3月7日 金曜日 晴れ一時雪
昨日は母の祥月命日。3年になる。
お通夜は、あの大地震の日、3月11日だった。
どうかすると、無くなった日より通夜の日の方が印象が強く、11日錯覚することがある。
大地震から何日、何ヶ月と報道を聞きながらなかなか進まない復興が気になっている。
そのおかげで、母が亡くなって何年たったのかを改めて数えることは無い…。
東名高速を次女の車で走った。久しぶりに真っ白い富士山も見ながら第二東名を走った。
東名高速の両側の木々の葉に雪が乗っていて、まるで白いお花が咲いているように見えた。
この辺りは、また雪が降ったようだ。
母は好奇心の強い人で、死ぬ前に第二東名を走りたいと度々言っていた。
第二東名はわたしが運転を禁止されてから出来たので、独りで走ったことは無い。
もし、母が元気だったらドクター・ストップが出ても、運転を辞めなかったと思う。
母を連れ歩くのには、どうしても車は必需品だったので気をつけてハンドルを持っていたと思う。
渋滞の無い第二東名の景色、きれいな空と富士山。すがすがしかった。


霊園の駐車場には、1台も車は停車して居なかった。雪がまだ残っていた。

お参りをしてから、母とわたしたち夫婦が気に入っているお好み焼き屋さんで食事をすることに。
お店の奥さんは、たまにしか行かないわたしの注文もあるじの注文も覚えて居て下さる。
おつまみは何が好きだったか、お酒は何を飲んでいたのかもまだ覚えていて下さる。
わたしのお好み焼きをカメラに納める。


席はほとんど空いていなかったのに、のんびり食べている内に皆さん帰られ、わたしたちだけに。
昨日は母の祥月命日。3年になる。
お通夜は、あの大地震の日、3月11日だった。
どうかすると、無くなった日より通夜の日の方が印象が強く、11日錯覚することがある。
大地震から何日、何ヶ月と報道を聞きながらなかなか進まない復興が気になっている。
そのおかげで、母が亡くなって何年たったのかを改めて数えることは無い…。
東名高速を次女の車で走った。久しぶりに真っ白い富士山も見ながら第二東名を走った。
東名高速の両側の木々の葉に雪が乗っていて、まるで白いお花が咲いているように見えた。
この辺りは、また雪が降ったようだ。
母は好奇心の強い人で、死ぬ前に第二東名を走りたいと度々言っていた。
第二東名はわたしが運転を禁止されてから出来たので、独りで走ったことは無い。
もし、母が元気だったらドクター・ストップが出ても、運転を辞めなかったと思う。
母を連れ歩くのには、どうしても車は必需品だったので気をつけてハンドルを持っていたと思う。
渋滞の無い第二東名の景色、きれいな空と富士山。すがすがしかった。


霊園の駐車場には、1台も車は停車して居なかった。雪がまだ残っていた。

お参りをしてから、母とわたしたち夫婦が気に入っているお好み焼き屋さんで食事をすることに。
お店の奥さんは、たまにしか行かないわたしの注文もあるじの注文も覚えて居て下さる。
おつまみは何が好きだったか、お酒は何を飲んでいたのかもまだ覚えていて下さる。
わたしのお好み焼きをカメラに納める。


席はほとんど空いていなかったのに、のんびり食べている内に皆さん帰られ、わたしたちだけに。