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Junko散々語々

ライブ活動の紹介やシャンソン、自作の詩の解説、日常の雑感を三々五々綴ります。

ただいま!3月は未だ冬の札幌の雪報告①

2012年03月12日 13時22分49秒 | Weblog

              

といっても、これは東京・中野駅前です。2/29は東京もかなりの雪が降り、中野区あたりは10cm近く積もりました。

出発直前、行きつけの美容室Orang(オラン)でヘアメークしてもらいましたが、8Fにあるのでこの素晴らしい雪景色の眺望。おかげで、札幌に到着しても「雪だ」という感激がない……い~やいや、とんでもない、やはりスケールが違う

          

          

これは銀巴里宿舎前、お馴染みの中島公園ですが、写真上は公園内の広い池が凍りすっかり雪が積もって、どこからが水辺なのかさっぱり分かりません。従って、こんなロープと標識が…

写真下は林の中の広い道路ですが、真ん中に雪を掻き分け細い道がやっとついています。時々ゴボってしまい(福井弁?)ブーツに雪が

 


ユニークで心温まるお別れパーティー

2012年02月13日 17時20分11秒 | Weblog

さてさて前記事の月夜の仔猫ライブの後、実はGOMBEさん、マダムの和江ちゃんと共に、近藤正春さんのお別れパーティーが、飲食持ち寄りで3時頃から近藤宅でやっているとのことで、なだれ込むように合流した次第。彼のマンションは我が家のすぐ近く、私のウォーキングコースにも入っており(2011 8.16EXW探索・セレブな落合界隈 参照)リハーサルに伺うにはとても便利でした。

行ってみればこの通り、皆さんもうかなり出来上がっていて…でもあっという間に追いつき、しかもよく知っている顔、懐かしい顔、同じライブでも別日出演だったのでお名前だけ知ってて初めてお会いしたとか、次々訪れる人たちの中にも思いがけない再会とか…

        主に仔猫に以前、又は今出演している顔ぶれ。前列右から2人目は仔猫マダム・和江ちゃん、左端は昔、仔猫カウンターにも居た、たかヒ~田島クン。今年6月、彼の依頼でJFKがジョイントさせて頂く予定。

               JFKの伊勢沢ゆきが今も出演している市谷ルエルのマヤさんとマスター。10年以上前に遊びに伺った記憶がありますが、覚えていて下さって嬉しい再会!     

     左写真の左端が、17~8年前神楽坂や最初の吉祥寺RED等数年ご一緒したピアノの合野典子さん。少しも変わってなくてビックリ!右写真は、仔猫やシャンパーニュでジョイントや前歌をして頂いた平谷君と上川さん。

     このように、料理方を引き受け真面目に働いてくださる方がいれば、片やだんだんと怪しいアブナイ雰囲気になってくる連中も… 

   ところで、ご本尊は…あら、彼もそろそろアヤしい?すっぴんの近藤さんはマルコメ味噌の小僧さんそのもの^^;頂いたお土産を皆さんに配る心遣い。

    誰一人近藤さんの怒ったところを見たことがない、と言います…優しくしかし内には修行僧のような厳しさを秘めていると私は見てます。こうして自然に皆を結びつけて、パリへと飛び立って行くとは彼らしい。パリでもきっと多くの人に愛されるでしょう。行ってらっしゃ~い


懐かしのロシア民謡をたっぷり!

2012年02月13日 16時15分24秒 | Weblog

8ヶ月ぶりに銀座「月夜の仔猫」に出演しました。ロシア民謡を歌うGOMBE(我がHPリンク参照)さんのお誘いで、彼のライブの日にゲスト出演させて頂いた次第です。

           

彼は何と、札幌・銀巴里でいつもご一緒するロシア民謡の甲斐熊五郎さんの弟分に当たる方で、昔、都内の「うたごえ喫茶」でご一緒だったとか。その頃、皆の憧れだった看板娘の女性を熊さんがさらって北海道へ行ってしまった、とは、何かにつけGOMBEさんの口ぐせ

この日、実はRED北桂子ママの遺品配布会第2弾(衣類、ドレス)と見事重なってしまい、そちらに参加できなかった上、当然こちらにも来て頂けない方々がいらして、内心些かアセっていましたが、日曜の昼間のせいか私関係でもそれなりに見えて、全体でほぼ満席となりホッとしました 銀座までお運び下さいました皆様、本当にありがとうございました

           

今年70歳になられるというGOMBEさん、人生幾つになってもやりたいことをやれる!私がいい見本!と、真っ赤なルパシカを着て、風邪を引いたと言いつつ迫力ある低音で張り切って歌われました。ピアノの蛯名知子さんは、私はお初にお手合わせ頂く…と思っていたら、昔、赤羽のライブハウスでご一緒したことがあるとか!すっかり忘れていて(もちろんトシのせい)失礼しましたが、改めてとても勘と流れの良い、歌い手を滑らかに乗せるピアノと感じました。人柄も謙虚で嫌味がなく好印象でした。前記事のパリへ行ってしまう近藤正春さんに替わって、いいピアノさんに出会えたと、嬉しくなりました

元々ロシア民謡が大好きな私、合間にお客様と共に大声で歌い、昔の「うたごえ」に通った時代に思いを馳せ、楽しいひとときでした。GOMBE様、大変お世話になりましたm( _ _ )m


富士仔猫ライブ、近藤さんとのファイナルナンバーは?

2012年02月09日 09時49分43秒 | Weblog

遅くなりましたが、先ごろの“冬の旅”の皮切りが、1/28、静岡県富士市「ミュージックギャラリー月夜の仔猫」でのライブでした。これで5回目(確か?)の出演となりますが、昨年に続き新年早々の出番。

出かける日の早朝、強めの地震が2回続けて起き、新幹線も一旦ストップとのことで大いに焦りましたが、すぐに再開でホッ。しかし、富士山の麓が震源地と聞いて再度焦り…もう、どこでどうなろうと、腹括るしかないしょっちゅう気にしていられん

今回、東京からご夫妻で参加下さった方がいらして、新富士駅から送迎の都合もあり、新幹線でご一緒しました。その方が写真を撮って下さり先日頂戴したので、upします

お昼直前に到着。いつも着いた途端、昼食を用意して下さるのですが、今年は些か変わったメニュー。富士市吉原商店街では、東京のTV局と共同開発した「つけナポリタン」なるご当地グルメが評判となり、すっかり富士市全体の名物になっているとか。ざるそばの要領で、トマトベースのタレに麺をつけて食べるというもの。                                           

お客様に先に召し上がって頂いて、その後ピアニストの近藤さんと頂いている時、いつの間にうーん、確かにお蕎麦を食べるような体勢。麺だけでも楽しめるようそれなりの味付けがされていて、なかなかに美味しゅうございました。

             

ライブは、正月用めでたいドレスで。あみちゃんとのジョイントの時より、飾り物を増やして少しグレードアップ!2、3部はカジュアルに。

           

ピアノの近藤正春さん、昨年パリに短期留学?され、よほど気に入ったか、この1月から長期移住されるとのことで、誰しもびっくりさせられました。人柄の良さ、ピアノの腕の確かさと歌う側への絶妙な寄り添い方等々貴重なピアニストだっただけに、惜しむ声が多いのですが… いわゆる林住期に入られるのだな、と私は解釈しています。

最近、さすがに歌い飽きて(><;)♪モルダウ河の歌 をプログラムに入れなかったら、皆さんからブーイングに近いアンコール。それも、途中にあるアドリブが聴きたいからと…そう、CDには近藤アレンジを採用させて頂いたほど、素敵なのです喜んで最後に歌い、やはりこの曲が近藤さんとのファイナルナンバーとなりました。(満寿美ちゃん、パリ公演をやりましょう、なんて言ってるが…

            

オーナー満寿美ちゃん(写真↓前列左)相変わらず元気私が銀座の仔猫を辞めたので、東京では満寿美とJunkoがケンカしたことになってるのよ、と、♪水に流して を歌った時M.C.したら、お客様共々大爆笑でした前回、いらっしゃれなかった方々もいらして、CDもそれなりに出まして嬉しい誤算でした

満寿美ちゃん、運転手から厨房まで働き者のご主人様、80台半ばとなられても揃ってお元気なご両親様、富士市吉原の皆々様、お世話になりました

                 


日本シャンソンの父昇天

2012年02月08日 14時42分04秒 | Weblog

芦野宏さんが亡くなられました。私の年代では子供の頃から、昭和歌謡曲と共に、ちょっとお洒落な洋モノを歌う歌手の代表として、スターという存在でした。

思いがけず、39才にもなってシャンソン界に入り、さらに思いがけずご紹介くださる方がいて、芦野さんとそのご一族が建てられた群馬・渋川の日本シャンソン館で、計3回のジョイントコンサート、その他ご一緒に地域TV出演もさせて頂く機会を得ました。

重いシャンソンが主流の時代になっても、あえて明るく楽しいシャンソンを歌ってこられた芦野さんにとって、フレンチキスに共感する部分がおありだったようで(おこがましくも言わせて頂けば…)、いつも本当に楽しそうでいらしたし、CDを出すたび「素晴らしい」と高い評価を下さいました。

2002年、2004年、2008年とコンサートさせて頂き、少し間が空いたせいか今年のお年賀状には「今年こそ、また一緒にやりましょう」と直筆の添え書きがありましたのに…

2回目と3回目のシャンソン館での写真を思い出として飾らせて頂きます。合掌。

 

★2004年11月  「半分愛して」が日本クラウンから発売になったことを大変喜んでくださり、作曲者の服部公一さんとご親交があったことから、彼を山形から呼び寄せ、シャンソン以外に服部さんのナンバーも歌われました。      写真<上>シャンソンの♪雨傘をデュエット <下左>服部さんを囲んで <下右>亡きREDの北桂子ママ(7名の中の右端)が生徒さんを沢山連れて来て下さいました。

           

         

 

 

★2008年5月  またまた北桂子ママが大勢の生徒さんやお客様を連れバスを借り切って応援に駆けつけてくださいました。草笛の菅間忠男さんにもご出演頂き、賑やかなステージとなりました。     写真<上>コンサートホールのあるシャンソン館(その他カフェやショップが別棟にあり、広いフランス風庭園もあります)前で芦野さんを囲み記念撮影  <中>草笛入りの♪オーシャンゼリゼをデュエット  <下左>FKメンバーと芦野さん、桂子ママ <下右>ママがとても気に入り、大事にしていた2ショット。このお2人とも、もうこの世に居られないなんて…

      

       

        

 


京都の不思議の夜

2012年02月02日 22時20分36秒 | Weblog

京都行きの目的はもう一つ。5年前果たせなかった、あるお店を訪ねたかったのです。前回もお正月、三国・魚志楼を訪ねた後京都へ。まだ修業中だった息子さんがいる料亭で食事をして、その後何故か私のCDを聞いています、という年賀状をくれた「LENNON」という謎の?バーへ行ってみる予定でした。しかし、立派な料亭で京料理フルコースとお酒を満喫したら、もう1軒行く元気が失せてホテルへ戻ってしまったのです。

その後、そのLENNONという店は、私のライブを何度も企画して下さる等大変お世話になった、学生時代の同級生T氏の弟さん夫妻の店と分かり、しかもその後しばらくして弟さんは急逝されたと聞いて「なぜあの時行かなかったか」とずっと後悔することとなりました。

この度不思議な因果といいましょうか、魚志楼のマスターが急逝、残されたママと修業を立派に終えた息子さんが店を守ろうと頑張っている、その後毎年年賀状を下さるLENNONの奥様“ちかさん”も店を守り続け、最近息子さんたちが手伝ってくれるようになったとの添え書きが今年…少し迷ったけれど大谷祖廟すぐそばの祇園にあるのも縁、「行くなら今だ!」と思い立ったのです。

          

探し探して見つけたLENNONは祇園の中心四条縄手通りにあり、20時の開店と同時に扉を開けたので、まだ他にお客様もおらず、カウンターの向こうで小柄な可愛い女性が1人、不思議そうに「いらっしゃいませ」…「初めてお見えですか?」…「あの~、どなたかにお聞きになって?」との質問に多少じらしつつコートを脱ぎカウンターに座ってから名乗ったら、「え~っ!まあっ!本当に?わざわざいらしてくださったんですか!」と、もうもう驚きと喜びの連呼、それからというもの、夜半過ぎまで語り尽くし、弾き語りのライブがあったり、2人の息子さんの時間差登場、賑やかな馴染みのお客様も見えたり、それはそれはホットな京都の一夜となりました。

    

LENNONの店名はもちろんビートルズ、中でもジョン・レノンに傾倒していた亡きご主人がつけたもの。店内はレノンだらけ。そして↓写真左端「ジョン・○○○」(苗字を忘れました、ゴメン)と名乗る弾き語りのミュージシャンは風貌レノンそっくり、声は多彩に使い分けてシャンソンのM.ポルナレフ♪愛の休日まで歌ってくれました。

  

そしてそして、現れた息子さんたち、↑中央、弟クンは割りと早い時間から、↑右端お兄ちゃんは夜中1時半頃登場。何じゃ、2人ともえらくイケメン!ずっと寝不足でさすがにもうカウンターで舟漕ぎそうだった私、目が覚めました2人ともバイトしつつミュージシャンで、お兄ちゃんは大学時代、ついこの間まで、東京は中野区上高田2丁目に住んでいたそう我が家から徒歩10分もかからないところ、という、もの凄いオチもついて、↓の如く、LENNONの夜は最高の締めくくりとなりましたまたぜひ、と再会を約して2012年、冬の旅を終えた私でした。

      


京都の巨大な寺と墓所

2012年02月02日 20時31分55秒 | Weblog

5年ぶりに福井から京都へ向いました。浄土真宗大谷派末寺である我が福井の実家の両親はこの地に分骨されています。京都駅近く、前回修復中だった東本願寺は未だ修復中!5年間かかった右側の御影堂が終わって、隣の阿弥陀堂の修復が始まるところとか。10万枚以上ある屋根瓦のふき替えのためすっぽり覆われています。

      

 

墓地は東山区の大谷祖廟なるところにあり、例の四条通、祇園のすぐ近く。賑やかな祇園商店街を抜け、派手な色彩の八坂神社の裏手に回ると急に静かな広い石畳が続き、突き当たるともうそこは山を背にした墓所。立派な山門、宗祖親鸞はじめ歴代が眠る御廟、山へ空へ駆け上るような墓地。福井から特急でたった1時間半、途中猛吹雪に遭いましたが、ここは信じられない青空です。

  

 


愛すべき三国町のお店

2012年02月02日 12時55分09秒 | Weblog

     

雄島から歩いてすぐ、昨夏のライブツアーでも訪れたカフェ「カモメクラブ」。亡きレッドママ北桂子さんに依頼され、ポルトガルのファド♪難船 を♪かもめの家 と題して詩が出来た場所です。カウンターの水仙が凛として故郷の冬を象徴しています。

    

ちなみに、ここカモメクラブにやってくるのは、地元の海の男たちが殆ど。後姿にちょっと男の哀愁がマスターは、昨年亡くなった魚志楼のマスターと同級生。万年青年と言われるこの風貌ですが、長年船に乗っていらしたそうで、この店の造りや名前の由来ももちろんそこから。

 

        

              

その後はもちろん、今や有形文化財指定の「魚志楼」へ。マスターの遺影を背に、カニ味噌を練る真理子ママ。特別の地酒を出してきてくださって、水ガニとカニ味噌で一杯、あ~もうたまらない!!しかも大正期に作られた素敵なグラスで。 


豪雪!?いや、それが…

2012年02月02日 10時33分17秒 | Weblog

1月末、前日の富士「ミュージックギャラリー月夜の仔猫」ライブ(このライブについては写真が届き次第upします)を終え、新幹線~北陸線を乗り継いで故郷福井方面へ。

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相変わらず太平洋側はいいお天気、が…名古屋を過ぎるとだんだん風景が白っぽくなってきて、米原が近づき雄大な伊吹山がヌッと真っ白な顔を出す頃、もう完全な冬景色!

 

         

米原で北陸線に乗り換えると嶺南地方はたちまちこの通り。がしかし、福井へ寄ると言ったら誰からも「雪大丈夫?」と言われ、自分もTVのニュースなど見て「今回こそはヤバイかも」とひそかに思ってましたが、嶺北の福井、そして三国町に着いてみると予想は見事?裏切られ…

 

    

大正時代にオランダ人が建てた龍翔小学校を復元した資料館、そして海辺の町の家々はうっすら雪化粧という程度で、暗いはずの港町は何とも美しく…

                 

                

思い出多き雄島(おしま)への真っ赤な橋も、島の外側にも(この季節に島を半周する私って…)殆ど雪はなく、何とサーフィンする若者たちも。帰り道さすがに白いものが吹雪いて来て、島も橋もボ~ッと霞んできましたが。      

 

        

 


巨星堕つ…

2012年01月23日 19時15分56秒 | Weblog

大きな訃報が届き、驚きと悲しみの中お通夜に参列して参りました。また1人、音楽に関わる大きな存在を失ってしまいました。

1970年から30年余住んだ小平市。私としては子育てをしながら音楽活動、社会教育活動に参加、特にコーラス活動に熱心に取り組みつつ、アマとしてのソロ活動、そしてシャンソン界へ飛び込んで行った大変革の時代ででした。

その歌唱の基本である発声、曲の解釈、イメージの捉え方、歌心等を熱心に指導してくださったのが、小平在住の声楽家で近年はライブハウスも経営されていた大槻秀元先生でした。独自の発声体操を考案、個人指導はじめ多くの合唱団を指導、かなり辛口の発言と「多摩のキリスト」との異名を持つその風貌も相俟って、大変個性的な存在でした。

どうやら私がきっかけとなって、昨年亡くなった吉祥寺REDの北桂子ママはじめ多くのシャンソン歌手が先生の薫陶を受け、私が中野へ越す頃、花小金井の駅前にライブカフェ「HYDE」をオープン、私も2度ばかり出演をさせて頂きましたが、些かご無沙汰をしているうちに、最近ご体調によって入退院繰り返されていると知り、気がかりではありました。

ところがこのお正月、珍しく私にも案内のお葉書が来て「新春ライブをやります。ぜひいらして下さい」とヴァイオリニストである奥様の字で添え書きがしてあり、元気になられてよかった、という気持ちと、何だか妙に胸騒ぎもして、先生の大好物、富山の干柿を持参して伺おうと予定していた矢先…

          

1/16永眠され、20日お通夜21日告別式でした。

人間誰しもいつかはこの世を旅立つのですが、死とはおよそ縁のなさそうなやんちゃ坊主な一面と、洒落男だった先生を思い出すと改めて衝撃を覚えます。何より音楽とそれを教えることが大好きな方で、私の発声と歌心の基本、まなざしは常に彼から教わったことに尽きると言っていいと思います。

先生、私の歌人生の基本を作って下さり、本当にありがとうございました。合掌