化学系エンジニアの独り言

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朝鮮

2019-11-03 | 遺稿集
これは私の母の家族の物語です。以下一人称は母の妹です。

私の両親は昭和6年4月に朝鮮に渡り、足かけ16年の外地生活で、父は警察官であった。父の仕事の関係で毎年、年末には近郷近在の人たちから、たくさんのお歳暮の品々がとどいた。それらをフルに活用して正月料理の準備に取り掛かるが、徹夜することもあった。

正月には百人余りの年始客で、母は其の接待に追われていた。朝鮮の板前さんは泊まり込みで朝鮮料理を、母は日本料理を、母が得意とする品の一つに羊羹があり好評だった。姉と私は晴れ着を着せてもらい、お年玉をたくさん頂いて喜んでいた。また、母は教師の経験を買われ、日本人学校の教壇に立っていた。私はお手伝いさんと一緒に乳母車に弟を乗せて学校へ行っては遊んでいた。

 当時、家の周りに咲き乱れていたマツバボタンの花。朝鮮の子どもたちと走りまわって遊んだ野原。のどかで恵まれた平和な日々のことが思い出される。

(続く)

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