思いつき日記

思ったことをかいてみよ

食事やさんのBGMが耳につく

2005年07月24日 | 音楽に関する事柄

レストランとかの食事やさんでは、BGMが流れている。
この間、めしや丼という料理屋で食事をしたのだが、流れている音楽が、MIDIの音楽だった。
MIDIかどうかは不明だが、生演奏の録音ではなく、機械的な音なのだ。

曲はポップスを編曲したもの。サックスのような音でメロディを流している。店のBGMだから
有線放送だろう。

この音が結構不快に感じる。 音自体は生音のようにも聞こえるが、ビブラートが機械的で、
抑揚が不自然。

声の入っていない演奏なので、携帯電話で聞く音楽のようなのだろうか?
私の携帯はそれほどいい音ではないのでわからないが。

ここで思ったのは、いい音質の音が出せるとしても、それを使って音楽データを作る人たちの
腕如何によって、「本当に」いい音になるのだということ。
有線で流れるBGMの技術レベルがどのようなものなのか分からないが、標準的なもの
だとすると、携帯の音楽もああいった感じなのだろうか?

だとすると、日本人の音楽の感性が低下するだろう。

 


「やばい」は肯定的に使われても「やばい」のだ

2005年07月15日 | Weblog
最近のニュースにあったのが、日本語の意味が変化していうという話。

「やばい」というのが「とても」とか良い意味で使われている、そうだ。
分かる気がするけどね。何が「やばい」のか。「危ない」意味はそのまま内包していると思う。
そこには言葉を発した人の内面が「やばい」=「危ない」のだ。
心を動かされて衝動買いしてしまいそうだ、とか、気持ちが奪われて平常心を失ってしまう。
そういう危なさがある、という意味だと思う。

日本語が変化するのはいいとしても、語彙が減っていくのは悲しいことだ。
形容詞が単純化しているのを思うと、日本人の感性が麻痺しているのではないかと思ってしまう。

それは言葉の違いはニュアンスの違いであり、ニュアンスの違いを感じることが感性を磨くということだから。
同じ言葉をつかっていたらニュアンスの違いが分からなくならないだろうか?