思いつき日記

思ったことをかいてみよ

「春」の楽譜を読む

2005年06月28日 | 音楽に関する事柄
みんな知っている曲だが「さいたさいた」で覚えている人がおおいだろう、「春」である。
歌詞(1番)は次のとおり。
 さいた さいた チューリップの花が
 ならんだ ならんだ 赤白黄色
 どのはなみても きれいだな

この曲は単純3部形式で、AA’Bの形になっている。
メロディーには原理原則がある。それがこの曲でわかるのだが、それは
「3回目には発展させる」
ということ。

1小節目と2小節目は全く同じ。同じ旋律が続いた場合、発展したくなるのがフレーズの原理である。
4分音符-4分音符-2分音符 という流れは安定性が高いリズムで、それは2分音符-4分音符-4分音符のリズムと比べればよく分かる。
長い音符は短い音符より安定しているので、4-4-2より2-4-4の方が発展性がある。
ではなぜ曲の冒頭にこのリズムなのか? それは歌詞が「さいた」であり、文章の終わりであるから。でも終わりではないので、ドレミという上行形にして、終わらないようにしている。
2小節目が1小節目と同じなのは、歌詞によるもの。また2回同じことを続けることで、3回目の発展を期待させるためでもある。
3小節目は1~2小節目を受け、発展させないといけない小節。そこでドレミという順進行ではなく、ミからソという跳躍をする。また、リズムを替えて、4-4-4-4とし、発展性を持たせている。全体構成からいうと4小節でA部分が終わりであるが、次の4小節につなげるため、Aの最後はレで終わる。これは安定のあるドミソの和音で終わらず、不安定なソシレの和音を使うため。
ソシレの和音でフレーズを終わらせるのは、次のフレーズにつなげるのにある基本的な手法。
ここではもっと重要なことがある。「ファ」を使わないということである。
ヨナ抜きという言葉がある。これはドレミファソラシドに1から順に数字を当てて、1234567とする楽譜の書き方に基づいたもので、4と7の音を使わない曲のことをいう。日本語のひとつ、ふたつ・・・という呼び方の頭文字を使い、4(よっつ)と7(ななつ)の音を使わないのでヨナ抜き、という。4と7の音を使わないと、日本的な旋律になる、という特質がある。
「春」という曲はヨナ抜きである。ファとシを使わない。これで日本の曲らしくしているのだ。
ファを使えないので、ソの音をつかっているのである。
5~8小節目は1~4小節目を使い、最後だけドにして、フレーズの終了感をだしている。
ここで注意するべきは歌詞の「らん」である。
曲において、しかも童謡という単純な曲では、ひとつの音にひとつの文字が原則だと思うが、「らん」はひとつの音に対し、二つの文字を当てている。これができるのは「ん」は単独では音節を構成しないため、前のことばに付属するとみなせるから。
しかし実際に歌うときは「ら」と「ん」でそれぞれに8分音符を当てるであろう。
 分析とは関係ないが、フレーズ終わりの長い1つの音符に「せん」とか「かい」とか二つの文字を当てる曲があるが、私には違和感がある。
 曲としては8小節だけでも終わる感じがあるが、歌詞が終わらないため、続きがある。
1~8小節とは全く違ういきなりのソであり、「ソソミソ」という音の並びも突然である。
このままでは全く統一性がとれないので、リズムで統一性を持たせている。違いは9小節目の4拍目のみで、あとは同じリズムにしているため、似たリズム感覚を持たせることができている。
また9~10小節目は他の小節より音が高めになっている。これによりこの曲の山場が9~10小節目であることが分かる。また、曲中最も高い音は10小節目第1拍のラであり、この音がクライマックスである。これにより、前8小節にたいして半分しかない4小節であっても8小節に対抗しうる重要性を与えられている。最後の11~12小節は、クライマックスに達した後なので、あとは終わるだけであり、順次下がっていく。


かえるの歌を分析してみる

2005年06月14日 | 音楽に関する事柄
むかし、深夜番組で「音楽の正体」というのがあった。ポピュラーや歌謡曲をひとつのテーマで分析して音楽理論を解説するというもの。
ふと思い出し、「かえるのうた」を分析してみようか、と思い立った。
歌詞は
「かえるのうたが きこえてくるよ
 ぐわっ ぐわっ ぐわっ ぐわっ
 げろげろげろげろ ぐわっ ぐわっ ぐわっ」

「かえるのうた」は、誰でも知っている童謡で、多分、初めて覚える輪唱であろう。
楽譜をアップしました。
これを分析してみよう。あまり音楽理論的ではなく、しかし、そんなとこまで?というぐらい。

簡単な分析だと、この曲は2小節単位にAA’BA'' の形式になる。A'はAを3度上に動かしたもの。A''はAを8分音符でリズム分割をしたもの。で終わるかな。

さらに詳しく見ていこう。
各音の関連をみると、2小節目の第4泊は休符となっている。2分音符でもよさそうだが、この休符は5~6小節目の「ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ、」の予備となっている。2分音符はありえない。また、「ぐわっ」 の鳴き声を模倣するため、4分音符-4分休符の並びが必要だ。
童謡において、自然の音を模倣することは子供の興味を引くためにも使いたい。
3~4小節目は1~2小節目と同じ音の並びだが、全体を3度上げている。音楽において、上行の音の並びは、自然とだんだん大きくなる。この1小節目のドレミファの上行形とAとA'の音程の上昇は、「かえるのうたが きこえてくる」という詩からイメージされるべき、だんだんかえるの声が増えていく様子を表すのにちょうどいい。輪唱で3小節目に声が増えることにより、この効果は倍増される。
 では2小節目と4小節目の下降形はどうだろう? 音楽は緊張と緩和が原理である。上行したならば、下降しなければならない。1小節目が順次進行(1つずつの上昇)なので、下降も順次進行のほうがいい。輪唱を念頭におくと、強拍となる1と3泊目はドミソの音で始まるのがいい。また2小節目と4小節目は、4小節目のほうが大きくなるべきだから、2小節目の1泊目はミになるべきだ。
 5~6小節目は全体の中では全く別の形だ。先に書いたように「ぐわっ」のかえるの声の模倣だから4分音符4分休符のリズムは決まっている。では1泊目と3拍目が同じドの音なのはどういう理由だろう?ドとミではいけないのか? ドとミでもよさそうな気がする。しかし以下の理由があるだろう。(1)7小節目の各音を8分音符に分割することの予備 (2)同じ音を繰り返すことにより漸拍感の上昇。
 7小節目から八分音符が出現する。これは5~6小節で予備された同音の繰り返しの実現であり、この小節で輪唱のクライマックスになることから予定されたもの。
八分音符であれば、4分音符の間で音が認識できるので、かえるがいっぱいいる雰囲気を出せる。16分音符では歌えないので8分音符である。

以上だが、まだ各音には深い理由があるかもしれない。
それにしても「かえるのうた」はよくできているなぁ。

次は何を分析しようか。


 

警告音

2005年06月12日 | Weblog
携帯電話の呼び出し音はいろいろあるが、今回考えるのは、世の中にある種々の機器が持っている警告音である。
ピーッ、ピーッ、ピーッ
というあれである。
この音はいたるところで使われている。いろいろな場面で注意を促すときに使用される。
例えば洗濯機で水が多すぎるとか、脱水が終了したとか。

私が気になるのは、音の質ではない。電子音で、聞き取りやすく、注意を促すのにあの音質はいいものだと思う。問題なのはほとんど同じ音高を使っていることと、リズムが同じことだ。
1秒間隔でピーッ、ピーッ。音の高さもほとんど同じ。まったく同じではないのが気になるともいえる。電車の切符自動販売機とか、隣で微妙に音の高さが違う。

もう少しパターンを増やして欲しい。せめて2種類の音で、3つの音でリズムパターンを作るぐらいは。




学校では食を教育するべきだ

2005年06月08日 | Weblog
私は食べることが好きであるが、料理法については考えたことがなかった。

料理と演奏は似ていると思う。理論はあるけど、実践が主体なのは間違いない。
学校にしても、調理専門学校があるけど、要は調理師免許を取らせて、料理人にさせることが目的であろう。

ところで、料理を学校で学んだ記憶がない。家庭科で調理実習があったけど、料理や調理を学ぶというより、料理の経験をさせるだけであったと思う。

「食」は生きていくために最低必要なことで重要だし、食育という言葉もある。
だが食育は「何を」食べさせれば良いか、ということを考えているように思う。
私が思ったのは、「どのように」食ができるのか、ということを学ぶ必要があるのではないかということ。

音楽が週2回程度の授業があるように、料理にかんしても授業があるべきだ。
学問としての料理は大切だと思うがほとんど省みられていないと思う。

こっちの方面は全く疎いので、教えてくれるとありがたいし、面白いだろうと思う。







店員さんが外国人

2005年06月04日 | Weblog
今日、カレー屋さんで食事をしたら、店員さんが中国人だった。
外国人独特のなまりがあるのだが、そのときに思ったこと。
海外でも外国人アルバイトを雇っているだろうなぁ。
今日自分が感じた感覚は外国人も彼らの国で感じているだろうと。
今日のお店では中国人の店員さんは一人だけだったようだけど、
もしほとんどが外国人だとどうだろう?
タイ料理店で店員さんがみんなタイ人なのは普通だけど、一般的な
料理屋さん(吉野家とかカレーハウスとか)で店員さん全員が
外国人だとしたら。
居心地の悪さを感じるだろう。

フランスの国民投票の結果の裏に、そんな感覚があったのではないか?



発表するなら複数の参考音源が必要だ。

2005年06月02日 | 音楽に関する事柄
楽器を趣味にしていると、人前で演奏する機会がある。
教室だと定期的に発表会を行うので、2ヶ月ぐらい前から準備する。
準備の一環として、発表する曲のCDを購入して、イメージを固まらせる一助とする。

今回もCDを買った。そこで思ったのだが、一人だけの演奏ではだめだということ。
何人もの演奏を聴いた方がいい。または何も聴かないか。
聴くなら少なくとも2種類の演奏を聴かないとだめだ。CDになるぐらいの演奏は説得力が
あって、楽譜を見ながらだと、その後の自分の楽曲イメージが影響を受けすぎてしまう。
楽譜と演奏による楽譜解釈のベクトルが1方向しかないから。解釈は直線的だ。
2種類の演奏があれば、楽譜と2つの演奏とでベクトルが2方向になり、解釈は平面的になる。
さらに楽譜からの思った自分のイメージが別の方向を向いていたなら、立体的になる。
けれど、二つの演奏の共通点がなぜ共通なのか?をよく考えないととんでもない演奏になるから、
平面上の解釈で演奏するのがいい。その上で、自分自身で思った部分が一つ二つ表現できれば
満足できるだろう。

でも実際は自分が演奏したいことの半分もできないんだよな。