大きな訃報が届き、驚きと悲しみの中お通夜に参列して参りました。また1人、音楽に関わる大きな存在を失ってしまいました。
1970年から30年余住んだ小平市。私としては子育てをしながら音楽活動、社会教育活動に参加、特にコーラス活動に熱心に取り組みつつ、アマとしてのソロ活動、そしてシャンソン界へ飛び込んで行った大変革の時代ででした。
その歌唱の基本である発声、曲の解釈、イメージの捉え方、歌心等を熱心に指導してくださったのが、小平在住の声楽家で近年はライブハウスも経営されていた大槻秀元先生でした。独自の発声体操を考案、個人指導はじめ多くの合唱団を指導、かなり辛口の発言と「多摩のキリスト」との異名を持つその風貌も相俟って、大変個性的な存在でした。
どうやら私がきっかけとなって、昨年亡くなった吉祥寺REDの北桂子ママはじめ多くのシャンソン歌手が先生の薫陶を受け、私が中野へ越す頃、花小金井の駅前にライブカフェ「HYDE」をオープン、私も2度ばかり出演をさせて頂きましたが、些かご無沙汰をしているうちに、最近ご体調によって入退院繰り返されていると知り、気がかりではありました。
ところがこのお正月、珍しく私にも案内のお葉書が来て「新春ライブをやります。ぜひいらして下さい」とヴァイオリニストである奥様の字で添え書きがしてあり、元気になられてよかった、という気持ちと、何だか妙に胸騒ぎもして、先生の大好物、富山の干柿を持参して伺おうと予定していた矢先…
1/16永眠され、20日お通夜21日告別式でした。
人間誰しもいつかはこの世を旅立つのですが、死とはおよそ縁のなさそうなやんちゃ坊主な一面と、洒落男だった先生を思い出すと改めて衝撃を覚えます。何より音楽とそれを教えることが大好きな方で、私の発声と歌心の基本、まなざしは常に彼から教わったことに尽きると言っていいと思います。
先生、私の歌人生の基本を作って下さり、本当にありがとうございました。合掌