介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

介護していません

2011-04-18 08:14:07 | 日記
決まり事の様に、土曜日(16日)に母を自転車の後ろに乗せて父の所へ行きました。今回も30分程度の面会。

木曜日(14日)、地震の際に何かの拍子で車椅子から落ちたとの連絡が入っていたので心配していましたが、身体に怪我はなかったです。

しかし、マダラボケ老人はどうしようもない。
父の部屋がある2階へ上がり、『さて、部屋にいるか、食堂に居るのか?』と考えながら、一応、食堂の方に目を遣ると見慣れたハゲ頭。近付くと、案の定、父であり、何時もの様に「今日は何だ?何しに来た」との挨拶。土曜だから来たのだと説明すると、やおら「家には帰りたい」と言い出したので、『この前脱走した時に納得したでしょう、家に帰ってきてもお父さんが生活できるような家ではないでしょう。あの家を作ったのはお父さんじゃないの(注)。散歩程度だったら、いつでも連れて行けるけど、どうするの?』と問いかけると、そんな話しは無視して、今度は「今度、部屋が変わったんだ。手前から○○番目だ」と話し出す。『先週、来た時に部屋で会っているでしょう。最初に来た時に入っていた部屋の隣だよね。実質一人部屋でよかったね』と答えれば、「ここは食堂なんだ。ボケて何も判らないヤツばかりが集まっている」と、会話がチグハグ。

そんな会話を交わしていた食堂では「薬の時間」。看護師と職員の方が、声掛をしながら薬やお茶(1階に居た時にはコーヒーだった)を配っていたので、『お父さんの席は何処?お茶は飲まないの?』と聞くと、急に部屋へ移動開始。
何時もの様に、話す事が無くなると帰れと言うので帰ろうとすると、珍しく「たまには2時間ぐらい居ろよ」との滞在要求。居るのは構わないけれど何をするのと問いかけると、「あそこが食堂」(さっき居たでしょう)「ここが俺の部屋」(先週も来たでしょう)「家に帰らせろ」(だから散歩程度しか無理)と、又、冒頭の遣り取りが始まって仕舞いました。結局、散歩しても見たい物はないのでイヤだし、家に帰っても自力で生活できないことに気付いて、追い返されました。

注)当時、父は隣町の製材所に勤めており、結婚が決まった時に現在の場所に急遽家を立てました。実際に家を建てたのはその製材所の方々ですが、お風呂場は無く(3歳頃までは親戚宅でもらい湯)、台所も母屋の横に別建屋で、当初は土間を予定していたのを板張りに変更して体裁を整えたので段差が10cm以上[私が昨年、改築させました]。
棟上前に下見に来た(母方の知人)大工の話では『商品にならない板。手抜き建築。増改築は困難』と、今でも言われております。

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