Junko散々語々

ライブ活動の紹介やシャンソン、自作の詩の解説、日常の雑感を三々五々綴ります。

銀巴里9年間21回の出演感謝!!

2012年09月23日 11時59分34秒 | Weblog

この1ヶ月半、我が歌人生の中でも1~2位を争う激動の日々でした。8/1、名古屋ライブを追え、故郷福井方面直通の特急「しらさぎ」に乗車中、札幌「銀巴里」からの留守電に気づき…「ん?つい先だって出演したばかり。次回のオファーにしては早すぎるし、何かあったかしら?」デッキに出てケータイから掛けたところ…「9月一杯で銀巴里を閉じることにした。ついては9月半ば頃最後の出演をしてほしい。でもこの話は従業員にさえまだ知らせてないので極秘に!」との驚くべき話でした

次回は多分10~11月頃の出演となることを予想、念願だった東京からの銀巴里ツアーを組もうと本格的に企画を練り始めた矢先え~っ、46年の銀巴里がこの9月で閉じるツアーが間に合わないいや、それより9月半ばはREDママの追悼ライブ、とてもムリ

結局、銀巴里サイドの配慮で9/1~7の出演と決定、よりによってお盆の時期に募集、20日締め切りというムリを承知のツアー企画を取り急ぎ立てつつ、片やママ追悼ライブも2日間4回公演という厳しいスケジュールにしたので、共演者たちと内容を詰めなければいけない時期、お客様動員も全体でまだ半分位しか来ていない…が、札幌は1週間の滞在、いつも衣装、靴、譜面、CD、普段の着替え等々荷造りがハンパじゃなく、もう見切り発車のように羽田から新千歳へ

結果、ありがたくも4名の方々が東京から駆けつけてくださり(上左:お馴染み熊さんと)、地元の常連様もかくのごとく(上右:いつもご夫婦で。下左:ジャズのスージーさんはじめ毎回お越し下さる方々と。下右:ライブ後いつもお寄りするスナックで)

    

    

 

そして、お店の方々とは、日曜日に女子会を開いて大はしゃぎ(上左)、2軒目に行った狸小路の屋台村みたいなところにあった「網走ビール、流氷ドラフト」なるビールはオホーツク海の青い色とか書いてありましたが、どう見ても薄墨色で、はっきり言ってマズイのに2本も飲んじゃった(上右)                 銀巴里では熊さん(中左)、今平光子さん(中右)、ピアノの渡辺真美ちゃん(下左)、スタッフのあかねちゃん(下右の左)、井下田美穂ちゃん(下右の右)たちと、名残惜しくも記念撮影。他の方々と撮りきれず残念><;

   

                 

   

 

あれから2週間、銀巴里はいよいよ最後の1週間を残すのみとなりました。そんなところへいつも足を運んでくださったDNP(大日本印刷)の方から突然電話、「Junkoさん、びっくりですよ、今日の北海道新聞の夕刊(9/19)を開いたら、銀巴里閉店のことが出ていて、Junkoさんが歌っている写真が大きく出てますよ」そして、翌朝早速添付でPCに送って下さいました。確かに、私の出演中に取材がありましたが、北海道一の販売数の新聞にこんなに大きく載るとは翌日ピアノの真美ちゃんからも電話があり、「マスターが店に出てきました思ったより元気」とのこと。そもそもマスターのがん闘病が厳しくなり、遂に46年の歴史に幕を下ろすことになった次第ですが、ここ数日は立錐の余地もないほどのお客様とか。

この心温かき人たちの集う銀巴里、そして札幌の街。私はお礼状にこう書きました。「39才でデビューした私が、46年の歴史の最後に間に合ったのは一つの奇跡かも知れません。さすれば感傷的な思い出とすることなく、札幌には今後も必ず参ります。サヨナラではなくまたお逢いしましょう!ひとまずありがとうございました。お元気でお過ごし下さいませ。」私の偽らざる思いです。足掛け9年間計21回の出演をさせて頂きました。、ありがとうございましたまた逢いに行きます