絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

久々に聞く

2006年11月20日 08時38分14秒 | 一絃琴
「漁火」という曲は、よく演奏会で耳にしていた曲でした。
でも、実際なんと歌っているのか全然わからない、そういう曲でした。
母音を長く伸ばす箇所が多くて歌詞がわからなかったのか
歌っている人の発音が不鮮明でわからなかったのかわかりません。

今日のお稽古はたぶんこの曲をやると思うので
あらためてCD「絹が織りなす」(清虚洞一絃琴 齋藤一蓉)を聞きました。
生音と違い、なかなか本当の音や唄というのはわかりにくいと思うのですが
当初これを聞いたときは、エコー?が効き過ぎているようで
すごく聞きづらく感じたのを覚えています。

久々に聞いてみた感想は、この方の「唄」がいま私が習っている唄と
かなり違うなぁということです。
癖とかもあるかもしれませんが、ゆったりとした唄はとても風情があり
ただ単に母音をのばすだけよりも、邦楽らしい音の揺れがあった方が
はるかに日本的のような気がしました。
また一方、間奏の部分は、前と後の部分に比べてもっとリズミカルな
展開の方がこの曲らしいのではないかとも思いました。

一絃琴の演奏で感じるのは、どの曲のどの部分も同じ速さで
同じトーンで弾いている方がほとんどで、その曲への自分なりの解釈というか
そういうものが伝わってこないように思います。
教えられた通りに弾く、そのままを弾く、それが伝統なのだと
ひょっとしたら思われているのかもしれませんが
一絃琴の来た道を辿ってみたら、いま伝えられていることが
「絶対」ではないということに自然と気がつくと思います。
どれが正しき伝統で、どれが亜流である、などということは
一絃琴について言えばナンセンスではないかと思ったりします。
(名乗った者勝ち、はどこの世界でも同じ)

邦楽の一分野としての、資料としての一絃琴ではなく
聴衆のこころに響く(弾き手のこころにだけでなく)
生きている一絃琴に出会いたいものです。


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