いったりきたり

いつも通りの日をまじめに過ごしながらにっこりしたりきゅんと身にしみたり

女盗賊プーラン

2007-12-02 | Weblog
貧困層から圧倒的な支持を得て、国会議員に当選した元女盗賊プーラン・デヴィ。政府から懸賞金付のお尋ね者となり1983年に司法取引に応じて投稿するまでの彼女自身の口述による自伝。

インドと聞いてまず思い浮かべるのはなんだろう。
2000年に観光した『世界一美しいだろう』と思った白亜の霊廟タージマハル。
その一方世界第二位の人口をかかえる大国インドの都市と農村の格差は相当でカースト制度という人々の意識の格差はかなりの隔たりを未だに生んでいる。
核実験を成功させ、ノーベル賞学者を輩出し、今ではIT分野において世界水準での成長をみせ、映画の製作数は世界No1。
なのに、文盲率は人口の半分、電気も水道もない環境に暮らす人が多くいる。
(高速道路といわれる道に私たちの観光バスと同じようにラクダが走っていくのには仰天した覚えがある)
プーランはそんなインドの農村の貧しい低カースト、マッラの家に生まれた。
幼い頃から畑で働き、家畜の世話をして学校には行かせてもらえないから、読み書きは出来ない。
彼女らがタクールと言う権力者階級は低カーストの村人に対して何をやっても許されている。
これは決して昔の話ではなく、つい二十数年前の話だ。

人は誰でも自分の過去から逃げることはできない。
私たちが抱えている過去には美しい思い出や素晴らしい出来事ばかりでなく、つらい思いや悲しい出来事、悔しい出来事もたくさん詰まっている。
自分の過去について好き?嫌い?満足している?暖かいイメージを持っている?よく思い出す?思い出すのが好き?人に語りたい?人によく語っている?とらわれている?消してしまいたい?…少し考えてみて

起こったときの視点と思い出したときの視点が違うことで、同じ過去の出来事でも、その意味付けが違ってくるように思う。
私自身が感じることだけど、少しずつ社会の経験を積むことで、自信や安定が増してくると振り返り方に余裕が出てきて、そして失敗や挫折、つらい時へのとらわれから解放されてくるよう―
起こった出来事、つまり…自分を構成している“素材”は変わらなくても“意味付け”が変わることで過去の持つ意味は大きく変わっていく。
私たちは客観的な事実の世界を生きているんじゃなく、『意味の世界』を生きているのだ…と。

意味の世界はいくらでも変えることができます。その意味で私たちは過去を変えることができるのです。

この本が出版された意義は彼女の虐待や復讐の公開にあるのではなく、新しい人生に向けて歩みだし、ライフルではなく政治の力で戦いを始めたプーランの半生から、私はそういうことを強く感じた。