勝手に映画祭~2本目

2007年04月28日 22時34分12秒 | 日記風
二本目。
talking head。

 たぶん、映画の作り方の教本的なもの、、、だと思う。

内容が難しいので、何度か睡眠状態に陥る。
ま、難しいというより、映画を作らん人間には、
トリビアルな内容だったんだだろうと思う。

役名にクスりとしてしまったのは、
押井守作品の見過ぎかな?

勝手に映画祭~1本目

2007年04月28日 02時39分00秒 | 日記風
 GWを利用して、映画を見まくろう。

ということで、渋谷つたやで押井守の実写映画を4本全て借りてきました。

早速、一本め。

"avalon"

 前評判はいまいちだったけど、個人的にはなかなか面白い作品でした。
でも、事前に「ビューティフル・ドリーマー」見ないと、
理解は難しいと思われる。

 いかにも、バーチャルのように見せる画と、リアルのような画。
このバーチャルの画が、主人公の心象風景か
それとも、バーチャル空間の画だと思っていたのだけれど、
双方裏切られる結果に、、、

 「現実の世界」「バーチャル世界」そして、
「事実」「感覚」これをどう評価するか、
によってこの映画の評価は異なると思う。

 オイラ自身は、
「事実」というのは、人の五感では把握不可能であり、
あくまで、「感覚」というバーチャルなものに立脚しているという
思想の持ち主であり、この種の映画は受け入れやすいのかもしれない。


また、マスメディアはある種の思想の志向性を持った機関であるのだから、
「事実・真実」なるものを伝える器を持ちえるはずがない。
というオイラの考え方から、一つ思ったこと。

 監督がいろいろなところでしゃべっているように、
「ニュース映像(戦争とか)は信じる気になれない。」
というコメントとを勘案し、また、
この種の画を「作られたもの(映画)」として考えることと
この映画のコンセプトの一つである「すべての映画はアニメである」
という発言とは、何か因果関係があるのではと、ふと思った。

 ま、わかりにく~い映画だし、
五感と事実との乖離はない、(少なくとも影響は少ない。)
という考えの人から見れば、
気持ち悪い映画なんだろうとは思う。

 映画の表現としても、同じようなシーンのリフレインやら、
画のギャップを用いた表現やら、粋なもんだと思った。
 出来れば、せりふ多めに、犬少なめにお願いしたい(笑)。

それ、困難です。

2007年04月24日 20時57分42秒 | 日記風
家族ゲームのワンシーンが如くの我が担当の食事時。
上司が珍しく質問。
「昨日イベントに呼んだ山寺宏一は、何に声を当てているのか?」

五十中盤のおじ様にわかる答えが見つからない…。(しかも、『チーズ』は、オッサンが言っちまっている!)小さな声で、『ドナルドダック』。

な~んか、敗北感を感じた昼食でした。(オイラは、Disney大嫌い。)

お仕事中の一こま

2007年04月11日 21時15分23秒 | 日記風
 今日も今日とて、経理データとにらめっこ。
僕の給料の数百倍の額と格闘中。

 そんな中で、今日、ふときづいたこと。
オイラが、困難な仕事に立ち向かうとき、
まずい独り言を垂れ流していること。

 「この処理やったやつは、しねよ。」
 「俺がやめたら、誰がこの処理するんだよ。」
 「システムがバカなんだよ。」
 「チッ。(上司が喋りかけてきて。。。)」
etc...


 あ~、俺、マジ最低だ。。。(笑)

年休あけ日常の一コマ

2007年04月10日 23時09分42秒 | 日記風
パソコンと格闘。格闘。格闘。

疲れたせいで、ipodなしなのに頭から音楽が流れ出すオイラ。
そして、曲に合わせて小刻みに頭をふるオイラ。


気味悪がる上司。
『早く帰ろうか。』と一言。

意外な優しさを見せる上司に、我にかえるオイラ。
『なんて気味が悪い。』

どうやら、今日も一日平穏に終わりそうです。

オープンソースの影響力

2007年04月07日 17時21分32秒 | 日記風
 茂木健一郎の小説「プロセス・アイ」で
リナックスに代表されるオープンソースが、
資本主義とは異なる社会主義的な構造であり、
全ての人への利益貢献や仲間内の名誉をインセンティブにしていると
記述されていたが、
資本主義が「貨幣による数字把握」が出来ないものに対応していないこと、
「大衆のための行動」に見返りを求めていないこと等から、
私もその意見は妥当だと考えている。

 ところで、政見放送において、過激な発言を行った候補者の映像が、
複製され、若しくは加工されて、配信されている。
本件候補者の、加工された画像を見たが、
テレビでは滑稽に写った映像も、巧妙な画像加工を加えれば、
それなりにリアリティーを提示することができ
アジテーションの効果も発生が可能であることを示したように思える。

「貨幣による見返りを求めていない点」において、
オープンソースに近い行動であると感じる。

 今回の候補者の1件については、
あくまで、候補者は落選前提であり、愉快犯的存在であることから、
法的に問題があっても、大きな社会問題ではないが、
 一部の人間が、共謀するか否かに関わらず
オープンソースの論理を用いて、
『私欲なく、皆のために』一斉にアジテーションをかけると、
実行者の意図を超えた大きな影響を発生させるのではないかと感じる。

 そういえば、現在は新しいメディアたるネットワーク技術の勃興期であるが、
ヒットラーが活躍した時代は、現在は熟練されたメディアである
電波による放送やカラーフィルムが開発された
「映像の世紀」であったことを思い出す。

やけっぱち?

2007年04月07日 16時51分22秒 | 日記風
 押井守 川井憲二 アハトアハト

 押井守のパーソナリティのラジオ番組が始まっているらしい。
これを、レギュラーでやろうとは、文化放送は何考えているんだろ?

 「萌え」とか、秋葉系とは一線を画した、
押井ワールドをラジオで聞けるのでおいらはうれしいけど、
ゼッタイ、ヨクワカラナイラジオになるよな。。。

あるあるの訂正放送

2007年04月03日 23時11分07秒 | 日記風
 「あるある」の一連の番組。

 「メディアは疑っておくべきもの。」
という訓示をメディア自身が行ったものといえるでしょう。
 これが、「納豆ダイエット」という、
卑近かつ信じることによるダメージが少ない内容で良かったといえるのでは?
と、思うのですが・・・。

 昔、これもフジテレビ系で「緊急結婚特番」という
芸能人の結婚というデマを1時間流し、それをデマと言わないことで
バーチャル感覚を味わう番組がありまして
このときも「テレビは疑うもの」という認識を植えつけてくれたました。

 オイラにとっては今回の事件が、
それを分かりやすく、広範囲に伝えるものという位置づけです。

 良かったじゃない、戦前みたいに戦争につながるような
アジテーションにひっかかったわけじゃないんだから。
(なんだか、危ない言動にちかづいてきましたな~。)

 「テレビは疑うもの。」メディアリテラシーの第一歩です。