しみですね。

追記:このアニメ世界って男の子が自分の世界に入ってずーっとぶつぶつ戦ってるってのがあるじゃないですか一人遊び。
「もうだめだ、最強の敵が現れた。だいじょうぶ助けにきたぞ。そうか。力を合わせて世界の平和を守るのだ・・・くらえー」みたいなのを人形をつかってずっとやってるやつ。もしくは自分だけ変身して見えない敵を打ち負かしてる、あれを思い起こさせます。
他人が入り込んでこない自分だけの敵味方の世界。男の子の戦いの世界。子供の時だけのひとり遊びの世界が終わる。


父の入院

2018-09-24 20:25:58 | 日記
昨夜、突然父が入院したという知らせを受けた。妹からだった。老人ホームにいる父が急に具合が悪くなったのだ。少し離れて暮らしている私は実家暮らしの妹に何もかも任せっぱなしだった。
ほんとうは一週間前にもうだめかという状態になったのだそうだけど、なかなか行き来することのない私には遠慮したのだと思う。

早寝の私は妹の知らせの後にすぐ寝室へ行った。
眠れないということはないはずだと思った。話を聞きながらも少し眠気が襲っていたくらいだ。だが、いつもすぐ眠ってしまう私が少しの間朦朧とした時間を過ごしてしまった。
何度か夜中に目が覚めた。
一度は起きて水を飲んだ。
横に眠る夫には声をかけなかった。
自営業をしていて夫は朝早く一度外へ出る。帰宅してから話そうと考えた。
朝早めに起きてできるだけ家事を済ませてしまおうと急ぐ。
なんとはなしにいつもより気持ちが落ちている気がするけど、そんなはずはないと自分に言い聞かせる。
動揺することはない。
とにかく今日は病院へ行ってみよう。
それでいいはずだ。
夫が帰ってきて一仕事して、話がある、と声をかけた。
「どうした?」
「それがね」言いかけて声がつまった。
突然涙がこみ上げてきて声にならない。
こんなつもりじゃなかったのに。どうしてなのか、自分でもわからない。
冷静に話すつもりだったのに、それでも懸命に伝えた。
夫もびっくりしただろう。
いつもそんなじゃないのに。
「うん、とにかく行ってみるといい」

初めて行く病院で、父は横になっていた。
声をかけると小さく反応した。
もうあまりなにもわからないのだ。
それは老人ホームにいる時からそうだったのだが。
じっと寝ていた父が急に寝台わきの手すりにつかまり起き上がろうとする。
焦った私は看護師さんを呼んだ。
腰が痛くて位置を動かしたくなったらしい。看護師さんたちがふたりがかりで
父の態勢を変えてくれた。

さよならまたくるねと言って
病院を後にした。

家に着いて
私は少し眠った。

地面の下の神様

2018-09-23 21:19:53 | 思うこと
つい先日、近所の空き家の解体工事がありました。2・3日かかって家がさっぱり取り壊され運び出されてしまった後、残るは床の撤去と地面を綺麗にならすのみだなーという段階で工事が中断。
がたいの良い現場の主任男性が困った顔でどこかに連絡を取っていました。

聞いたところによると「地面を綺麗にしようとしていたらそこにどうやら井戸があったのだ」とのこと。
以前同じように解体工事をしていた時に現れた井戸をそのままにして埋め立てていたらなんと主任さんの首がおかしくなってしまったといわれるのです。
井戸には神様がおられるのでそれを蔑ろにしてはならなかったということでお祓いをしてもらったら無事治ったらしいのです。
なので今回事情を知らぬまま工事をしていたら井戸が見つかったのですぐさま神主さんを呼んでお祓いをしてもらうよう頼んだということでした。

すぐに神主さんが来てくださってお祓いも済み、工事は終わりました。

そういうことがあるんだと今更ながら知ったことでした。物事を知らない人間ではありますが、やはり神様をおろそかにしてはいけませんね。恐れを持つのは必要です。そういうことはとても大切だと思っています。

「ゴールデンカムイ」野田サトル

2018-09-23 06:31:01 | マンガ


めっずらしく今現在進行形のマンガの話です。というか、今現在進行中のマンガで買って読んでいるのはこれと山岸凉子「レベレーション」あと「進撃の巨人」くらいなのだから仕方ない。後はネットで読んでるのくらい、かなあ。しかもどれもも単行本になってから読んでいます。

「ゴールデンカムイ15巻が発売されてて読んだところです。ホントいうと少し不安でもあったのですよね。14巻で何となく物語が一段落してしかも状況が一変して舞台そのものが大きく変わっていくという、何となくこういうところで中身のレベルというか濃さというか、テンションが緩くなってしまっていく転換点みたいなものってあるじゃないですか、しばしば。
あーものすごい面白さだった「ゴールデンカムイ」もいよいよそういうところへ突入したのか、という恐れが無きにしも非ずで。

だけど杞憂でしたね。

いやいや、14巻まででよく言う仲良しクラブ的な馴れ合いができつつあったのをすっぱりと切り捨ててしまったのはものすげえと思うのですよ。だって「ゴールデンカムイ」(金カムって書くべき?)にはまり込んだファンってやっぱ杉元の仲間たちと鶴見中尉の仲間たちの内部キャッキャウフフの掛け合いが楽しみでまだまだそれに浸ってたのにいきなり楽しいお風呂から引き揚げられた感ありありじゃないですか。

当分それでふざけあってても許されたはずのをぶっちぎってぐんと前に進めていってるのがこれだから面白いんだなと思うしね。しかも表紙に月島持ってくるっていうのが14巻までの彼の実直な活躍ぶりが評価されたことを示していて嬉しいではないですか。
とにかく金カムの連中はどいつもこいつも魅力的なのばかりでお気に入りを選ぶのに困ってしまうほどなんだけど、やっぱり一番好きだと意識したのは早い時点から鶴見中尉でしたよ。てか、鶴見中尉の目的のほうが理解できないか?断然応援したいんですけど。杉元のより。

何度でも言いたいけど、出てくるキャラ全員面白くてたまんないですけどね。鶴見中尉側が良すぎるんだよなあ。鯉登少尉と月島の鶴見中尉との関係がもう良すぎてどうしようもないんですよ。そして二階堂・・・理解の枠を超えとる。
宇佐美上等兵、有坂閣下も可愛いしね。

杉元側も並べだしたら止まらないんで、ここまでにしときます。

それにしても長らくマンガに書くのもタブーとなっていた、と聞いていたアイヌを題材にして、解決されてない北方領土を舞台にしてこんな面白いマンガを長期連載できるってなあ。
かつて山岸凉子が「妖精王」でたった1ページアイヌの女神様のイラストを入れるだけでも躊躇があったという話をどこかで読んだ記憶があるのですよね。1970年代中頃のことですね。昔の人間としてはいまだにその記憶を引きずってたので凄い驚きだったのです。ああ、こういうマンガを描ける時代が来たのかと!
描ける人がいなかった、というだけなのか、どうか、私にはわからないのですけどね。

そういった衝撃も含めて「ゴールデンカムイ」登場人物が総出で面白いのと物語も深く複雑でミステリーでもありアクションありの冒険活劇ものである、と。
しかしそろそろ物語は結末にさしかかっているのですかね?
もっと読みたいなあと思わせながらがんっと終わってしまうような恐れる未来を感じつつ、もう少し変態な連中を見ていられる幸せに酔いたいものでありますね。

正義の味方が多すぎる

2018-09-22 06:20:43 | 思うこと
とにかく今は正義の味方が世の中にあふれている。不正が蔓延ってるよりいいじゃないかとも思うけど、時々怖くもなる。

まずはネットでの意見。私はツイッターをやってて、ほぼ読んでるだけ状態だったりするけど続けている。いろんな情報と意見が飛び交ってて面白いことこの上ない。

そして時々、というか毎日なにかしらの意見にコメントがつき、リツイートされ、さらにコメントがつく。
愉快な場合もあるし、「こんなこと発言してるやつがいるぞ。許せない」的な場合もある。
それが多くの人々の反感を買うような内容だとものすごい数のお叱りが続く。
まー、ツイートというのはそういうものなのだということもできるし、匿名性もあるし、やめよう、消そうという逃げ道もある。

ところでこれがTVの中でも頻繁に行われている。昔からあったかもしれないけど、今現在の事件や問題への意見交換、問答は過熱しているように感じる。

TVというのは終焉を迎えたなどという時期にさしかかっていると自分も思うのだけど、それでもまだまだ完全に終わったわけじゃない。若い世代ほど見なくなってきてるのだろうけど、それでもまだ影響力は残っている。

そんなTV報道番組もすっかりネットの影響を受けていてネットで拾った動画を流したりする有様だけど、同じようにネット的な「正義の味方」報道が増えてきたように思えるのだ。
犯罪とまではいかない「世間の迷惑行為」(と皆が認識したこと)を報道しコメンテイターに「これはいけませんね」「常識を疑いますね」「犯罪にならなくてもマナーを守りたいものですよね」という判断を言わせる。
確かに時にはそういう報道が力なき市民を助けることもあるかもしれない。
だけど反面、公開しなくとも良いようなものもある。もしかしたら誰かにとってしてほしかったのかもしれないが。

例えば昨日の朝の報道で「スウェーデンのあるホテルで中国人旅行者がチェックイン時間よりはるかに早く到着してしまった。真夜中だったので彼らはロビーで休ませてほしいと頼んだが、ホテル従業員から追い出されてしまい、警察が駆け付け、3人の中国人旅行者は大げさに道路で泣き喚いた」というのがあった。その後中国でこの報道が音声なしでなされたため国民の怒りを買い、スウェーデン政府に抗議、スウェ政府は拒絶した、ということだったのだけど、番組のコメントは中国人旅行者への反感と叱責に集中していた。

うむむ?

この報道だけでは「なんともコメントできませんね」だけしか言えないと思う。
「想像ですが・・・じゃないのですかね」「中国人旅行者の態度が悪くて酷いクレームをたくさん言ったような気がしますね」というようなコメントが並んでて、それは番組内の人間が勝手に思っただけのことを遠回しの表現で文句つけてるにすぎない。

事実は違うとわかった場合でも「あの時の報道だとそういう風に想像してしまっただけですよ」という逃げ道を作った上で視聴者のイメージをコントロールしてしまう報道ってやってはいけない。
それでは一般大衆がネットでやってるつぶやきと同じ、だけどTVの影響力は違う。人格者とみなされている有名人が発言したことってそれだけ大きな力を持っているわけでこういう風に叱責の発言を聞いたら「やっぱり中国人旅行者というのはまったく世界のマナーを守れないんだな」というように視聴者に思い込ませようとしてるとしか思えない。
報道内容自体はこういう事柄を中国政府が口出しをして国際的に問題にした、ということなのかもしれないのに、日本のTV番組が報道のイメージを操作して日本人の視聴者に間違った方にイメージさせているという点では中国政府のやり方と全く同じ、というわけじゃないか。

そしてそういった報道イメージの操作をこの場合、なぜしなければいけなかったのか?ある一家族の中国人旅行者の問題を(番組自体で中国政府に対してではなく旅行者家族に批判をしていたので)かなりの時間を使って議論する必要があったのか?事実確認をした、とは言ってなかった。家族の外見がちょっと冴えない感じだったのがより印象操作しやすかった気もするのだ。

正義の味方があらゆるところにいるのだけど、ほんとうの正義の味方なのか、どうでもいい味方なのか、あまりにも多すぎて時々途方に暮れる。