いったりきたり

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ヨルダン・イスラエル・ドバイ Vol13

2015-02-07 | 海外旅行

嘆きの壁を後にいよいよ、ビアドドローサへ

イエスが死刑を言い渡されてから、ゴルゴタの丘に向かい十字架を背負って歩いた道。
総督ピラトの官邸、鞭打ち教会、エッケホモ教会、ベロニカ教会を通り、イエスが処刑されたというゴルゴタの丘にある、現聖墳墓教会までの道のり、苦難の道。なのですが・・・現在、道中があまりにも世俗化してしまって・・・なんというか・・・その、趣きがね・・・なさすぎ。

ところで、「人間」として活動していたイエスが如何にして「神の子、救世主キリスト」と見なされていったのでしょうか・・・
イエスはユダヤ教の世界に出現した人であり、歴史的に言えば「ユダヤ教の改革運動家」ということになります。そのころは、「一人のユダヤ教の教師」です。

ユダヤ教というのは元々「流浪の砂漠の民」のもので、砂漠という貧しく過酷な中で苦しい生活をおくらなければならなかったヘブライの人たちが、自分たちの悲惨と苦労しなければならないことに意味を与え、さらに「幸い」を未来において得られるとする「希望」を語ることで自分たちが生きることの支えとするような性格をもった宗教だったようです。

現在の悲惨と苦難の原因として、自分達の祖先が
「神に背いて」悲惨なこの地上に「追放」されたと・・・
こうして自分達の悲惨さ苦難はやむを得ないこととして説明し、その
「神に従う」ことによってやがて「神に救済され」「約束の地」を得て幸せとなれる、という希望を語ることでした。

これを物語るのが
「エデンの園」の物語で、人類の祖?「アダムとイブ」が神の命令を破ってエデンの園にある禁断の木の実を食べてしまい地上に追放されたという話しとなります。
ですから、この地上は
「追放の地、窮乏の地」と捉え、過酷な労働を強いられるのだ、と理解されていたのです。

しかしそれだけではやっていられませんから「やがて幸せが到来する」という希望を持たなくてはなりませんでした。その希望はイスラエル(ユダヤ)人の祖とされる「アブラハム」に与えられた神の契約で、そこでは、神への絶対的な服従を誓えば「乳流れ、蜜流れる地」「カナンの地(現在のパレスチナ地方)」を授けてくれるという約束でした。

こうして「絶対なる神、ヤハウエに服従」しなければならないとされました。「神のいいつけを守らなかったら」どうなるか。
希望は「剥奪」されます。こうなっては大変です。ここから
「服従と罰」の考えが出てきます。こうしてユダヤ教では「神の言いつけ、つまり戒律を守る」ということが絶対の教えとされていったようです。

イエスは、こういう「服従と罰」「見張って罰を与える」「戒律主義」をいう神を批判して、真実の神はそういう神ではない、と言って「愛の神」を言い出したのでした。イエス理解の上で、ここが最大のポイントに・・・

イエスはやたらにユダヤ教の神官・学者たちによって「いちゃもん」を付けられますが、その大半は「戒律」に絡んだものです。
ユダヤ教の教えというのはこの「モーゼ」によって提唱された思想となります。 
そうあの「十戒」 中でも3つユダヤとキリストの特色があります。

1・自分以外に神があってはならない
ユダヤ=「他の神を捨てて自分だけ敬ったら恵みを与えるが、そうでなければ子々孫々にまで禍を与える 」(怖い)
キリスト=「慈悲深い神」

2・偶像を作ってはならない=神は地上的な形を超越しているものだから
ユダヤ=神殿
キリスト=ギリシャ(目で見る民族)に伝えられ絵(イコン)として残ります

3・安息日を守りなさい
ユダヤ=超厳格
キリスト=「文字面の戒律にこだわってはならない」
この戒律は具体的には、ペンを持ったり針を持ったり、畑を見回ることもできず、要するに「礼拝と食事以外」はボケーとしている以外何もできないとなります。これは当時のその日暮らしの下層階級の庶民には守れるものではありませんでした。
一部特権階級の人しか守れないものだったのです。そうした事情からイエスは、「形」にこだわることの無意味さを指摘してその「精神の成就」を主張したのでした。
イエスにあっては、「神への信さえあれば」形など問われずそれが戒律の遵守であり、「愛や気持ちがなければ」どんなに形は立派でも戒律の遵守とはならない、ということなのです。 

安息日には救助活動も病人の看護もできないわけで、こうしたユダヤ教の「教条主義」に怒って反抗していったのがイエスだったのです。 しかしユダヤ教の立場に立てば、律法は厳格に守られて始めて「律法」となりうるのであって例外を認めていったらキリがなくなり「律法」の意味がなくなるということになるわけでした。

ですから、ユダヤ教からみれば、安息日に「癒しや教えを説く」その姿は、もう重罪以外の何でもなかったのでしょう。

イエスはこれら思想を新しく解釈し直した「ユダヤ教の一人の教師」でしかありませんが、その解釈の斬新さが後にイエスを特殊化させるものだったのでしょう。

「戒律の遵守による救済」から「神の愛による救済」 人類史上はじめてといっていい思想の提唱です。
イエスが「神の子、救世主キリスト」と見なされていったその要因を見ることができます。