思いつき日記

思ったことをかいてみよ

アフリカンルンバを久しぶりに聴いた

2006年03月28日 | Weblog

こんなニュースがあった。
http://news.goo.ne.jp/news/mycom/it/20060328/20060328-08-mycom.html

私が住んでいたザンビアの隣の国であり、私が住んでいたところから国境までは
数10Kmしかない。残念ながら行ったことはないのだが、まぁ、私の住んでいたチパタと同じような感じではあろう。
山田耕平隊員が歌っている、http://www.jica.go.jp/media/dimakukhonda.ram などは懐かしい響きである。南部アフリカではこの雰囲気の音楽(ルンバと言っていた)が満ちている。それはもう、どこもかしこもルンバである。バーはもちろん、市場でながしているのもルンバ、長距離バスの中でテープレコーダーを持っている人が大音量でながしているのもルンバ。みんな音楽好きでルンバが好きだからルンバで踊っている。
音楽といえばルンバなのだ。商業ならね。商業でないのは伝統的なドラミング。大地から沸き起こる圧倒的なリズムがある。

日本人が関わっているとはいえ、アフリカのニュースが日本にくるのはいいことだ。
山田隊員のおかげでマラウィでは「チャイニーズ!」なんていってくる子供はいないんだろうな。 

 

追記:山田隊員は帰国しており、BLOGをはじめられたようです。
http://blogs.yahoo.co.jp/kohei_ndimakukonda/MYBLOG/yblog.html

マラウイでは音楽を通して啓蒙されましたが、帰国してからも関係を続けていくのは大変だと思います。今後の活動に期待。


「犬儒派だもの」を読んだ

2006年03月21日 | 漫画や書籍関連
呉智英の「犬儒派だもの」双葉文庫 を読んだ。

別に呉智英に惹かれたわけではなく、「犬儒派」に惹かれたからなのだが、
私が「犬儒派」を知ったのは確か「キリスト教と笑い」宮田 光雄【著】岩波新書だったと思う。
イェスの言動を記した福音書には、イェスが笑った。という箇所はない。じゃぁイェスは笑ったことが無かったのか?というとそうではない。
イェス自身が笑うことより、イェスの受け答えで周りに苦笑が広がったであろうことを「キリスト教と笑い」は気が付かせてくれる。
 だがそれはシニカルな笑いだ。
そんな感じで「犬儒派」という言葉を知ったのだが、呉智英は犬儒派だそうだ。
犬儒派の言葉は面白い。シニカルな面白さであるが、世の中の出来事を斜に見ている。裏から見たり、逆説を述べたりする。
 
 自分では気が付かなかったが、私は犬儒派だったのかもしれない。
行動が伴わないから、「犬」派かな。


ポーションは売れるか?

2006年03月14日 | Weblog

サントリーからポーションという名前の清涼飲料水がでた。
http://www.suntory.co.jp/softdrink/FF/index.html

ファイナルファンタジーはドラゴンクエストと並ぶ「売れる」ゲームであり、200万本は売り上げるだろう。

ポーションはそのゲームの中でもっともありふれたアイテムであろう。これを
リアル世界で売るというのはなかなか購買意欲をそそる。
味がどうだとか、青色一号なんか使っちゃまずいだろう、とかのことより、気になるのはサントリーだ。ファイナルファンタジーはやっていないので憶測なのだが、
ポーションはゲームの中で売っているはず。ポーションを売っているアイテム屋はサントリーなんだろうか?

ポーションもなのだが、RPG内のアイテムは実生活とオーバーラップできるものが結構あるはず。売れるRPGの中のアイテムが実生活でも買える、というのはそのゲームが好きな人には欲しいアイテムになるに違いない。

そうでなくても、RPG内に出現するアイテム屋を買い取り(つまりゲーム開発に資金を投入し、ゲーム内にブランドを作る)、ゲームが売れ、アイテム屋の認知度が上がると、実販売でも好影響になるだろう。

実際のところ、12作目となるファイナルファンタジーでは、アイテム屋には特定の名前が決まっているのかもしれない。これをブランドとして囲い込めばいい商売になりそうではないか。

いや、もう遅い気がする。ファイナルファンタジー12があまり売れないという可能性が・・・ 
それでも100万本は売れるだろうけど。

 


「ウェブ進化論 ―本当の大変化はこれから始まる」

2006年03月08日 | 漫画や書籍関連

「ウェブ進化論 ―本当の大変化はこれから始まる」 筑摩書房 梅田 望夫著を読んだ。
氏のBLOGには朝日新聞で全五段広告をする、ということだから、ベストセラーになることは間違いないだろう。というかすでにベストセラー。

個人的なBLOGを持っている人で、この本を読んだなら何かしらの感想を書くに違いない、と思わせるほど影響力のある本だと思う。現に自分も今、こうして記事を書いている。

この本を読んで思ったこと。
 WEBページの翻訳はこれから非常に重要になるだろう。ウィキペディアのごとく、万国語辞書が作られる日がくる。
 この本の中で何度となく現れる「あちら側」は、情報インフラの上に成り立つもので、そう遠くない未来に、災害が起きると思う。災害を願うものではないが、地震や台風のような自然災害と同じに、情報インフラの災害がおこるだろう。ごく小規模のものは四六時中おきているが(例えば会社のメールサーバが壊れたとか)、災害は思いもしないときに発生するもので、情報インフラの世界が広がれば広がるほど災害の可能性は高まる。ただ、リアルな災害と違い、復旧は非常に早いだろうと予想できるが。
 ウェブ上の情報の淘汰について。よりリンクされる情報(ウェブページ)がよりよい情報である、というようなことが書かれているように感じたが、果たしてそうなのだろうか? 確かに多くのリンクを受けるところは有用な情報であろう。しかしリンクされないから無用な情報なのであろうか?
 WEB上の情報と時間の関係。残念なことではあるが、ウェブ上のページはいつの間にか消えることがままある。WEB上の情報は書いた人、あるいはページ管理者の著作物といえるだろうから、その所有者の自由に改変や削除ができる。いくらいい情報であってもいつ消えるかわからない、というのはどうなのであろうか?

 


スポーツ精神は育つのだろうか?

2006年03月04日 | Weblog
今日のニュースに
駒大苫小牧がセンバツ辞退
というのがあった。卒業式後に居酒屋で酒盛りをしたということらしい。
当然だと思う。
野球は、日本のスポーツ界の頂点といえるかもしれない。その経済的影響は非常に大きく、プロスポーツプレイヤーとしてプロ野球選手は花形といえるだろう。
それだからこそ、プロ野球選手養成所としての高野連はもっと真摯になって高校野球のありようを考えなければならない。
スポーツによって人を育てるのだろう?

しかし一方、必然といえるかもしれない。
今後サッカーがより経済に対する影響力を増やしていくと、高校サッカーも同じ問題が発生するだろう。

スポーツ精神は半死の状態だ。これから真なるスポーツ精神をそだてるのは容易ではない。お金以上に価値ある何かをスポーツに見出せない限り、スポーツ精神は地におちるであろう。