会社において

2007年10月27日 10時28分18秒 | 日記風
 winny禁止のお触れが出そう。
 会社の業務に関わる情報の漏洩は問題外だけど、
仕事のデータを一切入れないPCに対して、
個人のPCを管理する権限って、雇用契約に含まれてましたっけ?

 ま、百歩譲ってそれは認めるとして、
家族のPCにもwinnyを入れるなという。
それは、むちゃくちゃだと思う。
家族には、契約も一切の債務も発生しない。

 何でも、管理で縛れば、問題は解決するというのは、
間違いなこともある。
 最低でも、何の情報もなく、いきなりというのは。

らいふってどらま ~そのご

2007年10月22日 00時40分34秒 | 日記風
 以前、ドラマ「ライフ」について、
表現が扇動的ってこのブログ内に書いていたんだけど、
やっぱりBPOに苦情が多発している模様。

 ただ、このBPOとか、総務省とかへの苦情となると、
ちょっと、事情が変わってくる。
直接的に規制されなくとも、萎縮効果があるからな~。

 個人的には、前に書いていた時と同様、
メディアリテラシーの普及は必要だと思うけど、
表現の自由を規制する口実とされるのは、ちょっとどうかという意見。

21世紀を夢見た日々

2007年10月22日 00時23分58秒 | 日記風
 21世紀を夢見た日々

 小山薫堂、栗山千明という大好きなふたりが出ていたので、このETV特集を見た。SFの誕生から、70年代くらいまでの年代記及び、現在の影響という内容。

 90年代後半のアニメーションからSFに入った人間の僕は、
SFって構えてみてしまい、
「常識と異なる世界観と現実を背景とした哲学」が必要な文学作品、
ってイメージがあったけど、何かと幅広く、
「いわゆるちょっと現実と異なれば」SFの要素はあるのか~と思った。

 で、21世紀になっちゃった今は、
もう、SFっていうのはこだわらなくても、
現実がSF化しているので、何をやってもSFなのかも、、、
な~んて考えたりしている。

 世の中の動きが加速し、流動化すれば、
常識なるものはすぐに廃れ、SFの根拠たる常識はなくなる。
そして、常識なるものが廃れれば、人々は内面を信じざるを得ない。
(生活自体がSF化するオタク層の誕生??)
な~んて、オタクなボクがぼんやり仮想している。

今週の雑感

2007年10月21日 13時15分13秒 | 日記風
 ①今週は、北陸、東北と寒い地域を旅行していた。
  北陸の感想。
  ますずしたべた、はくたか長すぎ、ヒトがテキトウ。
  東北の感想
  牛タン二回目、ちょっと寒い、いいヒト多いな~。

  もう少し時間があれば、ちゃんとした感想が書けるが、
  あまりにも時間が少なくて。。。

 ②やどかりが癒しな先輩
  オイラは、特に年上のヒトと、
  仕事もプライベートも一緒にベタベタというのはとっても苦手。
  いつものように、上手いこと煙に巻いて、ホテルは別にして、
  仕事のみのお付き合いをしようとしたら、
  「嫌われている。」といわれ続ける。

  そんなに後輩に構われたいのかね~。

 ③再び、やどかりが癒しな先輩
  ヤドカリが癒しって?とか思っていたけど、
  よく考えたら、自分もアロマテラピーとかやって
  癒しを求めている。

  オイラもお疲れ?

 ④客観視できない曲
  ipodにある曲の中、マライアキャリー「It'S Like that.」を聞く。
  この曲を聴くと、
  なぜかウツ一歩手前にいった頃の記憶が戻ってきて
  その頃の気分に思い出してしまう。
  (医者には認定されていませんが)ココロの風邪で、
  言葉が出なくなったり、頭の回転が極度に遅くなったり、
  定時に腹痛機能が機動したり、拙い独り言がでてきたり。。。

  でも、何でこの曲が記憶のロックキーになってしまったのか?
  それは、全く思い出せない。不思議。
  この手の曲で、東京事変「歌舞伎」、ZAZEN BOYS「cold beat」とか
  別の曲もあるのだけど、
  これは「無理やりテンションをあげよう。」として、
  かなりなローテーションで聞いてた結果。
  このマライアの曲は、そういう思い出が全くないんだよな~。
  
  いづれにしても、曲を聴いていると、曲どころじゃなくなる。 
  じゃ~聞くなって?
  いやいや、この曲を聴くと、
  あの頃に比べれば、今は幸せだ~、という
  「消極的な幸福感」を味わえるのです。
  だから、たまに聞くの。

  いや~、ま~、幸せかな~、まだ今は。

さいたま新都心にていろいろ疑問。

2007年10月08日 17時33分11秒 | 日記風
 散歩で、新都心へ。そこで疑問が。。。

Q1
某ドラッグストア屋で、
特売品の目薬(α)とそうでない目薬(β)がありました。
へそ曲がりのAさんが、
そうでない目薬をレジに持って行きました。
そこで、店員が一言。
「これより、αのほうが効き目のある目薬ですが、
そちらでよろしいですか?」
Aさんは「結構です!!」

 へそ曲がりのAさんこと、オイラは思うのだが、
この店員さんの行為って、不法ではないにしろ、
不当じゃありませんか?ってこと。
「専門家としてαがよいって言うのに、何でβをおくの?
 そして、ボクがβを選択して、何で止めないの?」
「もし、仮にαを売るほうが利潤が大きいから、
『αが効く』と説明したのなら、医薬品を販売する立場として、
不法か否かを別として、信義に反するんじゃないの?」

 いずれにしろ、β目薬のライオンさんの商品は
ボクにとっては、相性のよい目薬のようでよかったです。


Q2
 高校受験前の中学生のイベントがあったよう。
ボクの地元の中学校もきてたから、たぶん、
全県のマジメな中学生がやってきていたのだろう。
どこかの塾のイベントかテストなのかもしれない。

 でも、何で親と同伴できてるの?(たぶん、全員。)
中学生にもなって、親御同伴のイベントなんて、過保護?
ボクの頃は、三者面談ぐらいだったと思う。
(それも、親にウソ言ってサボタージュした記憶がある。)
 中学生にもなったんだから、お金の面倒は別にして、
受験手続きとか、お勉強の結果とかは自分で責任とらんとまずいんじゃないの?
あと7年もすれば、自分でお飯食べていかなきゃならんのに、大丈夫?

世の中では、お勉強なんかよりも、
主観的、積極的な責任感が求められると思うのだが。。。

Q3
そんな疑問を持っている僕のふところ。1,500円って。。。
(周りは中学生だらけ。
そんななか、お勉強はまーまーだった”先輩”は、
社会人になっても1,500円で、イタヅラに徘徊しているなんて。)

橋下発言と裁判について

2007年10月01日 23時48分18秒 | 日記風
 橋下弁護士の「懲戒請求」による発言にかかわる裁判について、
訴状、及び答弁書を読んでみた。

 淡々とした原告側の訴状と、89pに渡る答弁書。
何か、コントラストのある感じでしたけど、
橋下弁護士の自己主張、特徴的な考え方(刑事被告人は、国民のためにもある。)
という点が際立っていた。

 素人の個人的な意見ではあるが、
①TVで呼びかける、自分は請求を行っていない等、
 適切、不適切かどうかは別として、
②TV上で、当該弁護士の良し悪しの判断は視聴者に任せており、
 「あの弁護士を辞めさせたいなら、懲戒にかけろ。」と言ったのみ。
 因果関係があるとまではいえないのではないか?

 しかし、個人的に怖いのは、弁護士でも橋下弁護士でもなく、
ちょっとしたきっかけで、4000件を超える懲戒を集めてしまう、
現在の社会状況なんですけどね。

beyonds the bounds の歌詞

2007年10月01日 12時42分42秒 | 日記風
Ranar likul viernopal kar  Ranar likul viernopal
お前の心臓を私の手のひらにお乗せ
Lenar panar virakeral kar Lenar panar virakeral
魂は樹の枝に
Ehnar lakitu luyarpal kar Ehnar lakitu luyarpal
身体は羽根の上に
Luyan henar terarkel kar Luyan henar terakeral llukaparsi
両目のうち、右眼は焼いてつぶしなさい

Tiernopar ehlkdu rapardu Lukarmisi porer tirer lupar
東の船は出発を遅らせた
Vierllosa tularsi tumirparEhkulur latu retie marar
私の羽根なら追いつける
Tiernopar ehlkdu rapardu Lukarmisi porer tirer lupar
冥界が口を開けて追ってくる
Vierllosa tularsi tumirpar Ehkulur latu retie marar
お前を欲しがり口を開けている

Message of the blowing wind
吹きすさぶ風のメッセージ
Erasing memories
記憶を消していく
Stars are the witnesses of our existence
星は私たちの存在を見届ける生き証人
Change is what the world awaits
世界は変化を待ち望んでいる
Could that be peace or war?
それは平和、それとも争い?
The answer no one knows
その答えは誰も知らない
Trusting the break of dawn
夜明けの瞬間に思いを託して
The blue bird flies away
青い鳥は飛んでいく

Ranar likul viernopal kar Ranar likul viernopal
王はひときわ喜び人々に滅亡を分け与える
Lenar panar virakeral kar Lenar panar virakeral
忠実な犬は炎を繰り
Ehnar lakitu luyarpal kar Ehnar lakitu luyarpal
砂漠は溶けて海になる
Luyan henar terarkel kar Luyan henar terakeral llukaparsi
その海を渡れる者は眠りの旅から舞い戻る

Tiernopar ehlkdu rapardu
私の器をお前に空けた
Lukarmisi porer tirer lupar
来世の言葉を刻む柱が
Vierllosa tularsi tumirpar
天空を支えているうちに
Ehkulur latu retie marar
太陽の敵を斬り分けよ

Travelling beyond the bounds
境界線を越えて旅立
We have to take that step
その第一歩を踏まなければ
What are we waiting for? It's now or never
何を躊躇しているの? 今行かねば永遠に行かれない
Fear to see "The World to Be"
「その先の世界」を見るのが怖い
Is why we hesitate
だからこそためらっている
Repeat the same mistake
同じ過ちを繰り返す
Hoping to break new ground
新しい大地に希望を抱いて
The blue bird flies away
青い鳥は飛んでいく

Pa laktu vimaturesi
pasi lameta vimaturesi 
Lanasidu kisaturesi 
makipa sela nitaturesi 
Pasira laktu vimaturesi 
pasi lameta vimaturesi 
Lanasidu kisaturesi 
makipa sela nitaturesi Pasila 
我は時の主人
我は遠方のものを連れ戻すもの
我は二人の戦士を分けるもの
争いの調停者
我は天空の先触れ
我は万物を弾き出すもの
我はマアトを書くもの
我は殺戮の主人

Reaching out to catch the sun
太陽をつかむために腕を伸ばす
To hold it in our hands
手の中に納める
Longing for something strong to hide our weakness
自分たちの弱さを隠すために強いものに憧れる
Soon the light may disappear
そのうち光は消えるかも知れない
Nothing is meant to last
永遠なものなんて無いのだから
Yet we believe our world
それでも私たちはこの世界を信じる
Searching for happiness
幸せを求めて
The blue bird flies away
青い鳥は飛んでいく

算数で「個」を考えてみる。

2007年10月01日 00時25分30秒 | 日記風
 デニーズで不法行為に関して、お勉強中にふと思ったこと。

 =思考テスト=
Q1.
①本人 +100万 他人+0万 の時、
本人がある利益分配行為を行った結果、
②本人 +x万 他人 +y万となった。
 本人の利益配分行為は妥当か?
 本人が自分の立場なら、x(0<x<100),y(0 Q2.
③本人 -0万 他人 -10,000万の時、
本人がある損失補てん行為を実施した場合、
④本人 -a万 他人 -b万となった。
 本人の損失補てん行為はbが0の時、妥当になるか?
 また、妥当であるならば,aはいくらまで受忍できるか?
 さらに、最大限のaを仮定した時、bはいくらが妥当か?
========

 極端な例えであるけれど、何か含蓄のある算数に思える。
 ボクの答えは、Q1についてはyes(但し、xは50万とか制限をつける。)
Q2については、ほとんどnoの考え(0.1とかが限界。)である。
q1.のように、儲けを施すことについては寛容でも、
q2のように、己の損失を負ってまで、他人を助けようとは思えない。

 でも、この問題の答えは人によって回答が異なること。
 (たぶん、q1には寛容でも、q2には厳格なんじゃないかな~?)

 昔、「個」だの「公」だのを議論していたけど、
この回答に何らの制限をされない状況が、「個」の考え方の世界であり、
これらに何らかの制限が加わる世界が「公」の考え方なのかな~、
と、ふと思った。


 ちなみに、日本での、q2のようなケースとして、
財産権が「公共の福祉」に基づき、行政権が財産を抑える事象がある。
「公」の側面が、日本にもあるということか。

(ちなみに、計算式の考え方は、社会保障制度における
イスラムのザカート型制度と、国家の強制型とをモデルにして考えてみた。)