フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

あるじは横浜霊園の共同奥津城に引っ越し居たしました。

2007-11-13 23:07:33 | 日記
11月13日  晴れ

今日も良いお天気でした。
朝から娘達のために、牡蠣フライの支度にかかりました。
娘の婿殿二人とも牡蠣が苦手なので、自分では牡蠣フライを作りません。
今日の昼食にキャベツの千切りもし、ご飯はタイマーでセットして・・・。

あるじのお骨を横浜霊園にお預けに行くことになっていました。
葬儀の時の神社が持っておられる、共同奥津城にお預かりをお願いしました。
横浜霊園で11時半に、と言うお約束でしたので、
渋滞の事も考えて、少し早めでもと10時過ぎに家を出ました。

20分程で到着。1時間以上も早く到着。近くて良いとつくづく思った者です。
管理事務所で手続きを終了してから、しばらく藤棚の下で辺りを眺めておりました。
真っ青な空がとても高く、ふんわり綿のような白い雲が一つ二つ、
まるで絵本に描かれた絵のように浮いていました。

宮司さんも早めに来られてすぐ祭壇の準備を始められ、
予定より早く祝詞が始まりました。
祝詞の声が時々通り過ぎる車の音に遮られながらも、
とても気持ちよく聞こえました。

たった3日間でしたが、わたしの部屋にあるじが戻ってきていました。
初日は何となく落ち着かなかったのですが、後の2日間、
違和感も全くなく、まるで姿無いあるじが、わたしの側に居るようでした。
うっかりすると御霊舎にお参りすることも忘れる位でした。

もうわたしの部屋にはあるじは居ませんが、
「横浜にいる」と言うことだけでとても気持ちが楽になりました。
富士宮の朝霧霊園にお参りして、帰ってくるとき何時も後髪をひかれる思いでした。
いくら山好きでも、誰も居ない寂しい土地でしたから人好きのあるじが可愛そうでした。

横浜霊園では同じ部屋に何人かとご一緒して居るのです。
あるじのようにいずれ霊園を決めようとして、一時預かりの方も居られたり、
永代供養をお願いしている方も10人ほど居られました。
今頃あるじは山の話や脱サラしてパン屋をしていたことなどを話して居ると思うのです。

あんなに悩んでいたわたしですが、「あるじの引っ越し」、終えて良かったです。
それに二人の娘が牡蠣フライをとっても喜んで食べてくれました。
生食用の牡蠣、4パック完食してしました。(笑い)
本当に今日は良い日になりました。爽やかな幸せ感を満喫出来ました。
コメント (2)
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