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Junko散々語々

ライブ活動の紹介やシャンソン、自作の詩の解説、日常の雑感を三々五々綴ります。

新春「命の声」

2012年01月11日 15時06分44秒 | Weblog

新春歌い初めは、1/10、1年半ぶりの新宿「音ステージQui」。前回同様、若手シャンソン系歌手として活躍しているあみちゃんがゲストを招くシリーズで、2回目登場はJFKが初めてとか。

   

それぞれが持ち歌を披露するのはもちろんですが、このコラボの特徴はなんと言っても全員がコーラスする合同演奏。

前記事にも記しましたが、今回私がどうしてもやりたかったのが「カッチーニのアヴェ マリア」。一昨年末「月夜の仔猫」を引退される草笛のLeafmanさんから譜面を頂戴し、「いずれ日本語をつけて歌います」とお約束。明くる11年2月頃詩が出来上がり「命の声」と題したのですが、その後に起きた東日本大震災で多くの亡き人を予感したような内容となって、しばらく歌うことができませんでした。

最近になって少しずつ発表すると、それなりに好評。そこでさらなるグレードアップをめざし、4名のコーラスとしてアレンジし直した次第。

1部の終わりに歌い終わった時「ブラボー!」の声が!祈りと苦しみから希望への飛翔感が聞く人に通じたのだ、と、この曲に日本語をつけたことを初めてちゃんと認められた気がしました。

      命の声(一部)

我が命 野辺に散る 思いは風に乗る

夢 はるかに飛べ 誰かに声 かすかに届け

祈りは海からも 森の奥からも 願い込めて響きあう ~

あみちゃんの声質もこの曲に合ってたことも大きいと思います。あみちゃん、ありがとうございました。今回もお世話になりました。

      


年末年始のちょっとイイコト!

2012年01月04日 12時00分00秒 | Weblog

新年明けましておめでとうございます。

昨年は世の中も我が身にもシンドイことがあり過ぎましたが、年末から年明けにかけてちょっとしたイイコトがあり、新年と共に少し気分も切り替えられそうな気がしています。

福井の小学校時代からの友人が毎年暮れに送ってくれる、福井県の花、越前水仙。寒さも手伝ってか今回は一段と持ちもよく香りもよく、まだまだ楽しめそうです。

   

実は、この花が届いたのは暮れのまだ半ば12/18だったのです。そして、翌19日に北桂子ママのお手伝いをずっとされていた方と、ママのお墓参りに行く約束だったのでびっくり!というのも、ママは水仙が大好きで、毎年お裾分けをしていたのです。

きっと、ママが天からおねだりしたに違いありません。そんなわけで、まだ蕾だらけの水仙を今回も捧げることができました。その後、お参りされた方が水を替えてくださればまだ多磨霊園で咲いているかも…

             

 

さて、もう一つイイコトは、我が家のオーディオのテープデッキの部分が壊れ、これから買い求めるのも難しくなる時代、膨大なテープの資料をCD等に変換していかねばと、頭を悩ましていたら、JFKの伊勢沢ゆきちゃんが、sonyのデジタルウォークマンを買ってきてくれました。

更にそのテープやMDのデータを整理してウォークマンに入れてくれるとのことで、もう大助かり!おかげで久々気分が、という感じで、来週10日JFK&あみちゃんジョイント第2弾でコラボする曲のアレンジ(CacciniのAve Maria)もスムーズに進行。(ライブ予定表参照、JFK歌い初めゆえぜひ来て下さい!)やっと私の音楽環境も(今ごろ;)デジタル化しました!

    

実は家にいると、半年前まで熱心だった作詞作曲や声出しすらなかなかヤル気が起きない自分に焦っていたのデス。やっとココロのマヒ状態?から目覚めつつあるようで…

そんなわけで、本年も、いえ、本年こそよろしくお願い致します


望月千里を偲ぶ会

2011年12月14日 22時15分04秒 | Weblog

9月のご葬儀以後、ずっと計画していた「望月千里を偲ぶ会」を12/11(日)、満を持してようやく開くことができました。

東中野にある「カフェ・ド・リヨン」というシャンソニエをお借りしたのですが、まだ新しく広くてレイアウトも素敵なお店で、一緒に企画したギターの佐藤ふじをも「会の趣旨にピッタリの店」と大満足。

   

13:30スタート。暖かく素晴らしい晴天で、このように大勢の方々が集まって下さいました。

 

   

フレンチキス、ルナソレイユコラボ。チャイナ風「憂いこともなし」を中国琵琶の王さん、パーカッションの吉田豊さんを交えて。

 

   

最終的にはこんなに大勢の出演者がプロ、セミプロ問わず出演して下さいました。千里ちゃんの写真、宇都宮「ふしぎの森」加藤さんより贈られたお花を囲んで。

合間に想い出を語って下さる方も交え、休憩なしの長丁場、でもお客様は誰一人帰ることなく、静かにしみじみと聴いて下さって、素晴らしい会となりました。きっと千里ちゃんも傍で聞いていたのでしょうね。皆々様、多大なるご協力を頂き、ありがとうございました。(写真撮影:若松岳)

何とか一つの区切りとなりました。気持ちも一区切り付けられるかどうか…今年もあとわずか、新年に向け少しでも前に進めるよう頑張ろうと思います。


神仏に出会う

2011年12月03日 13時59分54秒 | Weblog

久しぶりにやってきた上野。辛うじて雨を免れた公園内はいずこも木々が美しく色づき、秋が過ぎ去ろうとしています。

そうか、考えてみたらもう師走の2日、あれから2ヶ月半…ブログの更新がないとご心配頂く向きには申し訳ありませんでした。

     

ようやく足が向いてやってまいりました、「法然と親鸞ゆかりの名宝」展です。チケットを頂いたし、我が実家・浄土真宗の開祖とその師匠ゆえ、一度は見ておきたいと… 

法然800回忌、親鸞750回忌が重なるとのことで、館内は4つの部屋に分かれ、多くの肖像画や、伝記絵、彫像、直筆の書、阿弥陀如来像等々…。更に弟子等縁の方々の活動、入滅後も信仰の広がりを示す名宝が各寺院に残されているとのことで、すべてをゆっくり見ようとするとたっぷり2時間かかり、3~4番目の部屋へ行く頃は、正直疲れたの何の…(バチあたりめ)

平安末期~鎌倉、末法の世と言われたこの時代に必然として生まれた「浄土」という思想の宗派、混迷の今の時代に重なるとよく言われますが…戦乱と疫病、河原に死体が累々と転がっているような時代と今は、さすがに違う。しかし800年もの時を経て近しい人を亡くし、いずれそう遠くない日に己れも思えば、仏教に何の意味があるのか日々深く考えさせられる、重く暗い時代ではあります。

前日(12/1)は我が盟友・小松長生氏指揮の第九をオペラシティーまで聞きに行き、2日連続で西洋と東洋の神仏に出会った気がする師走の入りです。

 


天女になった2人

2011年09月18日 15時29分34秒 | Weblog

真夏のような秋が続いています。淋しい秋になってしまわないように、天が配慮してくれているのかも知れません…

昨日今日と、皆様へ秋のスケジュールをメールではなく葉書にて郵送させて頂きました。私や私のグループへ、あまりにも多くの愛と支援を注いで下さった2人の女性が相次いで亡くなり、その通夜ご葬儀が先週連続して行われましたので、哀悼の意を込め遺影を載せて、ご報告と感謝としたかったからです。そして、2人の思いを受け継ぎ、予定していたライブは予定通り行います、とも書き添えました。さあ、ブログでもご報告しなければ、けじめがつきません。何とか綴ってみます…

◆望月千里さん 9月7日61歳で永眠 9月11、12日 メモリアルセレス千代田21にて通夜告別式

昨年秋胃癌が見つかり、暮れに全摘出手術、今年の初夏までは各種の治療を受けながら会社にも出勤、私たちのライブにも見えていましたが、8月に入って体力が衰え半ば頃再入院、首のリンパへの転移が致命傷となり、遂に帰らぬ人となりました。                                         

20数年前、私が出演していた神楽坂のシャンソニエによく見えて下さり、そのうち、ギターでボサノバをやっている面白い人がいるから、一緒に組んでみない?としきりに誘われ、会ってみたのが佐藤ふじをでした。その頃、銀座の店で伊勢沢ゆきにも出会い、2人ともボーカルもやるので、私の念願であったコーラスのできるシャンソントリオとして結成。3名のKISの頭文字を取ってフレンチキスと名づけたのも千里ちゃんでした。                                                                                                            スタートした頃はシャンソンらしくないとか3人バラバラ、と批判も多く、彼女も一緒に何度も合宿までして頑張りました。色んな企画を持ち込んでくれたり、大きなコンサートや旅の仕事の時は大抵マネージャーのように付き添って世話を焼いてくれました。CDを3枚も出して14年も続いているのも、彼女の変わらぬ後押しがあったからこそです!彼女のためにも、来年JFK15周年ライブを頑張って開きたいと思っています。千里ちゃん、天から応援してね!合掌。

 

◆北桂子さん(本名・中原八代子さん) 9月6日75歳で永眠 9月14、15日前進座にて通夜告別式

ご承知の通り、昨年2月脳に腫瘍が見つかり大元は肺癌との診断。余命1年と宣告されながらも、奇しくもちょうど1年前の9/15にラストコンサート、その後も入退院を繰り返しつつ生徒さんに教えたり、車椅子ながらステージに上ったり。動けなくなって病院生活オンリーとなってもこの夏の初めまではかなりお元気でしたが、8月半ば頃から意識が混濁し始め、遂に人生の幕を下ろされました。

ママさんコーラスのソロがきっかけでシャンソン界に入った私は、中野にあったシャンソニエで歌い始め、今も長いご縁が続くピアニスト・後藤高之さんに「吉祥寺にあんたのことを気に入りそうなママがいるよ」と教えられ、遊びに行ってその通りいっぺんで気に入られて、25年にわたる長いお付き合いとなったのが、北桂子ママです。                                        若い時は女優さん、その後タレント、リボンフラワーの先生、そしてシャンソン歌手と華やかな道を歩む、あまりにも美しい人でした。しかし、その人生は波乱万丈、若くしてご主人を事故で亡くし、シャンソニエ・レッドを開店するまでの大変な苦労、その後2度お店を移転せねばならない厳しい事情もありました。それでも、いつも彼女は「順子々々」と可愛がってくれて、誰もが「Junkoさんが一番好きだったのよ」と言いますが、私自身も確かにそう自負しています。                                                      彼女はシャンソン関連のレコード、CD、DVD等資料の大収集家でしたが、そこからいつも素敵な曲を発掘、私に日本語の詩を作らせるのをライフワークのようにしていました。私が詩を作り上げ更に譜面を起こして持って行くので、すぐ歌うことができるのをいつも目を丸くして感激してくれましたが、恐らく彼女は日常どんなに嫌なことがあっても、私とそういうクリエイティブな時間を過ごすことが大きな喜びだったに違いありません。そして私にとっても日本クラウンからCDが出て作詞家としてもメジャーデビューできたのは、全く彼女のおかげと感謝しています。                                                      ママ亡き後のレッドは、ママが懸命に育てた若きピアニスト・藤木えりちゃんがママの生徒さんごと引き受け、跡を継いで頑張ることになりました。私にできることは何か?と考えた挙句、生徒さんや歌いたいお客様に混じって、私も新たな詩をつけたシャンソンやオリジナルのレッスンをすることで、えりちゃんに喝!(自分にも)を入れることに決めました。プロ精神で切磋琢磨しあうことが何よりお互いの向上になると思います。ママ、見て聞いていてね!合掌。

あまりに近しい2人が次々いなくなって、私の精神と体調を皆さん心配して下さっていますが、やっと(このトシで?)1人立ちしなさい!ということかも知れません。そして、美しかった彼女たちは天女のようにいつもどこかで見守ってくれているに違いないと確信しています。皆様も今後の私とフレンチキス、ルナソレイユ、そして藤木えりのレッドをどうぞ見守って下さいませ。最後に、メールで、各会場で、私に温かい言葉をかけてくださった方々に心より御礼申し上げますm( _ _ )m

 


雨雨雨の軽井沢

2011年08月23日 10時22分20秒 | Weblog

ようやく仕事抜きで骨休めに今年も恒例の軽井沢へ…ただ、同行者の都合で日程が二転三転、結局8/20から2泊3日で出かけましたが、見事に3日間とも雨に降り込められ、気温も17℃前後東京も23~4℃と急激に気温が下がったので、‘避暑’に行く意味はあまりなかったのですが…

今回も「石の教会(内村鑑三記念堂)」は、初見学者には好評。林の中からのアングルがそのミステリアス感を強調してなかなか

                 

 

翌日は、これも恒例となりつつある「南が丘美術館・三五荘資料館」へ。敷地内には広い芝生と桂並木があり、木陰にはこんな大きな、白雪姫に出てきそうなキノコが生えていました     

             

 

江戸後期、山梨県塩山市に建てられた民家を1935年に移築したことから名づけられた三五荘は、雨の中風格を増し、これはこれで一興。

        

養蚕民家が別荘に改造され、2階の吹き抜けの高窓から漏れる光が美しく、左右に分かれたゲストルーム、3階に伸びる階段などの造りも雰囲気あるのですが、有名人の藍染コレクションがこれでもかとあちこちにベタベタ展示され、正直邪魔でした。もっとさり気なく飾ればうまく溶け込むのに

       

           

 

若いモンを先に帰し、1人散策を楽しむはずだった軽井沢ですが、道路のあちこちに池のような深い水溜りができてるのにメゲ、ベランダを覗いても終日この通りひたすら睡眠不足を補い本を読み、低く厚い雲に覆われっぱなしの高原を後にしましたまあ、大層休息できたことは間違いなし

    


EXW探索・セレブな落合界隈

2011年08月16日 11時31分53秒 | Weblog

人生、ヒマになるほど忙しい…一見名言(迷言?)のようですが、同年輩の悠々自適友人の弁            ナルホドと思うのは、ヘビーなLocal Tourから戻り三鷹ライブを終えて、さあこの夏、後はチョーヒマ~と思った途端、来るわ来るわ、様々なお誘いや多少義理がらみのお付き合いや…殆ど家に落ち着くことなく、毎日のように夜の巷へ…何だ、いつもより忙しいではないかと友人の言葉に妙に納得してしまった私です。

がしかし、体調はちゃんと維持せねばと、早朝ウォーキング再開。またまたあちこち撮りまくり。最近、落合方面に行くことが多いのですが、目白大学がそびえる界隈は、我が上高田から見上げると妙正寺川を挟んで洒落た丘の上にあり、かなりの高級住宅街という感じ。

    

何かの会館?というようなこんなお宅をよく見るし、一方江戸時代に戻りそうな門構えのこういうお宅も…で、実はこの2写真、同じ門の中にあるお宅なので左右で一軒家なのです

ついでながら、このすぐご近所に洋館のような風格ある建物がありますが、銀座「月夜の仔猫」ソロの日、長らくご一緒したピアニスト・近藤正春さんがお住まいで、ちゃんと二重扉&窓の防音スタジオ付きのミュージシャン向きマンションなのです。お近くなので、よくリハーサルに通わせて頂きました。もちろん、今後も企画次第で伴奏をお願いしたいと考えています

さて、庶民派住宅街・上高田に戻ってきましたが、往きは昇る朝陽を清々しく眺めたのに、帰りはまだ7時台ながらもう陽射しに影が色濃く伸びて、炎暑の戦後66年目(あまり聞きたくない数字)のお盆です

          


Long Local Tour 報告~福井編④

2011年08月05日 11時50分57秒 | Weblog

いよいよ福井ツアーもまさに末日7/31が最終日。この日も雨の予報が外れ福井は日中太陽が照り付けて汗が吹き出るほど。ところが裕子ちゃんはこの日、何と豪雨と洪水で被害が出ている新潟へ移動することになっており、前日から何度も現地と連絡を取り合ってはイベント中止かも?とヤキモキ。何とか別の会場を確保できたということで、お昼頃発って行きました。(後で聞いたら特急が途中で止まったりして乗り継ぎしながら苦労して着いたそう) 

さあ、私のラストは坂井町朝日区の夏祭りアトラクション出演行ってみたら野外ステージだったので、本当に今回よくぞことごとく雨を免れたものと、改めて故郷凱旋?効果に感心                      私の出番の前は地元の少年少女たちの越前太鼓勇壮な響きの後舞台に上ったら、夜も更けてきたせいか皆さんだいぶ引き上げて…まあでも、素敵な大人の方々が残ってCDカラオケ伴奏ながらよ~く耳を傾けて下さり、曲に関するクイズで例の携帯充電器の賞品を出したら競って飛びついて下さいました今回の福井ツアーはそもそもこのイベント出演が発端。他のライブの仕切りや移動もすべて面倒見て下さったU様、本当にありがとうございましたお世話になりましたm( _ _ )m

    

とにもかくにもすべてを終え、北陸線丸岡駅まで送ってもらいましたが、夜10時前というのに駅構内もホームもむじ~ん、電車がやって来て乗り込んだら車内もむじ~んにはビックリドアの開閉も自分でやらねばなりません考えてみたら日曜日なので、田舎じゃそんな遅い電車で福井市に向う人などいるわけないンです  

          

                  

そういえば、昼間市内を歩いたら未だに路面電車がのんびり動いてました。

      

ひっさしぶりの福井ライブ、そして福井各地の懐かしい景色と空気、堪能させて頂きました。福井の皆々様、本当に心から感謝しますまた会う日まで


Long Local Tour 報告~福井編③

2011年08月05日 10時36分52秒 | Weblog

時間があるのと音響その他重いものは車で運んでもらえたので、30日はすべて越前鉄道(週末はコンパニオンがいるので有名)を利用して移動。このローカルな旅はピアノの裕子ちゃんにやたらウケました

さて、永平寺町松岡の「芭里音(ばりのん)」、これまた変わったネーミングのカフェは5年ぶり。お店もママさんも健在で、大歓迎して下さいました。40~50名のところ70名も予約が来たそうで、準備に大忙し。私も音響設置からリハ、親戚友人たちが次々見えるし、を撮るヒマもなく以下左はお店のHPより拝借土蔵を改造、お庭も広く素晴らしいお洒落なカフェです。

控え室が素晴らしい和室。ここで1枚だけパチリの右写真です。

     

お陰様で終わった後をたくさんお求め下さり、サインにこれまた大忙し。ママさんと後援会長さんが打上げをして下さるということで、大急ぎで福井市内に車を走らせたら、突然の豪雨前夜の三国町でも70%の確立のところ雨を免れたし、今回少なくともライブに支障ない晴れ女となりました

結果ではありますが、私が大勢動員したということで、大変に感謝されまして立派な料亭に招かれましたが、次々出される文字通り山海の珍味に、裕子ちゃん一品々々歓声後から頂いた先輩や友人たちので、「声、表現に柔らかさ、厚み、円熟味等が出てしみじみと聞けた」と嬉しい言葉の数々。故郷は本当にありがたいと、つくづく思いました

 


Long Local Tour 報告~福井編②

2011年08月04日 16時10分49秒 | Weblog

30日は永平寺町へ移動する前に一旦福井市駅前のホテルへ入ることにしましたが、私は三国町で29日のお昼に行こうとして電話が通じなかった店が、何と夏場は暑いので午前中と夕方からやっていると知り、まだ中の裕子ちゃんを残してタクシーを飛ばし(以前は魚志楼のマスターがどこへでも出してくれましたが)出向いたのが「カモメクラブ」。

2009年4/7のブログで紹介した店で地元の漁師さんたちが出入りする小さなカフェ。東尋坊の北に位置する雄島のすぐそばに海へ向って突き出るように建てられたこの店に入った時、まるで船に乗ったような気がして、REDママから依頼されていたポルトガルのファド「難船」という曲の歌詞が浮かび「かもめの家」と改題して出来上がったことで大変印象深い場所となり、ぜひもう1度行きたかったのです。

     

         

相変わらず、一歩入れば船に乗ったような、屋上に上れば甲板に出たような気分、想い出多い雄島が目に胸に迫ってきます。魚志楼はじめ、この三国町との縁を深めてくれた小中時代同級生だった友人がここで亡くなったことも歌詞に大きく影響しました。

カモメクラブのマスターも魚志楼マスターの同級生という哀しい一致を話し合いつつ、午前中だけどやはりビールを1杯。出てきた突き出し、メカブの素揚げとおばあちゃん手作り心太のあまりの美味さに哀しみも薄れる薄情さ…

     

昨夜のライブはお店があって行けなかった、というマスターに、改めてこの歌の話をして、実は昨夜歌ったのだと言った途端、「え、そうだったんですか!だったら店を休んででも行けばよかった!残念!」とポーカーフェースに思えた人が俄かに親しみを前面に出し、CDを進呈したらお代は取らないし、メカブは袋一杯くれるし、その上ホテルまで車で送って下さって、ああ、何とか魚志楼マスターの“後釜”ができたなあ…そんな思いで、雨の予報が外れて陽が射し始めた港町の空同様、少しだけ心晴れて三国町を後にすることができました