消費の歴史を考える

2009年09月23日 19時05分51秒 | 日記風
 最近、無駄に、ポスト・モダン関連の本を復習している。

そこで、僕が、ふと考えるのは消費について。

70年代までは、新しい商品を「横並びに」消費している時代。
(三種の神器、3Cとかはその典型。)

80年代は、多種多様な消費。
ポストモダンを広告代理店とかが喧伝して、
「個性」を消費している時代。

(正直、復習しても相変わらずよくわからない。)

んでもって、90年代。
(正確には、90年代後半を意図しているけど)
90年代以降は効率を消費している気がする。
「削減」いや「捨てる消費」という語義的には不条理な消費に移った、
と考える。

ITは、産業的には労働機会を捨て、文化的な側面でいえば、
本人の名を捨てることを促進した。特に、後者に僕は関心がある。
 これは、2ちゃんねる等の掲示板文化における匿名性に限らない。
フラッシュ、ファイル交換ソフト、動画投稿サイトにおける「神」というのは、
日常生活とはかい離した別人格が誕生することで、
本人性が後退することにつながるし、
ITの発展で、ブログのような匿名な情報発信も可能となった。

IT以外にも、捨てる消費の傾向はある。
ダイエットはカロリー・体重を捨てることだし、
エコは、原料・エネルギー消費を削る(捨てる?)ことが目的なのだ。


などと、ぼそぼそ書いているのであるが、
なんでこんな事を書いているかというと、「シュレダー」の購入したから。
書類(機密)を捨てるのに、「コスト」がかかることが、
よく考えると不思議なことと感じた。

さてさて、この後、新たな消費傾向は生まれるのか?
捨てることが発展して、「生きる」ことや、「理性」、「プライド」を
捨てるような傾向だけは勘弁願いたいものです。