ふせちゃんのブログ

布施隆宏 公式ブログ。 鉄道写真 風景写真 ジオラマ制作など 趣味の世界を紹介します。

わたらせ渓谷鉄道 3

2006-08-15 01:01:00 | 伝えたいもの

 わたらせ渓谷鉄道 (旧 国鉄・足尾線)の歴史。
元々は大正3年に足尾鉄道株式会社が、鉄道院(旧 国鉄)の大間々駅から足尾本山駅まで開業させたのが始まり。 足尾銅山から銅を搬出するための鉄道でした。
 当時、日本の先端技術を駆使した足尾銅山でしたが、銅の産出量が低下、昭和48年に銅山は閉山しました。 そして足尾線沿線も、次第にかつての賑わいを失っていきました。
 昭和59年(1984年)、足尾線は赤字地方交通線として「第2次廃止対象路線」に指定され、廃止か存続か、大きな分岐点にさしかかりました。 貴重な生活路線であると存続を主張した沿線市町村の人々は、国鉄の掲げた「赤字線廃止基準」の1つ、「1時間あたり1000人の乗車率」をクリアーさせるため、乗車運動に望みを託しました。
 しかし、昭和62年(1987年)に国鉄が民営化し、存続が難しくなったことから、平成元年(1989年)3月、第三セクター方式によりJR足尾線は「わたらせ渓谷鉄道」(←クリックすると飛びます) として生まれ変わりました。 全長46kmの短い鉄道ですが、長く、そして多くの歴史を秘めた鉄道なのです。。。
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わたらせ渓谷鉄道 2

2006-08-14 01:25:31 | 伝えたいもの

 わたらせ渓谷鉄道とその周辺。 わたしは、わたらせ渓谷鉄道の全身である国鉄足尾線を、昭和59年(1984年)から5年間、撮影を行っていました。 緑深い景色の中を、短い編成のディーゼルカーが走る風景はとても絵になっていました。
 撮影当初、足尾駅以南の緑におおわれた山の風景と、それ以北の荒涼とした山の風景との違いにどういう意味があるのか、その頃の私はまったく気にも留めていませんでした。
 ある日の早朝、貨物列車の撮影のため、精錬所のある足尾本山駅近くを訪れました。 精錬所から出される白い煙が、対岸の間藤(まとう)の町をすっぽりと覆っていました。 気分の悪くなりそうな臭いでした。
 その後、足尾銅山に関して調べるようになりました。 その中での大きな問題は、鉱毒事件でした。 精錬所から出される有毒ガスによって山の木が枯れ、土砂崩れしやすい状態のところで集中豪雨に見舞われる。 山に野積みしてあった、精錬したカス(スライム)が川に流れ込む。 魚が大量に死ぬ。 下流の都県の田畑に鉱毒が流れ、作物が実らなくなる。 といった被害が過去にありました。
 栃木県にあるわたらせ遊水池は、その下流に鉱毒を流さないように、ここで沈殿させているわけです。 また、足尾町の数ヶ所に、沈殿のための階段状のプールが並んでいます。 通洞(つうどう)駅のすぐ北には堆積場(大きな砂防ダム)があって、ここに溜まった水は、入浴剤を撒いたような濃い緑色をしています。 さらに、草木ダムには、カドミウム等の鉱毒の濃度を調べるセンサーが設置されています。
 鉱毒に関しては、以上のような対策が取られています。
以前私がかいだ精錬所の煙は、精錬方法が改良されてからの、有毒ではないガスだったようです。
 ただし、鉱毒事件は、過去にはなりきっていない、今でも危険と隣合わせの問題なのです。。。

 「参考資料」 (←クリックすると飛びます)

          (なお、文章中に不適切な表現がありましたらお詫びいたします)
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わたらせ渓谷鉄道 1

2006-08-13 00:43:00 | 伝えたいもの

 わたらせ渓谷鉄道とその周辺。 今から400年前、足尾町の山中で銅鉱脈が発見され、足尾町は急速な発展を遂げた。 そして足尾町は、宇都宮に次ぐ栃木県第2位の人口を誇った。
 江戸時代は幕府の天領地として開発。 その後は古河鉱業として、当時の日本の最先端技術によって近代化し、発展を続けた。 日本が世界を相手に戦争を起こす前の、一番活気のあった頃のことです。
 現在、足尾町の町はずれに、中国人の慰霊塔があります。 なぜこんな山の中に・・・(?)。
 大陸から中国人捕虜を強制連行し、奴隷のように働かせていました。
 彼らは、銅山の危険な職場で強制労働させられていました。 食べる物もろくに与えられず、働き詰めで極度に過労していたようです。 過労のため視力が無くなり、前を歩く人の肩に手をかけ、一列になって歩いていたといいます。 そのため、一人が転ぶとみんなが転ぶ。 そんなシーンを、地元の方々はひんぱんに目の当りにしていたようです。 
 祖国に帰ることも出来ずに、無念に亡くなっていった109名の魂が、ここに眠っています。

 「過去 と呼ぶには早すぎる 過去」と言うか、「まだ終わっていない過去」 が、案外身近に存在することを、わたしたちは知っておくべきです。。。

          (なお、文章中に不適切な表現がありましたらお詫びいたします)
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風景写真展の紹介

2006-08-12 01:12:00 | 風景写真 ・ フォトテク
群馬県 藤岡市の 写真愛好家グループ 「フォト・アイ」 による写真展が、今年も開催されます。 レベルの高い写真が多く、また、点数も多いので、たいへん見ごたえがあります。
上信越自動車道 藤岡インターチェンジに併設されている 「道の駅 ららん藤岡」(←クリックすると飛びます) にて、8月12日(土)~20日(日)までです。

高速道を長野方面からは、高速道から直接入場できます。 東京、新潟方面からは、藤岡インターを降り、1分の所です。

ららん藤岡は 水あそびのできる広場を中心に、幾つかの美味しいテナントが軒を並べています。 水着ではしゃぎ回っている子供たちと、ベンチでソフトクリームやビールを飲む人たちで賑わいを見せます。 地元野菜の直売店もあり、ドライブの途中で立ち寄る方も多いようです。 「王様のおやつ」で有名な「ハラダ」(←クリックすると飛びます) の直営店もあります。
個人的なオススメは、お寿司屋さんの「魚健」です。 値段も手頃で、何度も足を運びたくなる良いお店です。。。
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新潟交通 3

2006-08-11 06:42:09 | ローカル鉄道写真
新潟交通、燕 ー 灰方 間。 この撮影ポイントのすぐ近くに高等学校があり、休日と言えども、部活の生徒たちの通行が多い。 その学校の塀の脇に、あやしいワゴン車が何時間も停まっていたら、どーなるか・・・。

この写真を撮り、40分後に通過する列車を待つため、車の中で待機していた。 すると、新潟県警のパトカーがやって来た。 どーやら、学校から通報があったようだ。
一人のおまわりさんがやって来て、免許証の提示を求められた。 それをパトカーに持って行き、もう一人のおまわりさんが無線で免許の照合作業を行う。 その作業には数分かかるため、その間、さっきのおまわりさんと会話をすることになる。 
窓ガラスはあまり大きく開けたくない。 車の中をジロジロ見られるからである。
案の定、少し開けた窓に頭をこすり付け、雑談しながらも、車内を観察していった。 その内に照合が終わり、おまわりさんは去って行く。 
私は、「ご苦労さまでしたー」と、社交辞令でお見送る。

今まで、一体どれだけの職務質問を受けたことか。。。

<40mm F8-11 1/250sec FLフィルター使用 >
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新潟交通 2

2006-08-10 00:05:00 | ローカル鉄道写真

この日の天気は 雨のち晴れ。 雲はどんどん消えていきます。
夕暮れが近づくと、低い雲に太陽が入り込み、「天使の梯子」とも呼ばれる光芒が現れました。
写真は、西日を表現するため、ブラウンフィルターを付けています。。。

< 燕 - 灰方 間 : 80mm F11 1/250sec ブラウンフィルター使用 >
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今日の虹

2006-08-09 23:20:04 | その他 もろもろ
今日の夕方、ケイタイのカメラで写した虹です。 てっきり、台風は接近中だと思ってましたが、きれいな青空が広がり、虹が出ていました。
まるで秋の始まりのような、ちょっとセンチな一日でした。。。
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新潟交通 1

2006-08-08 00:00:00 | ローカル鉄道写真
15年前に写した、新潟交通の電車です。 背後に虹が見えていたのですが、電車が来るのを待っているあいだに消えてしまいました。 西日を浴びて、運転手さんが少し眩しそうにしています。
この時代は全国に、味のある地方鉄道がかろうじて残っていました。 青森の南部縦貫鉄道。 和歌山の野上電鉄と紀州鉄道。 そして、この新潟交通。 
新潟市内では、一般道路を走る併用軌道。 つまり路面電車として運転していました。 しかし、それがアダになり、事故防止の為、この区間が早くに廃止になりました。 経営していたのがバス会社という事もあり、電車に車幅灯が付いていたのが特徴です。

<80mm F8 1/250sec ブラウンフィルター使用 >
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クム80000 改造

2006-08-07 06:41:50 | 鉄道模型 車両改造など
Nゲージ ショーティ (Bトレイン対応)、 クム80000型貨物車のショーティ化改造。
クム80000は4tonトラック2台を積載する貨物車です。 荷台の荷物を積み替える事無く、トラックごと運んでしまおうというものです。 この形態はアメリカの鉄道で数多くみられ、ピギーパックと呼ばれています。
今回使用したのはTOMIXのクム80000。 全長を約半分に詰め、中央で接合しています。 接合部は強度が弱いので、上下にプラ板を添えています。 台車はそのままTOMIXを使用。 カプラーは、KATOカプラーNに変更してあります。


以前紹介した ク5000 と連結すると、ピギーパックと言うよりは、新車のトラックを運搬しているようですね。。。
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サハシ165 改造

2006-08-06 01:10:03 | 鉄道模型 車両改造など
サハシ165、 Nゲージ ショーティ (Bトレイン ザイズ) 化改造。
種車は KATO の 153系 座席合造食堂車です。 サハシ165の車体ASSYパーツが品切れだったので、153系で代用です。 と言っても、車体表記が違うだけですが・・・。
車体の両端を切り落とし、中央部を使用しました。 妻板は、Bトレイン165系セットの付属パーツを流用しました。 床板もBトレのものを使用しています。
上の写真の右側が残がい(発生品)ですが、これだけあればもう1輌作れそうな気がします。


編成にアクセントが付き、良いカンジです。。。
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