絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

儒教と日本人

2006年04月25日 08時39分54秒 | 一絃琴
一絃琴の場合、江戸中期より盛んになってきた「国学」との
関連がいつも言われる。(いわゆる大和心の再見、復興)
それまで、仏教や儒教に侵食され続けた日本人の、真の精神を
取り戻そう!!ってな具合で、荷田春満、本居宣長や賀茂真淵と
いった人々が有名だ。
それまで、官学として儒学が重要視されていたと思うが
幕末の『復古主義』(将軍ではなく天皇を拝しあがめる考え)に
この国学はぴったりなことだった。

で、なぜ、尊王の武士たちに一絃琴なのか?ということだが
この琴の真のルーツそのものが、確かなことはわからないので
(民族学的なことはあっても、音楽的にはわからない)
私自身はっきりとはかけないのだが
江戸末期に流行るまえは、あまり曲がなかったのではないか、
あったのは、御神楽歌や万葉の時代の歌だけだったのではないかということだ。
(あくまで仮想です)
だからこそ、万葉の時代のこころ、すなわち「大和こころ」を表現できると
感じたのではないのだろうか。
また、奈良・平安時代には、貴族の教養としての「笛」「琴」が
あったことから、古きよき時代を彷彿とさせるものであったのかもしれない。
また上代の琴は、琴柱のない「きん」であっただろうから
筝(そう)には向かわず、一絃琴にいったのかもしれない。
(筝の演奏は難しいので、手軽そうな一絃琴が好まれたのかも?)

ではタイトルに書いた「儒学」と何の関係があるのかということだが
現代の人々が(自分も含めて)『日本人らしさ』というとき
果たしてこの国学のいうところの「大和こころ」をイメージするのか
はたまた、中世以降の仏教や儒教に侵食された考え(自分ではそうと気づいていない)を
思い浮かべるのか?どうなんだ、ということを考えてみたいと思ったのだった。

ブログで、「日本人のDNAが…」と偉そうに書いてあるが
その「日本」は、実は儒教に支配された「日本」かもしれないのだった。。。
いま「儒教とは何か」読んでいるが、なかなか面白い。
この本とは関係ないのだが、最近あることから『斎藤拙堂』を知った。
江戸時代末期、津藩に『斎藤拙堂』という藩主お抱えの儒学者がいた。
津の偕楽公園だったかに大きな石碑があるらしい。
機会があれば行ってみたい。(つつじの頃に…)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。