いったりきたり

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ヨルダン・イスラエル・ドバイ Vol21

2015-02-15 | 海外旅行

第13ステーション イエスが十字架から降ろされマリアが亡骸を受け取った場所
悲しみの聖母の祭壇です。

イエスが死んだとき、逃げ去ったイエスの男性弟子たちは居なかったようです。しかし、ガリラヤからイエスに付き従って来た女性たちが見守っていました。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセとの母マリア、またサロメがいました。なおその他には、イエスと共にエルサレムに上ってきた多くの女たちもいたようです。

ところで、聖母マリアの容姿について、いつも??って思っていたことがありました。いつみても、どこの描き方も・・・
若く美しい。。。イエス33歳で亡くなっているんですから、当然、その母なわけで。本来なら妙齢な女性のはず!

で、少し調べてみると・・・

マリアが男性なしにイエスを身ごもったという教義はほとんどのキリスト教の教派で信じられてきたもので、一般的にもそうです。
しかし、カトリック教会は、諸派にはない独自の教義をもっているようで、そして、マリアの奇跡や、様々な芸術の表現はそのようなカトリックのマリア理解と密接に関わっているというものです。

それは、聖母の「無原罪の御宿り」という教義です。
無原罪のイエスを身ごもったということではなく、マリアは受胎の瞬間から人の史祖、アダムとイブから受け継がれてきた原罪を免れていたというものらしいです。

もう一つは、聖母は生涯の終わりに、死ぬのではなく、身体と共に天に上がっていく「聖母被昇天」という教義。
この二つがどう関わっているかというと…

人間の死は、アダムとイブが原罪を犯すということで発生したというのがキリスト教の考えですがら、原罪を免れているといことは、罪の結果である死を免れているということになります。
つまり、マリアは原罪がないのですから、肉体的に死なないはずなので、生きたままで天に上がっていく・・・
この考え方によって、マリアは死の前兆である「老い」からも自由であると解釈されるのです。

ミケランジェロのピエタのマリアもその典型ですが、年を取っているはずなのに子のイエスよりも若く乙女のようです。
このような教義を背景を知ると、マリアの??がよくわかりました。

ただ…私が思うに…
このマリア「聖母被昇天」という考え方は、とくにバロック期以降盛んに信じられるようになり教義とされるに到ったそうで、バロックといえば秩序を超越するような大胆な芸術で、劇的で時には仰々しいまでの豊潤さや壮大さを魅力とします。

その時期とこの考え方が教義に「至った」ことリンクしているのは、単なる偶然でもないのかもと。
この頃のカトリックは対抗宗教改革(プロテスタントへの対抗)の時期でもあり、カトリック自体の自己改革のエポックメイキングの切り札のような要素だったんじゃないのかなーって少し感じました。


それと、バロックの芸術家たち。マリアがおばさんより・・・麗しい乙女に描ける方が作品に意欲がわくっていうか、鑑賞する側もよりドラマチックだし、そりゃぁ・・・ずっと観てたくなるだろうし。思い入れも深くなるよね。
カトリックがマリア信仰によって民衆の心をぐ~んと引き寄せ、芸術家たちがより魅力的で卓越した作品を手掛けられる・・・
そんな2つの思惑が、そうさせたんじゃぁ。。。なーんて少し穿った考えもしてみました! 

一通り鑑賞できて、ふと周りを見渡す余裕ができました!2階から天井を見上げて撮った一枚。

アーチの柱に14のステーションを描かれていました。ちょっと趣違うね!
エチオピア教会のかな??それともコプト教会のかな??